カテゴリー: イソップ寓話

イソップ寓話にまつわる教訓を掲載

  • イソップ寓話の教訓No.306 「ヘルメスと蟻に噛まれた男」

    ダブルスタンダードへの警鐘

    ヘルメスと蟻に噛まれた男

     船が乗客を乗せたまま海に沈むのを目撃した男が言った。
     「罰当たりが一人乗り込んでいるからと言って、罪もない人が大勢巻き添えを食っている。神の裁きは正しくない!」

     すると蟻の大群が行列をなして男の足元を歩いていた。そして中の一匹が男の足に咬みついたところ、男はたまらずたくさんの蟻を一緒くたに踏みつぶした。

     するとヘルメスが男の前に現れ、その男を杖で打ちながら言った。「お前は神々が人間に対する裁きを非難しておったが、蟻に同じことをしているではないか!」

     この寓話は、「自分の言葉や批判が、自らの行動と一致しているか」が試される物語だ。 ヘルメスは、男の中にある矛盾を鋭く突いた。
     「罰当たりだけ沈めればよかったのに」と神を非難しながら、 自分の足を咬んだ一匹の蟻のせいで、無関係な蟻たちまで踏みつぶしてしまう男。
     他者を裁くその口で、自らの行いを省みることができていない。 それはまさに、偽善という名の落とし穴だ。

     あなたは、評価する立場に立ったとき、 自分の振る舞いを、まっすぐに見つめることができているだろうか。

  • イソップ寓話の教訓No.291 「牛追いとヘラクレス」

    神頼みの前に出来ることはやり尽くす!

    牛追いとヘラクレス

     牛追いが村から荷車をひいてくる途中、車輪が窪みにはまってしまった。何とか抜け出さねばならないのに、牛追いはぼさっと突っ立っていた。
     しまいに彼が崇拝する唯一の神様であるヘラクレスに助けを求めるため祈り始めた。
     するとヘラクレスが現れて言った。
     「牛追いよ、車輪に取り付き押しながら、突き棒で牛をつけ!自分でも何かしてから神頼みをするがよい。さもないと祈っても無駄だ。」

     できる限りのことは、まず自分でやり尽くすべきだ。
    思いもよらぬトラブルに見舞われても、ただ立ち尽くしていては何も始まらない。
     まずは頭を使い、手足を動かすこと。それが状況を動かす第一歩になる。
     たとえうまくいかなくても、やれるだけのことをしたなら、結果を静かに受け入れられるはずだ。
     祈りや神頼みは、そのあとでいい。

  • イソップ寓話の教訓No.287 「アラブ人と駱駝」

    視点を変える!

    ストーリー

     アラブ人が駱駝に荷物を積みながら「上り坂と下り坂のどちらが好きか?」と駱駝に尋ねた。
     閃きのある駱駝は言った。「平らな道は塞がっているのですか?」

     好ましくない二者択一に、真面目に悩むことはない。
    肩の力を抜いて、問いそのものを見直してみよう。
    視点を変えれば、選択肢はもっと広がっているはずだ。

  • イソップ寓話の教訓No.284「一緒に旅をする人間とライオン」

    強さを見せつける必要はない!

    ストーリー

     ライオンが人間と旅の道連れになった。どちらが強いかという話をしたが、どちらも口で自慢するばかり。
     しばらく行くとライオンを絞殺そうとする人間の石像があったので、男がこれをライオンに見せながら「どうだ、人間の方がライオンより強いだろう!」と言うと、
     ライオンはニヤッと笑って言うには、「ライオンに彫刻が出来たなら、ライオンの餌食になる人間をたくさん見られるだろう!」

     強さを見せつける必要はない。自分の強さを不用意に見せつければ、その一瞬は気分が良いが、そのうち何かの形で反発や抵抗を思い知らされる。

  • イソップ寓話の教訓No.281 「タナグラの雄鶏」

    負けたことで災難から助かることもある!

    ストーリー

     タナグラの雄鶏が喧嘩をした。気性が人間に似ているといわれる鶏だ。負けたほうは傷だらけで、鳥小屋の隅に身を潜めている。相手はさっそく屋根に跳びあがると、羽ばたきしながら勝どきをあげる。
     ところが鷲がこいつを屋根から捕まえて飛び去った。残った鶏は心おきなく雌鶏とつがいになった。

    ※タナグラ:ギリシャの地方の町

     負けても、悔しがる必要はない。敗北によって、思わぬ災難から逃れられることもある。そうした経験がないと感じるなら、それは運が良かったか、あるいは敗北によって得た恩恵に気づいていないだけかもしれない。
     だからこそ、たとえ勝ったとしても、有頂天になってはいけない。勝利の直後こそ、最も危うい瞬間なのだ。

  • イソップ寓話の教訓No.274 「善と悪」

    幸運は遅れてやって来る!

    善と悪

     善は非力であったので、悪に追い立てられ、天に昇って行った。
     そしてゼウスに尋ねた。「人間の所に留まっているにはどうしたら良いか?」
     ゼウスは善に言った。「皆一緒になって訪ねるのではなく、一人一人で行くが良い。」
     このため、悪は人間の近くにいて絶えず襲ってくるが、善は天からゆっくりと下りて来るから、なかなか出会えない。

     不運は突然、集団で襲い掛かってくる。「一難去ってまた一難」という言葉のとおり、次々に起こり、しかも質が悪い。
     一方、幸運は一人ずつ、ゆっくりと天から下りてくるため、気づきにくい。誰もが、不運は続きやすく、幸運はめったに訪れないと感じたことがあるだろう。
     そんな時こそ、不運が自分に何を伝えようとしているのかを考えてみることだ。
     焦らず、忍耐強く待つこと。やがて、幸運は静かに降りてくる——そのように信じることが大切だ。
     不運の嵐の中で耳を澄ませば、遠くから善の足音が聞こえてくる。
     それは、あなたの静かな忍耐に応えるように、ゆっくりと近づいてくるのだ。

  • イソップ寓話の教訓No.271  「冬と春」

    歓迎される力とは!

    ストーリー

     冬が春をからかって、こんな悪口を言った。
     春が来たとたん、もう誰もじっとしていない。百合などの花を摘んだり、薔薇を額の飾りにしたり、かんざしにするのが好きな人は、野原や森へと繰り出す。また別の人は、船に乗り海を渡って、どこかへ行こうとする。それに誰も風のこと、洪水のことなど気にかけなくなる。
     それに対して、と冬は言葉を続けて、
     「私は有無を言わせぬ王のようだ!空を仰ぐことなく、地面に目を伏せ、震えさせてやる。時には終日、家に蟄居するもやむなしと思わせてやる」と言ったので、春が言い返した。
     「だからこそ、人間は君が去れば喜ぶのだ」

     権力や恐怖で人を従わせる者は、去ったときに安堵される。
    一方、人々に喜びや自由をもたらす者は、自然と歓迎される。
    人の心を動かすのは、力による支配ではなく、喜びを与えることなのだ。

  • イソップ寓話の教訓No.172  「蝙蝠(コウモリ)と鼬(イタチ)」

    その場しのぎの理論

    ストーリー

     蝙蝠が地面に落ちて鼬に捕まったが、今にも殺されそうになって命乞いをした。
     鼬は「すべて羽根のあるものとは生まれつき戦争をしているので逃がすわけにはいかない」と言った。
     そこで蝙蝠は「自分は鳥ではない。鼠だ。」と言って、逃がしてもらった。
     しばらくしてまた落ちて、別の鼬に捕まったが、見逃してほしいと頼んだ。
     今度の鼬は「鼠はみな仇的だ」と言ったが、自分は鼠でなく蝙蝠だと言って、またもや逃がしてもらった。
     こうして蝙蝠は名前を二度変えて、生き延びたのだ。

     「逃げる」という選択肢。
     トラブルに柔軟に対応し、その場しのぎで切り抜けることは、特に厳しい状況下では有効な戦略となる。機転は命を守る力にもなり得る。
     しかし、逃げることで一時的に問題を回避できても、それは根本的な解決ではない。
     その場しのぎを繰り返す者は、そもそも問題の本質に向き合う意志を持たないのかもしれない。
     いずれ、逃げ切れない局面に立たされるだろう。
     この寓話は、柔軟さと誠実さの間にある緊張を問いかけている。
    生き延びるために立場を変えることは賢明か、それとも不誠実か。
    私たちは、どこまで自己を変えて生き延びるべきなのか――その境界線を、蝙蝠の姿に重ねて考えさせられる。

  • イソップ寓話の教訓No.170  「病人と医者」

    形式的な励ましの毒

    ストーリー

     病人が医者に容態を聞かれ「異常に大汗をかいた」と答えると、「それは良いあんばいだ」と医者は言った。
     二度目に様子を聞かれ「悪寒がして止まらない」と答えると、「それも良いあんばいだ」と医者は言った。
     三度目にやって来て具合を尋ねるので、「下痢になった」と答えると、「それはまた良いあんばいだ」と言って医者は帰って行った。
     親戚の者が見舞いに来て、「具合はどうだ?」と聞くので、
     病人が答えた。「良いあんばいのおかげでもう駄目だ!」

     無責任な楽観主義や、形式だけの対応は、かえって害になる。
     特に、権威ある立場にある者が実態と誠実に向き合わず、空疎な言葉で済ませるとき――その言葉は、安心ではなく放棄になる。
     「良いあんばいだ」という繰り返しは、診断ではなく逃避の言葉となり、患者の苦しみを覆い隠す。
     この寓話は、言葉の責任と、権威の誠実さを問いかけている。
     形式的な言葉が繰り返されるとき、私たちはそれを信じるべきか、それとも疑うべきか。
    本当に必要なのは、言葉ではなく、向き合う姿勢なのではないか。

    類似教訓
    日本の昔話の教訓「二十三夜さま」

  • イソップ寓話の教訓No.98  「屋根の上の仔山羊と狼」

    立場は人を強くする!

    ストーリー

    仔山羊が屋根の上に登って、通りがかりの狼に悪態をついた。
    それに対して狼が言うには、
    「おれに悪態をつけるのはお前ではなく、その場所のおかげだ!」

    立場は人を強くする。
    たとえ最初は力のない者でも、時を経て組織や社会の中で高いポジションに就けば、その役割にふさわしい力を身につけていく。
    人は、責任や期待に応じて変化する――それが制度の中で生きるということだ。
    だからこそ、今は力のない後輩でも、いずれ自分の上司になるかもしれない。
    そのとき、過去の言動が「倍返し」として返ってくることもある。
    立場の変化は避けられない。だからこそ、今のうちに誠実に接しておくことが、未来の関係性を守る知恵となる。
    この寓話は、力とは個人の資質だけでなく、環境と役割によって育まれるものだと教えてくれる。

  • イソップ寓話の教訓No.89「ヘルメスとテイレシアス」

    試す者は、試される!

    ストーリー

     ヘルメスはテイレイシアスの予言が本物かどうか試してみたくなって、彼の牛を畑から盗んでおいて、人間に姿を変えて町へでかけ彼の家に行った。
     一対の牛がいなくなったとの知らせが入ったので、テイレシアスはヘルメスを伴って郊外へ出かけた。盗難について鳥占いをするため「何か鳥を目にしたら教えてくれ!」とヘルメスに頼んだ。
     ヘルメスは初めに鷲が左から右へ飛び過ぎるのを見たので、それを言った。
     ところがテイレシアスは「それは牛とは無関係だ!」と言う。
     次にヘルメスは烏が木にとまり、空を見上げたり地面をのぞき込んだりするのを見たので、それを説明したところ、テイレシアスが言った、
     「その烏は天と地にかけて証言しているぞ。お前さえその気になれば、私の牛が戻ってくる、とな!」

    ※ヘルメス 富と幸運をもたらす守護神と考えられた。
    ※テイレシアス 名高い盲目の予言者。

     人を試すとき、実は自分自身も試されている。
     悪事を働いた者が、被害者の前で無関係を装っても、その欺きは見透かされる。
     相手は、言葉ではなく沈黙の中で、いつ白状するのかを見極めている。
     試すつもりで近づいた者が、逆に誠実さや責任感を問われる立場になる――それが信頼の構造だ。
     一度でも欺きが露見すれば、信頼関係は当然に崩れる。
     この寓話は、知恵や予言の力とは、相手の行動だけでなく、その心の動きを見抜くことにあると教えてくれる。
    そして、誠実さとは、見られていないときにこそ試されているのだ。

    類似教訓
    イソップ寓話の教訓No.57「老婆と医者」

  • イソップ寓話の教訓No.56  「女魔法使い」

    既得権益が恐れる者!

    ストーリー

     魔法使いの女が神様の怒りを解く呪文やお祓いを売り物にして、またそれがよく当たり、相当なお金を貯めこんでいた。
     ところが人々は、この女が宗教の改革を企てるものだとして告発し、裁判を受けさせ、罪状をあげて死刑判決を下した。
     裁判所から引き出された女を見たものが言った、
     「おい、お前は神様の怒りを解くことができるのに、どうして人間の怒りを解くことができなかったんだ」

     自然現象の多くは、自然科学の知識があれば原因を解明できる。しかし、知識のない人々に対して呪術的な言動で説明すれば、信じてしまうこともある。人は未知に対して、しばしば恐怖を抱く。魔法使いとは、そうした恐怖に形を与える存在にすぎない。
     だが、この物語で魔法使いを滅ぼしたのは、呪術への恐れではなく、宗教に関わる者たちの既得権益だった。魔法使いに宗教改革の意図はなくとも、彼女の呪術が広まり、信頼を集めれば、宗教の影響力は次第に衰える。既得権益を守る者にとって、それは脅威となる。
     意図的であれ、無意識であれ、既存の秩序を揺るがす力を持つ者は、嫉妬や恐れの対象となり、排除される可能性がある。それが現実だ。
     人間の感情は、理不尽であり、時に神の怒りよりも制御が難しい。その力を過小評価してはならない。