カテゴリー: イソップ寓話

イソップ寓話にまつわる教訓を掲載

  • イソップ寓話の教訓No.271  「冬と春」

    歓迎される力とは!

    ストーリー

     冬が春をからかって、こんな悪口を言った。
     春が来たとたん、もう誰もじっとしていない。百合などの花を摘んだり、薔薇を額の飾りにしたり、かんざしにするのが好きな人は、野原や森へと繰り出す。また別の人は、船に乗り海を渡って、どこかへ行こうとする。それに誰も風のこと、洪水のことなど気にかけなくなる。
     それに対して、と冬は言葉を続けて、
     「私は有無を言わせぬ王のようだ!空を仰ぐことなく、地面に目を伏せ、震えさせてやる。時には終日、家に蟄居するもやむなしと思わせてやる」と言ったので、春が言い返した。
     「だからこそ、人間は君が去れば喜ぶのだ」

     権力や恐怖で人を従わせる者は、去ったときに安堵される。
    一方、人々に喜びや自由をもたらす者は、自然と歓迎される。
    人の心を動かすのは、力による支配ではなく、喜びを与えることなのだ。

  • イソップ寓話の教訓No.172  「蝙蝠(コウモリ)と鼬(イタチ)」

    その場しのぎの理論

    ストーリー

     蝙蝠が地面に落ちて鼬に捕まったが、今にも殺されそうになって命乞いをした。
     鼬は「すべて羽根のあるものとは生まれつき戦争をしているので逃がすわけにはいかない」と言った。
     そこで蝙蝠は「自分は鳥ではない。鼠だ。」と言って、逃がしてもらった。
     しばらくしてまた落ちて、別の鼬に捕まったが、見逃してほしいと頼んだ。
     今度の鼬は「鼠はみな仇的だ」と言ったが、自分は鼠でなく蝙蝠だと言って、またもや逃がしてもらった。
     こうして蝙蝠は名前を二度変えて、生き延びたのだ。

     「逃げる」という選択肢。
     トラブルに柔軟に対応し、その場しのぎで切り抜けることは、特に厳しい状況下では有効な戦略となる。機転は命を守る力にもなり得る。
     しかし、逃げることで一時的に問題を回避できても、それは根本的な解決ではない。
     その場しのぎを繰り返す者は、そもそも問題の本質に向き合う意志を持たないのかもしれない。
     いずれ、逃げ切れない局面に立たされるだろう。
     この寓話は、柔軟さと誠実さの間にある緊張を問いかけている。
    生き延びるために立場を変えることは賢明か、それとも不誠実か。
    私たちは、どこまで自己を変えて生き延びるべきなのか――その境界線を、蝙蝠の姿に重ねて考えさせられる。

  • イソップ寓話の教訓No.170  「病人と医者」

    形式的な励ましの毒

    ストーリー

     病人が医者に容態を聞かれ「異常に大汗をかいた」と答えると、「それは良いあんばいだ」と医者は言った。
     二度目に様子を聞かれ「悪寒がして止まらない」と答えると、「それも良いあんばいだ」と医者は言った。
     三度目にやって来て具合を尋ねるので、「下痢になった」と答えると、「それはまた良いあんばいだ」と言って医者は帰って行った。
     親戚の者が見舞いに来て、「具合はどうだ?」と聞くので、
     病人が答えた。「良いあんばいのおかげでもう駄目だ!」

     無責任な楽観主義や、形式だけの対応は、かえって害になる。
     特に、権威ある立場にある者が実態と誠実に向き合わず、空疎な言葉で済ませるとき――その言葉は、安心ではなく放棄になる。
     「良いあんばいだ」という繰り返しは、診断ではなく逃避の言葉となり、患者の苦しみを覆い隠す。
     この寓話は、言葉の責任と、権威の誠実さを問いかけている。
     形式的な言葉が繰り返されるとき、私たちはそれを信じるべきか、それとも疑うべきか。
    本当に必要なのは、言葉ではなく、向き合う姿勢なのではないか。

    類似教訓
    日本の昔話の教訓「二十三夜さま」

  • イソップ寓話の教訓No.98  「屋根の上の仔山羊と狼」

    立場は人を強くする!

    ストーリー

    仔山羊が屋根の上に登って、通りがかりの狼に悪態をついた。
    それに対して狼が言うには、
    「おれに悪態をつけるのはお前ではなく、その場所のおかげだ!」

    立場は人を強くする。
    たとえ最初は力のない者でも、時を経て組織や社会の中で高いポジションに就けば、その役割にふさわしい力を身につけていく。
    人は、責任や期待に応じて変化する――それが制度の中で生きるということだ。
    だからこそ、今は力のない後輩でも、いずれ自分の上司になるかもしれない。
    そのとき、過去の言動が「倍返し」として返ってくることもある。
    立場の変化は避けられない。だからこそ、今のうちに誠実に接しておくことが、未来の関係性を守る知恵となる。
    この寓話は、力とは個人の資質だけでなく、環境と役割によって育まれるものだと教えてくれる。

  • イソップ寓話の教訓No.89「ヘルメスとテイレシアス」

    試す者は、試される!

    ストーリー

     ヘルメスはテイレイシアスの予言が本物かどうか試してみたくなって、彼の牛を畑から盗んでおいて、人間に姿を変えて町へでかけ彼の家に行った。
     一対の牛がいなくなったとの知らせが入ったので、テイレシアスはヘルメスを伴って郊外へ出かけた。盗難について鳥占いをするため「何か鳥を目にしたら教えてくれ!」とヘルメスに頼んだ。
     ヘルメスは初めに鷲が左から右へ飛び過ぎるのを見たので、それを言った。
     ところがテイレシアスは「それは牛とは無関係だ!」と言う。
     次にヘルメスは烏が木にとまり、空を見上げたり地面をのぞき込んだりするのを見たので、それを説明したところ、テイレシアスが言った、
     「その烏は天と地にかけて証言しているぞ。お前さえその気になれば、私の牛が戻ってくる、とな!」

    ※ヘルメス 富と幸運をもたらす守護神と考えられた。
    ※テイレシアス 名高い盲目の予言者。

     人を試すとき、実は自分自身も試されている。
     悪事を働いた者が、被害者の前で無関係を装っても、その欺きは見透かされる。
     相手は、言葉ではなく沈黙の中で、いつ白状するのかを見極めている。
     試すつもりで近づいた者が、逆に誠実さや責任感を問われる立場になる――それが信頼の構造だ。
     一度でも欺きが露見すれば、信頼関係は当然に崩れる。
     この寓話は、知恵や予言の力とは、相手の行動だけでなく、その心の動きを見抜くことにあると教えてくれる。
    そして、誠実さとは、見られていないときにこそ試されているのだ。

    類似教訓
    イソップ寓話の教訓No.57「老婆と医者」

  • イソップ寓話の教訓No.56  「女魔法使い」

    既得権益が恐れる者!

    ストーリー

     魔法使いの女が神様の怒りを解く呪文やお祓いを売り物にして、またそれがよく当たり、相当なお金を貯めこんでいた。
     ところが人々は、この女が宗教の改革を企てるものだとして告発し、裁判を受けさせ、罪状をあげて死刑判決を下した。
     裁判所から引き出された女を見たものが言った、
     「おい、お前は神様の怒りを解くことができるのに、どうして人間の怒りを解くことができなかったんだ」

     自然現象の多くは、自然科学の知識があれば原因を解明できる。しかし、知識のない人々に対して呪術的な言動で説明すれば、信じてしまうこともある。人は未知に対して、しばしば恐怖を抱く。魔法使いとは、そうした恐怖に形を与える存在にすぎない。
     だが、この物語で魔法使いを滅ぼしたのは、呪術への恐れではなく、宗教に関わる者たちの既得権益だった。魔法使いに宗教改革の意図はなくとも、彼女の呪術が広まり、信頼を集めれば、宗教の影響力は次第に衰える。既得権益を守る者にとって、それは脅威となる。
     意図的であれ、無意識であれ、既存の秩序を揺るがす力を持つ者は、嫉妬や恐れの対象となり、排除される可能性がある。それが現実だ。
     人間の感情は、理不尽であり、時に神の怒りよりも制御が難しい。その力を過小評価してはならない。

  • イソップ寓話の教訓No.48  「ナイチンゲールと蝙蝠(コウモリ)」

    予防は過去を救えない!

    ストーリー

     窓辺につるされたナイチンゲールが、夜になると歌を歌っていた。
     蝙蝠が歌を聞きつけ、近くに来て「昼間は静かにしているのに、なぜ夜になると歌うのか?」と訳を尋ねた。
     ナイチンゲールは「これには深い訳があるのです。ある日、昼間に歌っていて捕まったので、それ以来、昼間に歌うのは懲りたのです」と答えると、
     蝙蝠が言った。
    「今ごろ警戒しても始まらないよ。捕まる前にすべきだよ!」

     困難に直面してから行動を改めても、すでに遅い。油断は命取りになる。
     とはいえ、窓辺につるされた鳥籠から、知恵と行動力で飛び立つ鳥がいるように、万一困難に遭っても、そこから抜け出す気概を持ちたい。
     予防は最善の策だが、遅れてしまったときこそ、意志と工夫が試される。

  • イソップ寓話の教訓No.47  「内臓を吐く子供」

    欠乏感は増幅する!

    ストーリー

     野原で生贄の牛を焼く人達が隣人を招いた。その中に貧しい女がいて、腹を空かした子供も一緒にやってきた。宴会が行われているあいだずっと、この子供はもつ焼きを食べ続けていたので、お腹がはちきれんばかりに膨らんだ。
     子供は「お母さん、内臓を吐きそうだよ」と言うと、
     母親が、それに答えて、
    「坊や、それはお前の内臓ではなくて、お前が食べた牛の内臓だよ。」

    欠乏感は、静かに、しかし確実に増幅する。
    「足りない」という感覚は、「もっと、もっと」と求め続け、やがて飽和を超えて、もがき始める。
    必要以上に詰め込んだものは、やがて痛みとなって、内側から響いてくる。
    欲望の充足は、時に苦しみの種となる。
    出世したい、出世したい。まずは課長、次は部長、そして役員へ。
    階段を昇るごとに、プレッシャーは重くのしかかり、あなたの体と精神を試し始める。
    果たして、それに耐えられるだろうか。
    欲望は、満たすことだけがゴールではない。
    むしろ、どう満たすか・どこで止めるか・何のために欲しているか――その問いこそが、満足への道を照らす。
    欲望を満たすことが目的になったとき、満足は、かえって遠ざかっていく。

  • イソップ寓話の教訓No.66  「少年と肉屋」

    語られない真実とは!

    ストーリー

    二人の少年が肉屋に入って行った。肉屋がむこうを向いている隙に、一人がもも肉をくすね、もう一人の懐に放り込んだ。
    肉屋が向き直ると、もも肉がなくなっていた。肉屋は「お前らだろう」と言うと、盗んだ少年は持っていないと誓い、持っている少年は盗んでいないと誓った。
    肉屋は二人の悪だくみに感づいて、
    「嘘を言ってこの場を逃れたとしても、神々からは逃げられないぞ!」

    少年たちは「持っていない」「盗んでいない」と言うことで、形式的には嘘を避けているように見える。しかし、これは「真実の一部を語ることで全体を偽る」という典型的な詭弁だ。
    嘘はついていないが、真実を歪める言い回しは、重要な情報を意図的に省略することで、相手に誤認を与える。契約でも、商品でも、情報の優位者が自ら利益になる事だけ開示したり、不利益なことは表示しなかったり、と頻繁に登場する。こうした構造は、制度や契約の設計においても頻繁に見られ、形式的な合法性の裏に倫理的な不誠実さが潜む。
    そのような不誠実な行為は、たとえ一時的に成功しても、いずれ真理の前に露呈し、報いを受けることになる。
    詭弁を見抜くためには、①何が語られていないかに注目する②言葉の曖昧さを明確にする③誰が得をするのか利益の所在を探る、の3点に着目が必要だ。
    あなたの職場や身近な契約の中にも、語られていない真実は潜んでいないだろうか。

  • イソップ寓話の教訓No.39「燕と鳥たち」

    先を見通し行動すること!

    ストーリー

     宿り木が育ち始めるや、燕はそれが鳥たちに及ぼす危険を察知して、鳥たちを残らず集めた。
     燕は「宿り木を宿す木を切り倒すか、それが出来なければ、人間の所へ助けをもとめ、宿り木の実から作った鳥もちで、自分たちを捕まえないよう頼んでおけ」と忠告した。
     「つまらないことを言うやつだ!」と鳥たちが一笑に付すので、燕は一人で人間を尋ね嘆願者となった。
     人間は燕が賢いことを知って向かえ入れ、一つ屋根の下で暮らすことを許した。
     こうして他の鳥たちは人間に捕らえられ食べられてしまうが、燕だけは保護され、人間の家でも安心して巣作りすることになった。

    ※宿り木:北海道から九州に分布し、エノキ、ブナ、ミズナラ、ケヤキやサクラなど落葉樹に寄生する。果肉はもちのように粘りがあり、鳥黐(とりもち)として、細いサオの先に塗って、小鳥や昆虫の捕獲に使われた。

    先を読む力は、経験と努力によって磨かれる。
    常に状況の変化に目を向け、先を読む習慣を持つことで、正しい判断を下す力が育まれる。
    この力があれば、他者を導く立場にも立てるだろう。
    燕のように、周囲に笑われても、自分の直感と判断を信じて行動することで、最終的に生き残る道を切り拓くことができる。
    ―あなたは、孤独でも、自分の意見を貫き、行動に移すことができるだろうか。

  • イソップ寓話の教訓No.26  「水を打つ漁師」

    相手の立場で考える!

    ストーリー

     漁師が川で漁をしていた。まず、流れの両岸に差し渡して網を張っておき、紐に括りつけた石で水を打った。驚いて逃げる魚が網にかかるというものだ。
     ところが、これを見ていた近所の人が「澄み切った川を濁し、水を飲めなくするものだ!」と苦情を言うので、
     漁師は答えた。
     「しかし、こうやって川を打たないと、おれが飢え死にしてしまうよ!」

     人はそれぞれ、自分の立場が正しいと信じ、それを正当化しながら生きている。
     意見が対立する場面では、相手を批判する前に、慎重で控えめな姿勢を保つことが賢明だ。
     相手の視点から問題を見つめ直せば、安易な非難も、自分の正当化も、容易ではなくなる。
     そのとき初めて、対話の余地が生まれる。

  • イソップ寓話の教訓No.8  「造船所のイソップ」

    傲慢さの足元

    ストーリー

     ある時、寓話作家のイソップは造船所へ行った。船大工たちが彼をからかって、言い返さずにはいられぬように仕向けたので、イソップはこんな話をした。
     その昔、カオスと水が生じたが、ゼウスは土の要素も出現させたいと思い、三度海の水を飲みこむよう大地を促した。
     大地は仕事にかかると、まず最初に山々を現し、再び飲み込んで平野を露出させた。
     「もしも大地が三度目も水を飲みこむことをすれば、お前たちの仕事は無くなり何の役にも立たない者になるのだぞ!」

    ゼウスが「土」を出現させるため、大地に海水を三度飲み込むよう命じた。
    一度目:山々が現れる。
    二度目:平野が現れる。
    三度目:もしそれが起きれば、海が消え、船を造る意味は失われる。
     船大工たちの存在意義は、海があるという前提の上に成り立っている。
     自分の仕事が他者より価値があると信じる傲慢さ ── 船大工は寓話作家より、上司は平社員より、国会議員は国民より ── その思い込みは尽きない。
     だが、その価値は環境に依存している。
     上司は部下がいてこそ上司であり、議員は国民の投票によって議員でいられる。
     世界は常に変化し、最後の一歩ですべてが覆ることもある。
     今ある価値は永遠ではない ── そのことを、私たちは肝に銘じるべきだ。