カテゴリー: イソップ寓話

イソップ寓話にまつわる教訓を掲載

  • イソップ寓話の教訓No.378 「二つの壺」

    被害を受けないために!

    ストーリー

    土の壺と金属の壺が一緒に川を下っていた。

    土の壺が金属の壺に向かって言った。

    「あまり近寄らないでくれ。君が僕にぶつかたら、僕は壊れてしまうんだ!」

     独善的な権力者のもとでは、いつも被害を受けるのは弱い者だ。
     権力者が自分の価値観だけを「正義」として押し通すとき、他者の尊厳や限界は無視され、搾取がすました顔で行われる。

     サービス提供の現場でも、こうした構造は見られる。
     「顧客は神様」という文化のもとでは、サービス提供者が常に下位に置かれ、顧客の要求が絶対視される。
     「お金を払っているんだから当然だ」という理屈が、提供者の人間性や限界を踏みにじる言動を正当化してしまう。
     このような場面に心当たりはないだろうか。顧客が独善的な権力者のように振る舞い、価値観や都合を一方的に押しつけてくる。そのとき、提供者が「自分を守るために距離を取る」という選択は、逃避ではなく倫理的な自己防衛である。
     これは、壊れやすい土の壺のような存在が、自らの形を守るために距離を取るという話だ。
     壺は「触れるなら敬意を持って」と静かに語る。乱暴に扱われれば割れてしまう。だからこそ、あえて他人行儀で距離を保つことが、尊厳を守るための正しい行動なのだ。
     境界線を引くことは、関係を断つことではない。
     それは、関係の中で自分の尊厳を保ち、搾取を許さないための構造的な再設計である。
    そしてその選択は、弱さではなく、壊れやすさを知る者の強さだ。

  • イソップ寓話の教訓No.359 「猿の真似をした驢馬」

    自分の役割を理解する!

    ストーリー

     猿が屋根に上って跳ねたり踊ったりしていたところ、それを見ていた男は笑いながら褒めていた。

     翌日、驢馬が屋根に上り跳んだり跳ねたりしたところ、屋根を壊してしまった。

     男は屋根から驢馬を引きずり下ろし、怒鳴りつけながら棒で驢馬を叩いた。

     背中の痛みに苦しみながら驢馬がうったえた、

    「きのう、猿は私と同じことをして笑いながら喜ばれていたのに!」

     自分の役割を理解する!驢馬の役割は荷物を運ぶこと。猿のように道化の真似をしても失敗するのは当たり前。人も自分の役割を果たせば周りから認められるだろう。見栄や嫉妬で自分の役割でないことを演じてもリスクを背負うだけ。

    ◎男の視点では・・・
     驢馬には荷物を運ぶという本来の役割がある。猿のように跳ねて見せようとしても、身体的な特性や期待される機能が違うため、失敗するのは当然だ。人もまた、自分の役割を理解し、それを果たすことで周囲から認められる。見栄や嫉妬で他者の役割を演じようとすれば、痛みや損失を背負うことになる。
    ◎驢馬の視点では・・・
     しかし、その「役割」は誰が決めたのか?驢馬が跳ねたのは、猿のように認められたいという願いだったかもしれない。にもかかわらず、驢馬は「猿と同じことをしたのに」と訴えても、その声は無視される。これは、評価が主体によって変わる構造的不公平を示している。行動の背景や限界を見ずに、結果だけで裁く社会の縮図だ。
    ◎たとえるなら…
    これは、異なる靴を履いた者に同じ道を跳ねさせる試練のようなもの。猿はスニーカー、驢馬は鉄の靴。同じ道を跳ねても、負荷も結果も違う。それなのに「猿はできたのに、お前はなぜ出来ない」と叱るのは、構造を無視した裁きだ。
     あるいは、舞台の裏方がスポットライトを浴びようとした瞬間に叱られる物語とも言える。「君は照明係だ。ステージに立つのは役者だけだ」と言われる。でもその照明係は、心の奥でこう思っていた。「私にも、光を浴びる瞬間があっていいはずだ」と。
     「自分の役割を理解する」ことと、「その役割が公正に設計されているかを問い直す」ことは、両立すべきである。
     驢馬が跳ねたことは、単なる失敗ではなく、認められたいという声なき叫びだったろう。その声を聞き取ることが、社会の構造をより公正にする第一歩となる。

  • イソップ寓話の教訓No.349「ランプ」

    上には上がいる!

    ストーリー

    ランプがアルコールのしみ込んだ芯から炎を出して

    「星よりも明るく、いろいろなもの明るく照らすことができる」と自慢した。

    ところが風が吹くと、たちまち炎は消えてしまった。

    側にいた人が再び火をつけてランプに言った。

    「さあ、ランプよ照らしてくれ。そして黙るのだ。星の光は風が吹いても消えないぞ!」

     上には上がいるのだ。自分のいる狭い世界では一番だったとしても、外の世界にでれば更に優れている者はいるものだ。無駄な自慢をせずに淡々と自分の役割に専念することだ。

  • イソップ寓話の教訓No.348「狼の将軍と驢馬」

    日本の政治家

    ストーリー

     狼の群れの将軍となった狼が皆のために法律を定めた。
     「もし何か手に入ったら、すべて公にして、皆に公平に分配する」と。そうすれば、ひもじい思いで共食いがなくなるだろう、と言うわけだ。
     そこへ驢馬が通りかかり、たてがみを振りながら言った。
     「狼の将軍は素晴らしい法律を定めましたね。ただ、昨日おれは見たよ。権力によって得たものを、こっそり懐にしまっていましたね。それはどういう訳ですか。」
     悪事のしっぽをつかまれた狼は、しばらくの間「記憶にない」と、とぼけていたが、証拠を突き付けられると、あっさり認め謝罪した。そして、その法律を廃止した。

     多くの国民は少ない収入で生活をやりくりしているが、その国民を下に見るように横柄な言動を行い、本当は誰がみても黒なのに、白だと言い続け、間違いを認めない、そして正さない。悪事がばれると批判を浴び、口先だけの謝罪を行い、本意でないふりをする。
    権力を利用して人知れず懐を肥やす。まさに日本の政治家だ。
     国会のやり取りを見てほしい。この話そのものが現実に起きていることが分かるだろう。
     「記憶にない」ととぼける狼。自民党の裏金議員は、まさに「こっそり懐にしまっていた」狼の姿と重なる。理想を語りながら、実際には権力維持のために制度を曲げる――この寓話は、疲弊した政治制度そのものを突いているようだ。
     「狼の将軍は、理想を語った。だが、理想を語る者が最も危険なのは、それを盾にして自らの行動を免罪する時だ。

  • イソップ寓話の教訓No.331 「犬と兎」

    惰性の取り組みに向上はない!

    ストーリー

    ある日、猟犬が茂みの中に入る兎を見つけた。

    猟犬は兎を捕まえようと茂みから追い立てたところ、兎は勢いよく逃げ出し、猟犬は全速力で追いかけた。

    ところが兎の方が足が速く、あっという間に逃げられてしまった。

    それを見ていた牧羊犬が言った。「お前は、それでも猟犬か?あんなに小さな兎がお前より速く走って逃げきったじゃないか。」

    それに答えて猟犬が言った。「おれは楽しみで追いかけたが、兎は災難から逃れようと全力で逃げたからさ。」

     惰性で取り組んでいては、向上は望めない。 全力で挑む者と、惰性で流す者とでは、上達の質も速さもまるで違う。 まして「本気じゃなかったから仕方ない」と言い訳するようでは、成長の機会を自ら手放しているようなものだ。
     たとえば、組織で行われる定例会議を思い出してほしい。 上司は数字を追い、部下に圧をかけるために会議を開く。 参加者は、毎週繰り返されるその場を「惰性の儀式」と感じながら、 仕事をしているふりを演じる。 外から見れば、チーム全員が目標に向かって努力しているように映るかもしれない。
     だが実際には、誰もが「無駄な時間」と感じながら、 その場の空気に身を委ねているだけだ。
      しかし、それは甘えだ。 その甘えが許されるのは、仕事の本質が問われていないからに過ぎない。 本気で走らなくても成立する仕事は、やがて淘汰される。 惰性で続く組織は、いずれ本気の個人や集団に追い抜かれる。
      だからこそ、今問うべきなのだ。「これは惰性か?それとも本気か?」 その問いが、質の転換点になる。

  • イソップ寓話の教訓No.92  「二匹の犬」

    自分の違和感は正義の芽かもしれない!

    ストーリー

     犬を二匹飼う男がいて、一匹には狩りを仕込み、もう一匹は番犬にした。

     猟犬が狩りに出て何か獲物をとってくると、男は番犬に分け前を与えた。

     猟犬は腹に据えかねて番犬に向かって「おれが外へでて苦労して獲物をとっているのに、お前はのほほんとして分け前にあずかり、おれの稼ぎで贅沢三昧だ」と非難した。

     それに対して番犬が言った「おれにそんなことを言ったって仕方ないだろう。主人に文句を言ってくれ!躾けられたとおりにしているのだからな」 

     苦労は力になる。だが、その苦労が正当に報われる仕組みがなければ不満がたまり、やがて仕組みや制度を見直す正義に変わる。

     会社勤めをしていれば、こんな違和感を覚えたことはないだろうか。
    「同じ給与なのに、あの人は涼しい事務所でパソコンを叩いているだけ。自分は炎天下や寒空の下、取引先に頭を下げて回っているのに…」そんな不公平感が、静かに心に積もっていく。
     このような不公平な制度に違和感を持っていても、昇進や内勤に異動してしまうと、何も疑問を抱くことが無くなる。不公平な制度の恩恵を受けている者は、それを変える動機がない。だから、不公平な仕組みが連綿と続くことになる。
     最初に感じた違和感を忘れずにいることは、自分の感性を麻痺させないための自己防衛でもある。それは、倫理的な感性がまだ生きている証であり、制度を問い直す力の源泉だ。この感性を守り、育てることこそが、変革の始まりになる。
     同じ環境に長くいると、刺激が鈍化し、違和感すら感じなくなることがある。だからこそ、休みをしっかりとり、いつもと違う風景に身を置いてみる。
     その静かな揺さぶりが、麻痺しかけた感性を呼び起こし、自分を取り戻すきっかけになるだろう。

  • イソップ寓話の教訓No.336 「ライオンと狐と鹿」

    立場をわきまえていれば騙されない!

    ストーリー

     岩がちの谷に住むライオンが病気になって体を横たえながら、友だちの狐に向かってこう言った。

     「松の木の下の藪に鹿がひそんでいる。そいつを食べたいが、もはや自分では追う力がない。あいつを言いくるめてここまで連れて来てくれ。」

     その頼みを聞いた狐は、鹿のひそんでいる藪まで来ると鹿に向かって「今日は、めでたい話を伝えに来た」と語りかけた。

     「私の隣人のライオンは具合が悪くお迎えも近いのです。誰が次の王になるのが良いかと腐心しておられた。結局は鹿が王にふさわしいとお考えだ。姿が誇らしく、長寿で、角は立派だ。これからライオンのお側に行って、苦しむライオンを元気づけるべきだ。」

     狐がこのように言うと鹿はのぼせ上り、ライオンの穴へと入って行った。

     するとライオンは鹿を見るなり、やみくもに襲いかかったので、爪の先で鹿の耳をちぎっただけで、鹿は一目散に逃げ帰ってしまった。

     ライオンは狐に「もう一度あらたな策略を考えてくれ」と頼んだ。

     狐は逃げた鹿の足跡をたどり、走り疲れて木陰で休んでいる鹿を見つけた。鹿は狐を見るなり、怒りながら言った。「憎いやつめ。今さら何し来た。他の奴を選んで王にするがいい。」

     しかし狐はへこたれず、こう言った。「ライオンはあなたに耳寄りな忠告をしようとして、耳にさわったのです。あなたは無理に身を引き離したから怪我が大きくなったのです。ライオンに敵意は無く、好意からあなたを百獣の王にするのです。」

     こうして狐は鹿をライオンの穴へ再び入らせた。

     ライオンは鹿を餌食にして独り占めした。ライオンが食べている間中、腹をすかせた狐は突っ立っていた。そこへ鹿の心臓が転がって来たので、狐はこっそり飲み込んだ。

     ライオンは鹿の内臓をひとつづつ数えてみたが、心臓だけが見つからず洞穴中を探し回った。

     すると、それを見ていた狐が言った。

     「探しても無駄です。初めから無かったのです。ライオンの住処に二度も入ってくる鹿に、どんな心臓があるというのですか?」

     あまりに都合の良い話に疑問を持てる人は、幻想に飲み込まれず、搾取を避けることができる。
     だが、騙される人は自分の立場をわきまえていない。だからこそ、おだてに乗り、のぼせ上がり、自滅してしまう。

     立場をわきまえていれば、降って湧いたような名誉や誘惑に感情を乱されることもなく、冷静に距離を取ることができる。幻想に抗う力は、立場の認識から生まれる。

     ここで言う「立場をわきまえる」とは、自分を卑下することではない。それは、語りの裏を読み、不釣り合いな称賛や権威に惑わされず、搾取を遠ざける知性である。

     立場をわきまえていれば、騙されることはない。
     あまりに都合の良い話に疑問を持てる人は、幻想に飲み込まれず、搾取を避けることができる。
     だが、騙される人は自分の立場をわきまえていない。だからこそ、おだてに乗り、のぼせ上がり、自滅してしまう。
     立場をわきまえていれば、降って湧いたような名誉や誘惑に感情を乱されることもなく、冷静に距離を取ることができる。幻想に抗う力は、立場の認識から生まれる。
     ここで言う「立場をわきまえる」とは、自分を卑下することではない。それは、語りの裏を読み、不釣り合いな称賛や権威に惑わされず、搾取を遠ざける知性である。
     あなたは今、どんな語りに心を動かされているだろうか。
     それは、あなたの立場を尊重するものか。それとも、搾取の入り口か。

  • イソップ寓話の教訓No.326 「臆病な猟師」

    「ふり」をする人は馬鹿にされる!

    ストーリー

     臆病な猟師が、木がうっそうと茂る山でライオンの足跡を追っていた。
     大きな木の側で木こりに出会って、「森のニンフにかけてお願いだ。この辺りの洞穴に住むライオンの足跡をしらないか?」と尋ねた。
     木こりが「それは丁度良いところだった。すぐにライオンの住処へ案内しよう」と答えると、木こりは真っ青になってガタガタ震えながら言った。
     「頼んだこと以上の親切は無用だ。足跡だけでいい!」

    ニンフ:ギリシャ神話の精霊・妖精

     自分はライオン狩りをするような勇敢な人物だと思われたい。誰かにそう気づいてほしい。だから、その誰かにライオンの足跡を尋ねる。
     だが実際には、襲われるのが怖くて狩りなどできない。本当の自分は臆病者で、ライオンそのものには会いたくないのだ。 こんな甘えた人物は、あちこちにいる。 「できるふり」や「しているふり」をする者は、いずれ見抜かれ、嫌われ、馬鹿にされるのが落ちだ。 
     あなたの「ふり」は、誰の目を意識したものだろうか。
     そしてその目は、本当にあなたを見ているだろうか。

  • イソップ寓話の教訓No.327 「海の幸山の幸」

    飽きるのは成長が止まった証拠!

    ストーリー

     狩人は狩りを終えて山から下り、漁師は魚籠を魚で一杯にして戻る途中で、ばったり会った。狩人は海を泳ぐ魚が欲しく、漁師は野の獲物が欲しくてならず、お互いの持っているものを交換した。それからというものは、いつも交換して食事を楽しんでいた。
      それを見た人が言った。
    「習慣になれば、だんだん飽きてきて、その楽しさも消えるだろう。今度は元のものが恋しくなるのだ!」

     人は簡単には手に入らないものほど欲しくなる。しかし一度自分のものになって時間が経つと、つまらなく感じ始める。それは人であっても物であっても同じだ。
     手に入れたものが自分の中で変化しないから飽きる。要するに、そのものに対して自分の気持ちが変化しないから飽きるのだ。自分が成長していると自分が常に変化しているのだから、同じものでも少しも飽きない。飽きるのは成長が止まった証拠。
     あなたが、最近、飽きたと感じるものは何だろうか?

  • イソップ寓話の教訓No.325 「雲雀(ヒバリ)と農夫」

    何かを始めるには、まず自ら動く!

    ストーリー

     雲雀(ヒバリ)が若草の中に巣を作り、雛たちを麦の葉で育てていた。畑の主が見回りに来て、黄金色になった麦の穂を見ると、「そろそろ刈り取りの時期だ。何人か仲間を集めなければならない」と言った。
     雲雀(ヒバリ)の雛が一羽、これを聞いていて父親に、自分たちをどこかに移してほしいと頼んだ。
     父親はしかし「まだ逃げなくていい。仲間を頼りにする人は、そんなに急いでいないものさ!」と言うばかりだった。
     再び、畑の主がやって来て、麦の穂が光を浴びて、こぼれそうになっているのを見ると、次の日に穂の刈り手と、束の運び手を雇うと言いながら、段取りを始めた。
     すると雲雀(ヒバリ)が雛に向かって言った、「今度は本当に逃げる時だ。自分が動き出したのだから」

     何かを始めるには、まず自ら動くこと。
     自らの頭で考えても実際の行動は他人振る!というのは実効性がない。結果の出ない会社の企画によくあるパターンだ。
     この雲雀たちは見事に農夫に見つからず、巣をどこかに移すことが出来ただろうか?
     トラブルをうまく処理して安心から気を緩めたときに次の危険が迫っていることが多いので注意が必要だ。

  • イソップ寓話の教訓No.320 「馬と兵士」

    人は育てられたように育つ!

    ストーリー

     戦争が行われている間、騎士は馬を戦場における戦友とみなして大麦などの餌で大切に養っていた。
     ところが戦争が終わり平和が続くと、騎士も給料が貰えなくなる。すると生活のため、この馬を使って太い丸太を森から町まで引かせたり、雑多な荷物を運ぶ仕事に専念するようになった。
     そして馬の餌は惨めなふすまで命をつなぎ、背中に積むのは騎士の装備ではなかった。
     ところが、新たな戦争のうわさが流れラッパが鳴ると、あの男も再び剣を研ぎ、盾を磨き、馬を飾り、轡を噛ませ、馬にまたがろうとした。
     しかし馬はもはや力なく倒れこんで、男に言った。「歩兵隊として戦争へ行ってください。私を馬から驢馬へ変え、さんざんこき使ったのに、どうして驢馬から馬へ戻そうとするのですか。もうあなたの都合に合わせることができません!」

    ※ふすま:小麦を製粉するときに除かれる外皮部と胚芽

     人は育てれたように育つのだ。そして人も動物も機械も無理をすれば寿命が縮むし、大切にすれば長持ちする。
     会社組織を思い出してほしい。「制度の搾取」「労働の使い捨て」「誠実さの軽視」どれも本人が気づかぬうちに、悪循環にはまる可能性がある。
     人事制度の名のもとに繰り返される、ご都合主義と使い捨て。「育成」「柔軟性」「多様な経験」などの美辞麗句の裏に、誰が決定権を持ち、誰が代償を払っているのか。
     あなたの職場のJOBローテーションは、育成か、消耗か。

  • イソップ寓話の教訓No.316「ヘラクレスとアテナ」

    力で相手を押さえつけようとするのは逆効果!

    ストーリー

     ヘラクレスが狭い道を歩いていると、地面に林檎のようなものが落ちていた。踏みつぶそうとしたところ、それは二倍の大きさになった。さらに強く踏みつけ、こん棒で殴りつけた。
     すると、ますます膨らみ、道をふさぐほどになったので、ヘラクレスがこん棒を投げ捨て、あっけにとられていると、アテナの女神が現れて言った。「ヘラクレスよ、止めるが良い。それは敵がい心であり、争いであるのだ。相手にせずほっておけば元のままだが、力で押さえつけようとすると、このように膨れ上がるのだ」

    ※アテナ:ギリシャ神話で技術、学芸、戦いなどをつかさどる女神。

     争いを力で抑えようとするのは、むしろ逆効果である。
     一方が力を使えば、相手も力で応じる。そうして憎しみは増幅し、争いは収まるどころか、ますます深まっていく。
     ヘラクレスは「邪魔なもの=悪」と見なし、力で排除しようとした。しかしその行為は、対象をますます膨らませ、ついには道を塞ぐほどになってしまう。
     そこへ現れたアテナはこう諭す――「争いは、力で抑えようとすると膨れ上がる。相手にせず放っておけば、元のままなのだ。」
     つまり、敵意に敵意で応じれば、対立は拡大する。争いを鎮めるには、力ではなく、理解と距離、そして知恵が必要なのだ。

    この話の続きが、次のようになれば争いは起きないだろ。
     ヘラクレスはこん棒を捨てた。だが、道は塞がれたままだった。
    そこで彼は、林檎のような塊に近づき、静かに語りかけた。
    「お前は争いの象徴だ。だが、私は争わない。私は、別の道を探す。」
     すると塊は、少しずつしぼみ、地面に吸い込まれていった。争いは、力に反応する。だが、居場所を失うのだ。