ロバの性格を見破った男の話
ストーリー
男がロバを買おうとして試しに連れて帰り、自分のロバと一緒にしてみた。
連れて来たロバは、自分のロバの中で最も怠け者で、最も大食いのロバの側へ行った。
そして何もしようとしないので、男は縄をかけて元の持ち主に返した。
元の持ち主は「こんなに速く気性がわかったのか?」と尋ねたところ、男は答えて、
「こいつが仲間に選んだ奴を見て、どんな奴か分かったのさ!」
類は友を呼ぶ。人も動物も気の合う者や似た者同士は、自然に集まって仲間を作るものだ。

慢心を戒める教訓
ロバの性格を見破った男の話
ストーリー
男がロバを買おうとして試しに連れて帰り、自分のロバと一緒にしてみた。
連れて来たロバは、自分のロバの中で最も怠け者で、最も大食いのロバの側へ行った。
そして何もしようとしないので、男は縄をかけて元の持ち主に返した。
元の持ち主は「こんなに速く気性がわかったのか?」と尋ねたところ、男は答えて、
「こいつが仲間に選んだ奴を見て、どんな奴か分かったのさ!」
類は友を呼ぶ。人も動物も気の合う者や似た者同士は、自然に集まって仲間を作るものだ。

ストーリー
亀と兎が足の速さのことで言い争い、勝負の日時と場所を決めて別れた。
兎は生まれつき足が速いので、真剣に走らず道から外れて眠り込んだが、亀は自分の歩みが遅いこと
を知っているので、地道に歩き続け、兎が居眠りしている横を通り過ぎ、勝利のゴールに到着した。
努力は素質に勝る。

ストーリー
羊飼が羊の群れを村から遠く追って行きながら、いつも、いつも、いたずらをして村人をだましていた。
狼が来てもいないのに、大声で「狼が羊を襲いに来た、助けて!」と言っていた。
最初のうちは、村人も慌てて飛び出してきて、いたずらだったことに気づき、やがて笑いものにされて戻って行った。
とうとう本当に狼が羊を襲いに来てしまった時、羊飼は助けを求めて叫んだが、村人は「また、いつものいたずらさ!」と気にもかけなかった。
こうして羊飼いは、羊を失ってしまった。
嘘つきのレッテルを貼られると真実も信用してもらえない。

善意の浪費!
ストーリー
家で英雄を祀り、惜しみなくお供えをする男がいた。
生贄のために毎日お金を使い、おびただしくつぎ込むので、英雄が夢枕に立って告げた。
「そこの者、財産を湯水のように使い果たすのはやめよ!貧しくなったら私の所為にするだろうから。」
この寓話の教訓は、信仰や敬意も節度を欠けば自己破滅につながるというものだ。強すぎる敬意や信仰心は、かえって自分を苦しめることになるためバランスが必要だ。
英雄が夢枕に立ち忠告するのは、男の信仰が暴走し、理念そのものが信頼を失う危機に瀕していることを示していると言えるだろう。
男の行為が象徴しているのは「善意の浪費」で、結果的に資源やエネルギーを無駄にし、持続可能性や成果を損なう可能性を暗示している。
組織における善意の浪費として、次のケースは良くある話だ。
・職場の誰かが休職し、その仕事をやむなく分担させられると言った「助け合い文化」は、助ける側の善意で成り立つものだ。しかし負担も限界を超えると疲弊と不満を生むことになる。
・制度が不十分でも「みんな我慢してやっているから」で済まされてしまう「現場の努力」に頼るマネジメント。
善意は有限の資源と考え、その搾取を防ぐには、「境界の設計」と「責任の明確化」が鍵となる。「できること」と「やるべきこと」を区別し、「条件付きの協力」として提供する。
善意が「当然」にならないよう、見える形での評価や報酬を求める必要がある。善意を燃料にするなら、構造というエンジンの設計が必要だろう。持続させるためには、構造の責任が大きく関係するからだ。
組織が守らない者たち!
ストーリー
ライオンが農夫の娘に惚れて求婚した。農夫は獣に娘を嫁がせるわけにはいかず、しかし、恐ろしくて拒否もできないので、策を考えた。
農夫は「ライオンは娘の婿にふさわしいが、牙を抜き爪を切らなければ、嫁にはやれない!娘は、それが怖いと言っている」と言った。
ライオンは惚れた弱みで条件をのんだ。
牙を抜き、爪を切ったライオンが近寄ってくると、農夫は棒で叩いて追っ払ってしまった。
相手の心をつかみたいなら、相手が夢中になるものを持っていることが有効だろう。
もしライオンが牙や爪ではなく、資産や影響力を持っていたら?
農夫は「恐怖」ではなく「利得」に心を動かされたかもしれない。
組織においても、力の形が「脅威」から「価値」へと変わると、扱いは一変する。
この寓話を組織構造的に読み解くなら、こう言える。
組織に受け入れられたい者は、しばしば「牙と爪=本来の力」を手放すよう求められる。
ライオンはそれに従い、能力を放棄した。だが、能力を失った者は、組織にとって「守るべき存在」ではなく「排除すべき余剰」と見なされる。
かつては競争相手だった者が、今では記憶にも残らない。
それが、力を手放した者に待つ現実なのだ。
では、力を手放さずに関係を築くにはどうすればよいのか?
そのヒントを、心理学の世界から借りてみよう。
アメリカの心理学者アーサー・アーロン博士をご存じだろうか?
「見知らぬ男女を恋愛関係に導く36の質問」を発表した人物だ。
互いに質問に答えるだけのシンプルな方法だが、関係性の構築において「力」ではなく「共有」が鍵になることを示唆している。
興味のある方は、試してみるのも一興だろう。
過剰な自己意識
ストーリー
蚊が牡牛の角に止まってしばらく休んでいた。そろそろ飛び去ろうとして「もう離れてもらいたいか?」と尋ねたところ、牛はそれに答えて、
「お前が止まっていたのも気付かなかった。飛び去っても気付かないだろうな!」
蚊は自分の存在が牛にとって重要だと思っているが、牛はまったく気づいていない。これは、自分の影響力を過大評価する人への皮肉とも取れる。自分が思うほど他人は気にしていないことがある。うぬぼれには注意が必要だ。
この寓話を組織内で自分の役割や影響力という側面からみてみよう。
・「この職場は自分がいないと回らない」と思っているが、実際には…?
・上司が自分の貢献に気づいていないと感じるとき、それは本当に無視なのか、それとも構造的な鈍感さなのか?
これらの認識は自分の存在が相手に影響を与えているはずだという思い込みや、自分の行動が相手の判断や感情に左右されるべきだという前提からきている。
相手が気づいていないなら、気づかせる必要もない。自分の影響力を冷静に見極め、必要以上に自分を主張しないことだ。
蚊の問いかけは「もう離れてもらいたいか?」と尋ねる前に、自分の存在が本当に相手に影響を与えているかを見極めること。それが、成熟した組織人としての第一歩かもしれない。
チャンスは突然現れ、一度逃したら二度と戻ってこない!
ストーリー
犬が小屋の前で眠っていた。
狼はこれを見つけ、捕まえて食べてしまうこともできたが、犬が「今は放してください!痩せてガリガリですが、ご主人が結婚式をなさいます。後になれば太った私を食べることが出来るのです!」
狼はもっともだ!と思い逃がした。
しばらくして狼がやってくると、犬は屋根の上に寝そべっていた。
約束を思い出し「下りて来い!」と言ったところ、犬は答えて、「狼さん、今度私が小屋の前で寝ていたら、ご主人の結婚式まで待たないほうが良いですよ!」
犬の立場から見ると、「今は痩せているが、後で太るからその時に食べてくれ」と未来の利益を提示することで、目前の危機を回避した。
狼の立場から見ると、犬の巧みな語り口に説得され、目先の確実な利益を逃してしまった。
この寓話の教訓は、「チャンスは突然現れ、そして一度逃しら二度と戻ってこない。だから常に備えよ!」ということだろう。
では、これを組織構造の力学として読み解くとどうなるだろうか。以下に事例を紹介する。
ある組織が、将来的な事業の先細りを懸念してリストラを開始した。対象となった部門は、「あと半年でプロジェクトが完成し、大幅な売上増加に貢献できる」と主張し、説得力のある資料を提示してリストラの延期を勝ち取った。
しかし半年後、期待された成果は出ず、結局その部門は再びリストラ対象となり、従業員は解雇されてしまった。
もし半年前にリストラが実施されていれば、組織内はまだ再編途上であり、他部門への異動という選択肢も残されていた。だが、延期によってその受け入れ先は消滅し、結果として従業員は行き場を失った。
この構造的な流れは、まさに「一度逃したチャンスは二度と来ない」という教訓を裏付けている。
社内称賛と市場価値の乖離!
ストーリー
下手な竪琴弾きの歌手が、漆喰塗りの家でいつも歌っていたが、声が良く反響するので、自分はなかなかの美声だと思うようになった。
そして次第に自惚れが昂じ、劇場に出演することになった。
しかし舞台に上がってみると、その歌は話にならないほど酷く、石を投げられ追い出された。
この寓話の教訓は、環境による錯覚に惑わされず、客観的な自己評価を持つことの大切さを教えている。
漆喰の家の反響によって自分の声が美しいと錯覚し、自惚れが高じて公の場に出た結果、現実を突きつけられ、恥をかくことになったというものだ。
環境や状況は実力を誤認させることがある。過信は失敗のもとであり謙虚さと学びの姿勢が成長を促すことになるのだ。
では、組織構造の側面で教訓を解釈してみるとどうなるか。
組織内部の評価基準や報酬の仕組みが、閉鎖的な社内環境の中でのみ機能し、外部の現実や市場の変化には対応できない構造になっていると言えるだろう。
例えば、
・売上金額や利益額、利益率が重視され、顧客満足や商品改善提案は軽視されるなど閉鎖的な評価指標である。
・社内で優秀とされる人物が、外部で通用しないと言った市場とのズレ。
・外部志向の人材は評価されずに、結果的に離職が多い。
このような構造の欠点は、市場競争力の低下や人材流出、採用難に直面するだろう。
あなたが勤めている組織は閉鎖的な組織ですか?
それは、あなた自身が“漆喰の家”の中で心地よく歌っているのか、それとも“劇場”に立つ覚悟があるのかを問うているのです。
説明責任と構造の限界
ストーリー
小さな島で二匹のセンチコガネが牛の糞を食べて生きていた。
やがて冬が近づくころ、一匹が「本土に渡って冬を過ごしたい。そうすれば一人残った君には餌が十分回るだろうし、もし食べ物がたくさん見つかれば運んできてあげるよ!」と言った。
本土へ来てみると、水気たっぷりの牛の糞がどっさり手に入り、そこに留まって身を養っていた。
冬が過ぎ、島に戻ったところ、彼は色つやも良く、元気そのものなのを見て、島に残っていた一匹は「約束したのに何も持ってこなかった!」と非難した。
そこで本土へ渡って冬を越したセンチコガネが言うには、
「ぼくでは無く、土地に文句を言ってくれ!本土の土地から栄養は摂れるが、運べる食べ物は無かったんだ!」
センチコガネ:糞虫
組織や人間関係における「期待」「約束」「成果」「責任転嫁」といったテーマを巧みに映し出している寓話だ。
組織でも「成果を共有する」「情報を持ち帰る」といった約束が、部署間の壁や権限の違いによって成果を果たせないことがある。
また、あるメンバーが恵まれた環境で成果を上げる一方、他者が苦境にあると、嫉妬や不信感が生まれやすい。
結果的に約束が果たされず、信頼を損ない、追及された結果、「土地に文句を言ってくれ!」と責任逃れにも聞こえるが、構造的な制約への洞察とも取れる説明をしている。
この説明の責任転嫁と構造的制約の境界線は、語り手の誠実さと聞き手の理解力に依存することになる。
誠実な語り手は、自分の成果だけでなく、果たせなかった約束の理由も正直に伝えることができる。また、相手の期待や感情に対する共感も含まれるため、結果が伴わなかったときにどう説明するかが信頼の分かれ目だ。
島に残ったセンチコガネは、本土の地形や糞の状態を知らない。だから「運べなかった」という説明を、信じるか疑うかは、相手の状況を想像する力にかかっている。誠実な説明を受けたときに、それを「裏切り」ではなく「構造的な限界」として受け止めるか、「次はどうすれば共有できるか?」と建設的に考えることが出来るかが、聞き手の理解力である。これらは、日頃からどれだけ他者の状況を知る機会があるか、どれだけ説明が許される文化かに左右されるだろう。
あなたは本土に渡って冬を越したセンチコガネの説明を、どのように理解しただろうか?「責任逃れ」か、「構造的な限界」か。
万一、あなた自身が約束を果たせなかったとき、どのように説明するだろうか?
見えない強さとは!
ストーリー
ある日、樫が葦に言った「お前は小さな鳥がとまっても重そうに頭を下げている。それに比べ私は太陽の日差しも遮ることが出来るし、北風にも堂々と立ち向かう。」
ところが、ある時、大風が吹き、葦は体を曲げ突風に身を任せて倒れるのをのがれた、しかし樫は抵抗して踏ん張ったところ根っこから倒れてしまった。
この寓話は「真の強さとは、状況に応じてしなやかに対応できること」だという深い教訓を伝えているのだ。
プライドが高い頑固者は環境の変化に柔軟に対応できず滅ぶ。弱いものは肩身が狭くストレスがたまるが、それが生き残る秘訣となることがある。弱さとは、力を持たないことではない。それは、力を誇示せず、状況に応じて身を引く知恵である。肩身の狭さや沈黙は、時に戦略的な選択であり、嵐をやり過ごす術でもある。
樫と葦の寓話は、私たちにこう語りかける——「耐える力」とは、必ずしも踏ん張ることではないと。
樫はその場に留まることで力を示そうとしたが、根こそぎ倒れた。葦は揺れ、曲がり、流れに身を任せることで生き延びた。
組織もまた、変化に抗う構造ではなく、変化を受け入れる構造こそが持続可能性を持つ。人も同様だ。固定的なヒエラルキーや硬直したルールがつづけば、樫のように倒れる。一方、役割が流動的で、境界をまたぐ人材が活躍できる組織は、葦のようにしなやかに生き延びる。
持続可能性とは、構造の柔軟性に宿るのだ。柔軟さは、弱さではない。見えない強さの証である。それは、嵐の中でも根を張り続ける力であり、変化の波を乗りこなす知恵である。
変化の風が吹いたとき、あなたは踏ん張って耐えていないだろうか?
虚勢の代償
ストーリー
ある人が船出に際し、猿を一緒に乗せた。
スニオン岬のあたりに来た時、激しい嵐に見舞われた。船が覆り全員が海に飛び込んだところ、この猿も泳ぎだした。
イルカがこれを人間だと思い、真下にくると背中に乗せて運んでやった。
そしてアテネの外港ペイライエウスに近づいたところで「アテナイの方ですか?」と猿に尋ねた。
「その通り、そこの名士の子だ!」と猿の回答に、イルカは「ペイライエウスをご存じですか?」と聞いた。
すると猿は、てっきり人間のことだと思い「毎日のように会う友人だ!」と答えた。
イルカはこの嘘に腹を立て、猿を水に突き落とし溺れさせた。
※スニオン岬:ギリシャのアッティカ半島の最南端にある岬
※ペイライエウス:ギリシャのアッティカ地方にある港湾都市
知ったかぶりで振る舞えば、いずれその浅さは露呈する。虚勢は状況を好転させるどころか、かえって信頼を損ない、事態を悪化させることが多い。
この寓話が教えてくれるのは、単なる戒めではなく、信頼とは構造的なものであり、誠実さによってしか支えられないということだ。
虚偽の応答はその構造を揺るがし、やがて排除というかたちで応答される。だからこそ、虚勢に頼るよりも、誠実さと沈黙を選ぶ勇気が必要なのだ。
そして、そうした構造を壊す振る舞いに巻き込まれないためにも、距離を取るという選択は、自己防衛であり、倫理的な判断でもある。
危機が去った後に問われる倫理
ストーリー
人々が船に乗り込んで航海にでた。ところが沖に出たところで嵐となり、船は今にも沈みそうになった。乗客の一人は着物を引き裂き、泣きわめきながら祖国の神々に呼びかけて、皆の命が救われたなら、感謝の供物をささげると約束した。
嵐がやむと、安堵の気持ちから、祝宴をあげ踊ったり跳ねたりした。しかし舵取りの男は堅実だったので、彼らに対して言った、
「皆さん、また嵐に会うかもしれない、という気持ちで喜ばなければなりません!」
この寓話は、安堵や成功の瞬間にこそ油断せず、次なる困難に備える慎重さを忘れてはならないことを戒めているように思える。
嵐の中で立てられた誓いや祈りは、危機に直面した人間が即興的に立ち上げる「仮構の倫理」だ。これは、平時には見えにくい誠実さや連帯感が、非常時に一時的に浮かび上がる構造である。しかし、嵐が去った途端に祝宴を開き、誓いを忘れてしまう姿は、倫理が構造化されていないことの証でもある。
誓いを誠実に守るという行為は、単なる感情的な反応ではなく、倫理を構造に組み込む第一歩である。誠実さが持続するからこそ、次なるリスクにも冷静に備えることができる。危機の中で立ち上がった倫理を、危機後にも維持できるかどうかが、組織の成熟度を測る試金石となる。
組織も人も同様に、危機を回避した後に慢心するのではなく、次の波を見据えながら、持続可能な構造を築く姿勢が求められる。嵐の中で立ち上がった誓いを、嵐が去った後にも守る仕組み。それこそが、構造的誠実さの核心である。
あなたは嵐の後に、誠実に約束を守っているだろうか。