自己正当化と集団操作
尻尾のない狐
狐が罠にかかってしっぽを切り取られた。
生きているのも恥ずかしく辛いので、他の狐も同じようにしてやろうと考えた。みんなを同じ目に遭わせて自分のボロを隠そうと考えたのだ。
こうして全員を集めると、こんなものは不細工なだけでなく、余計で重いものをつけていることになると言って、しっぽを切るように勧めた。
すると中の一匹が言うには、「おいおい、もしそれがお前に都合の良いことなら、わざわざ勧めないだろう!」
自らの失敗で尻尾を失った狐は、その恥を隠すために「尻尾は不要だ」と語り、他の狐にも同じように尻尾を切るよう勧めました。
この寓話は、自己正当化と集団操作の危うさを鋭く描いています。
尻尾は、役割・名誉・所属の象徴とも解釈できます。失った者がそれを「不要」と語り、他者にも同じ状態を勧める構造は、まさに組織内の価値を再定義するための集団操作です。職場や組織でも、こうした現象は決して珍しくありません。
狐が尻尾の欠損を「美徳」と語り、他者にも同じ状態を促す姿は、組織において非効率が“正しさ”として制度化されていく過程と酷似しています。たとえば、次のような流れです:
・初期の誤りと理解しながら、「とりあえずの対応」で放置される。
・「前からこうやっている」として、改善の余地が見えなくなる。
・「安全のため」といった理由で、非効率が“美徳”として語られる。
・マニュアルに反映され、それを守ることが「優秀」とされる。
思い当たることはないでしょうか。
こうした失敗や非効率が改善されにくい背景には、いくつかの構造的な要因があります。
・現場が努力して改善活動をしても、「どうせ変わらない」という諦め感が蔓延している。
・標準化が進みすぎて、どこから手をつければよいのか、誰が責任を持つのかが不明確になる。
・トップは改善を望んでいても、現場は疲弊して動けない。
このまま放置すれば、組織の活力・信頼・柔軟性がじわじわと失われていきます。たとえば:
・顧客や取引先から「古い」「遅い」「非効率」と見なされ、信頼を失う。
・「どうせ変わらない」「言っても無駄」という諦めが蔓延する。
・改善の余地が見えなくなり、競争力が低下する。
・非効率な業務が特定の人に依存し、属人的な状態になる。
こうした末路は、静かに、しかし確実に組織を蝕んでいきます。
このような事態を避けるために、まずは問いを立てることから始めてみてください。
・「このやり方は、誰の安心のために続いているのか?」
・「この非効率は、何を守っているのか?」
・「沈黙している人が語り出したら、何が変わるか?」
問いは、制度化された沈黙に風穴を開ける最初の一手です。
そして、問いを繰り返すことが、組織の再生に向けた静かな抵抗となるのです。
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