タグ: 慢心を戒める教訓

慢心を戒める教訓

  • イソップ寓話の教訓No.281「タナグラの雄鶏」

    負けてしまったことで災難から助かることも多い

    ストーリー

    タナグラの雄鶏が喧嘩をした。気性が人間に似ているといわれる鶏だ。

    負けたほうは傷だらけで、鳥小屋の隅に身を潜めている。

    相手はさっそく屋根に跳びあがると、羽ばたきしながら勝どきをあげる。

    ところが鷲がこいつを屋根から捕まえて飛び去った。

    残った鶏は心おきなく雌鶏とつがいになった。

    ※タナグラ:ギリシャの地方の町

    この物語の教訓は・・・
    負けても悔しがらない。負けてしまったことで災難から助かることも多い。もし、そのような経験がないなら、よほど運が良く強い者か、負けて助かったことに気づいていないだけだ。だから、もし勝ったとしても有頂天でいるわけにはいかない。

  • イソップ寓話の教訓No.274「善と悪」

    人の一生はトラブルの連続!

    ストーリー

    善は非力であったので、悪に追い立てられ、天に昇って行った。

    そしてゼウスに尋ねた。「人間の所に留まっているにはどうしたら良いか?」

    ゼウスは答えて「皆一緒になって訪ねるのではなく、一人一人で行くが良い」

    このため、悪は人間の近くにいて絶えず襲ってくるが、善は天からゆっくりと下りて来るから、なかなか出会えない。

    この物語の教訓は・・・
    人の一生はトラブルの連続である。だれでも生き甲斐のある平穏な人生を送りたいと思う。誰もトラブルを望まない。それにも関わらずトラブルの連続である。

    トラブルに見舞われた時は、このように考えよう。このトラブルは自分に何を伝えようとしているのか。

  • イソップ寓話の教訓No.271「冬と春」

    気取らない!

    ストーリー

    冬が春をからかって、こんな悪口を言った。

    春が来たとたん、もう誰もじっとしていない。百合などの花を摘んだり、薔薇を額の飾りにしたり、かんざしにするのが好きな人は、野原や森へと繰り出す。また別の人は、船に乗り海を渡って、どこかへ行こうとする。それに誰も風のこと、洪水のことなど気にかけなくなる。

    それに対して、と冬は言葉を続けて

    「私は有無を言わせぬ王のようだ!空を仰ぐことなく、地面に目を伏せ、震えさせてやる。時には終日、家に蟄居するもやむなしと思わせてやる」と言えば、春が言うには、

    「だからこそ、人間は君が去れば喜ぶのだ」

    気取らない。立派な人ほど気取る必要などないはずだ。自分の美徳は秘めておいて、人から関心を持ってもらうほうがずっと立派だ。

  • イソップ寓話の教訓No.172「蝙蝠と鼬」

    その場しのぎの解決

    ストーリー

     蝙蝠が地面に落ちて鼬に捕まったが、今にも殺されそうになって命乞いをした。

     鼬は「すべて羽根のあるものとは生まれつき戦争をしているので逃がすわけにはいかない」と言った。

     そこで蝙蝠は「自分は鳥ではない。鼠だ。」と言って、逃がしてもらった。

     しばらくしてまた落ちて、別の鼬に捕まったが、見逃してほしいと頼んだ。

     今度の鼬は「鼠はみな仇的だ」と言ったが、自分は鼠でなく蝙蝠だと言って、またもや逃がしてもらった。

     こうして蝙蝠は名前を二度変えて、生き延びたのだ。

    逃げるという解決。トラブルに柔軟に対応して、その場しのぎで解決してしまう。まさに、その時だけを考えると心理的に解決してしまう。しかし、その場しのぎで逃げてしまう人は、トラブルの根本を自分で解決する気持ちがない。いずれ逃げ切れなくなる。

  • イソップ寓話の教訓No.170「病人と医者」

    見た目だけの判断では、本当の意味での理解はできない

    ストーリー

     病人が医者に容態を聞かれ「異常に大汗をかいた」と答えると、「それは良いあんばいだ」と医者は言った。

     二度目に様子を聞かれ「悪寒がして止まらない」と答えると、「それも良いあんばいだ」と医者は言った。

     三度目にやって来て具合を尋ねるので、「下痢になった」と答えると、「それはまた良いあんばいだ」と言って医者は帰って行った。

     親戚の者が見舞いに来て、「具合はどうだ?」と聞くので、

     病人が答えた。「良いあんばいのおかげでもう駄目だ!」

    見た目だけの判断では、本当の意味での理解はできない。

    類似教訓
    日本の昔話の教訓「二十三夜さま」

  • イソップ寓話の教訓No.98「屋根の上の仔山羊と狼」

    立場は人を強くする!

    ストーリー

     仔山羊が屋根の上に登って、通りがかりの狼に悪態をついた。

     それに対して狼が言うには、

     「おれに悪態をつけるのはお前ではなく、その場所のおかげだ!」

    立場は人を強くする。たとえ最初は力のない者でも、時を経て組織や社会のなかで高いポジションに着くようになれば、そのポジションに合うように強くなる。

    後輩が自分より出世して上司になったとき倍返しされないように、今のうちにやさしくしておきましょう。

  • イソップ寓話の教訓No.89「ヘルメスとテイレシアス」

    人を試すことは自分も試される!

    ストーリー

     ヘルメスはテイレイシアスの予言が本物かどうか試してみたくなって、彼の牛を畑から盗んでおいて、人間に姿を変えて町へでかけ彼の家に行った。

     一対の牛がいなくなったとの知らせが入ったので、テイレシアスはヘルメスを伴って郊外へ出かけた。盗難について鳥占いをするため「何か鳥を目にしたら教えてくれ!」とヘルメスに頼んだ。

     ヘルメスは初めに鷲が左から右へ飛び過ぎるのを見たので、それを言った。

     ところがテイレシアスは「それは牛とは無関係だ!」と言う。

     次にヘルメスは烏が木にとまり、空を見上げたり地面をのぞき込んだりするのを見たので、それを説明したところ、テイレシアスが言うには、

    「その烏は天と地にかけて証言しているぞ。お前さえその気になれば、私の牛が戻ってくる、とな!」

    ※ヘルメス 富と幸運をもたらす守護神と考えられた。
    ※テイレシアス 名高い盲目の予言者。

    人を試すことは自分も試されている。自分で悪事を働きながら、被害者の前に現れて無関係を装っても見透かされる。そして、いつ白状するのか観察されている。当然に信頼関係は壊れる。

    類似教訓
    イソップ寓話の教訓No.57「老婆と医者」

    ヘルメスとテイレシアスの画像
    イソップ寓話の教訓No.89「ヘルメスとテイレシアス」
  • イソップ寓話の教訓No.56「女魔法使い」

    知識を持つ!

    ストーリー

    魔法使いの女が神様の怒りを解く呪文やお祓いを売り物にして、またそれがよく当たり、相当なお金を貯めこんでいた。

    ところが人々は、この女が宗教の改革を企てるものだとして告発し、裁判を受けさせ、罪状をあげて死刑判決を下した。

    裁判所から引き出された女を見たものが言うには、

    「おい、お前は神様の怒りを解くことができるのに、どうして人間の怒りを解くことができなかったんだ」

    知識を持つこと。いろいろな自然現象も自然や科学の知識があれば、原因を究明できる。何も知識のない人に、呪術的な言動で自然現象を伝えれば、信じることがあるかもしれない。人は知らないことに、ある種の恐怖を抱く。魔法使いとは、その程度のものだろう。

    女魔法使いの画像
    イソップ寓話の教訓No.56「女魔法使い」
  • イソップ寓話の教訓No.48「ナイチンゲールと蝙蝠」

    トラブルに会ってから行動を変えても遅い!

    ストーリー

    窓辺につるされたナイチンゲールが、夜になると歌を歌っていた。

    蝙蝠が歌を聞きつけ、近くに来て「昼間は静かにしているのに、なぜ夜になると歌うのか?」と訳を尋ねた。

    ナイチンゲールは「これには深い訳があるのです。ある日、昼間に歌っていて捕まったので、それ以来、昼間に歌うのは懲りたのです」と答えると、

    蝙蝠が言うには、
    「今ごろ警戒しても始まらないよ。捕まる前にすべきだ!」

    困難に会ってから行動を変えても遅い、油断禁物だ。
    窓辺につるされた鳥籠から知恵と行動力で飛び立つ鳥がいるように、万一困難にあっても克服する気概を持ちたいものだ。

    ナイチンゲールと蝙蝠の画像
    イソップ寓話の教訓No.48「ナイチンゲールと蝙蝠」
  • イソップ寓話の教訓No.47「内臓を吐く子供」

    欠乏感は増幅する!

    ストーリー

    野原で生贄の牛を焼く人達が隣人を招いた。その中に貧しい女がいて、腹を空かした子供も一緒にやってきた。宴会が行われているあいだずっと、この子供はもつ焼きを食べ続けていたので、お腹がはちきれんばかりに膨らんだ。
    子供は「お母さん、内臓を吐きそうだよ」と言うと、
    母親が答えて言うには、
    「坊や、それはお前の内臓ではなくて、お前が食べた牛の内臓だよ。」

     欠乏感は増幅する。自分の中に生まれた欠乏感は「欲しい欲しい、足りない足りない、もっともっと」と、求めてもがきまわる。
    必要以上に詰め込んで、出すときは自分の身を削るがごとく感じてしまう。
     現代社会への教訓として、貧困であるが故の無知な子供が、生贄を無制限に食べることで、神聖なものを食べ尽くす、ある種の「無知」を象徴している。隣人の善意で招かれた宴が、貧しい者にとっては、逆に苦しみを生むことになる。
     つまり、善意は必ずしも幸福をもたらすわけではなく、受け取る側の理解が必要なのだ。

  • イソップ寓話の教訓No.66「少年と肉屋」

    言葉だけの取り繕いは信用を無くす!

    ストーリー

    二人の少年が肉屋に入って行った。肉屋がむこうを向いている隙に、一人がもも肉をくすね、もう一人の懐に放り込んだ。

    肉屋が向き直ると、もも肉がなくなっていた。肉屋は「お前らだろう」と言うと、盗んだ少年は持っていないと誓い、持っている少年は盗んでいないと誓った。

    肉屋は二人の悪だくみに感づいて言うには

    「嘘を言ってこの場を逃れたとしても、神々からは逃げられないぞ!」

    言葉だけ取り繕っても不法行為に変わりはない。

    少年と肉屋の画像
    イソップ寓話の教訓No.66「少年と肉屋」
  • イソップ寓話の教訓No.39「燕と鳥たち」

    先を見通し行動すること!

    ストーリー

    宿り木が育ち始めるや、燕はそれが鳥たちに及ぼす危険を察知して、鳥たちを残らず集めた。

    燕は「宿り木を宿す木を切り倒すか、それが出来なければ、人間の所へ助けをもとめ、宿り木の実から作った鳥もちで、自分たちを捕まえないよう頼んでおけ」と忠告した。

    「つまらないことを言うやつだ!」と鳥たちが一笑に付すので、燕は一人で人間を尋ね嘆願者となった。

    人間は燕が賢いことを知って向かえ入れ、一つ屋根の下で暮らすことを許した。

    こうして他の鳥たちは人間に捕らえられ食べられるが、燕だけは保護されて、人間の家でも安心して巣作りすることになった。

    ※宿り木:北海道から九州に分布し、エノキ、ブナ、ミズナラ、ケヤキやサクラなど落葉樹に寄生する。果肉はもちのように粘りがあり、鳥黐(とりもち)として、細いサオの先に塗って、小鳥や昆虫の捕獲に使われた。

    教訓
    先を見通す”感”を養うことだ。先を見通す”感”を養うために経験や努力も必要になるから常に先を読むように心がけること。先を見通し正しい判断を下せる能力があれば、人の上に立てるはずだ。

    この物語に出てくる燕のように皆に笑いものにされても、自分を信じて行動することで生き残ることもできる。

    燕と鳥たちの画像
    イソップ寓話の教訓No.39「燕と鳥たち」