タグ: 慢心を戒める教訓

慢心を戒める教訓

  • イソップ寓話の教訓No.26「水を打つ漁師」

    相手の立場で考える!

    ストーリー

    漁師が川で漁をしていた。まず、流れの両岸に差し渡して網を張っておき、紐に括りつけた石で水を打った。驚いて逃げる魚が網にかかるというものだ。
    ところが、これを見ていた近所の人が「澄み切った川を濁し、水を飲めなくするものだ!」と苦情を言うので、漁師は答えて、
    「しかし、こうやって川を打たないと、おれが飢え死にしてしまうよ!」

    相手の立場で考える。人はそれぞれ自分が正しいと思う立場をとり、それを正当化する。ある問題で意見が対立したときは、相手を批判するときは用心して控えめにすることが賢明だ。相手の立場から問題を見れば、相手を非難することも、こちらを擁護することも難しいはずだ。

    水を打つ漁師の画像
    イソップ寓話の教訓No.26「水を打つ漁師」
  • イソップ寓話の教訓No.8「造船所のイソップ」

    愚かな人に惑わされてはいけない

    ストーリー

    ある時、寓話作家のイソップは造船所へ行った。船大工たちが彼をからかって、言い返さずにはいられぬように仕向けたので、イソップはこんな話をした。

    その昔、カオスと水が生じたが、ゼウスは土の要素も出現させたいと思い、三度海の水を飲みこむよう大地を促した。

    大地は仕事にかかると、まず最初に山々を現し、再び飲み込んで平野を露出させた。

    「もしも大地が三度目も水を飲みこむことをすれば、お前たちの仕事は無くなり何の役にも立たない者になるのだぞ!」

    愚かな人に惑わされてはいけない。人をからかう言動は、自分の戒めとなることがせめてもの救いである。

    イソップをからかった船大工。造船所のイソップの画像
    イソップ寓話の教訓No.8「造船所のイソップ」
  • イソップ寓話の教訓No.7「猫のお医者と鶏」

    心は態度に現れる

    ストーリー

    鳥小屋で鶏が病気になっていると聞きつけた猫が、医者に化けて診察に必要な道具をそろえて出かけて行った。
    鳥小屋の前に立ち「どんな具合か?」と尋ねると、鶏たちが答えて言うには

    「良い具合だ!お前があっちへ行ってくれればな。」

    心は態度に現れる。どんなに言葉や外見を取り繕っても、心の中で考えていることは態度や表情に現れてしまうのだ。

    猫のお医者と鶏の画像
    イソップ寓話の教訓No.7「猫のお医者と鶏」
  • イソップ寓話の教訓No.6「山羊飼と野生の山羊」

    過分のもてなしの裏には別の思惑がある

    ストーリー

    山羊飼が山羊を牧場へ追って行ったが、野生の山羊が紛れ込んだ。夕方になるとみんな自分の檻へ追いこんだ。

    翌日はひどい嵐になり、いつもの牧場へ山羊を送り出すことができないので、家で世話をすることにした。

    自分の山羊には飢え死にしない程度のわずかな餌しかやらず、野生の山羊は自分のものにしてやろうと、たっぷりと餌をやった。

    嵐もやんで、一匹残らず牧場へ連れ出したところ、野生の山羊は山まで来ると逃げて行こうとした。

    山羊飼は「たくさん餌をもらっておきながら去って行こうとするとは恩知らずな!」と非難すると、野生の山羊は振り向いて答えた、

    「だから余計に警戒するのだ。あなたは昨日来たばかりの私を、昔から一緒にいるものたちよりも大事にした。それなら、あとで別のが来ると、私より、そいつを贔屓(ひいき)にするに決まっているからさ!」

    過分のもてなしの裏には、別の思惑がある。
    仲間の顔をしながら側にいる悪人には注意しなければならないのだ。

    山羊飼と野生の山羊
    イソップ寓話の教訓No.6「山羊飼と野生の山羊」
  • イソップ寓話の教訓No.4「ナイチンゲールと鷹」

    逃したチャンスは二度と訪れない

    ストーリー

    ナイチンゲールがいつものように高い木の上で歌っていると、腹が減った鷹が見つけ、飛びかかって捕まえた。

    ナイチンゲールは殺される寸前に「私ではあなたの胃袋を満たすには小さすぎます。お腹がすいているなら、もっと大きな鳥に向かうべきです!」と言って、逃がしてほしいと頼んだ。

    すると鷹が答えて言うには、

    「手の中にあるご馳走を放り出して、まだ見ぬものを追いかけるほど、おれは間抜けではない!」

    もっと、もっと、と大きなものを望んではいけない。今、手の中にあるものを大事にすることだ!

    ※類似教訓
    イソップ寓話の教訓No.87「金の卵を生む鵞鳥(ガチョウ)」


    イソップ寓話の教訓No.18「漁師と鰊」


    イソップ寓話の教訓No.97「仔山羊と笛を吹く漁師」

    ナイチンゲールと鷹の画像
    イソップ寓話の教訓No.4「ナイチンゲールと鷹」
  • イソップ寓話の教訓No.3「鷲とセンチコガネ」

    小さく力のない者でも侮ってはいけない

    ストーリー

    鷲が兎を追っていた。兎には誰も助けてくれなかったが、センチコガネを見つけたのを幸いに、これに助けを求めた。

    センチコガネは兎を励まし、鷲が近づいてくるのを見ると「兎を連れさってくれるな!」と頼んだ。

    それなのに鷲はセンチコガネの小さいのを侮って、目の前で兎を平らげてしまった。

    それ以来、センチコガネは恨みを忘れず、鷲の巣を見張り続けて、鷲が卵を生もうものなら、飛んで行って、卵を落として割ってやった。

    どこへ行っても卵を落とされるので、とうとう鷲はゼウスの所へ逃げ込んで、安全な巣作りの場所をお願いした。鷲はゼウスの使いであったのだ。

    ゼウスは自分の懐で卵を生むことを鷲に許したが、それを見ていたセンチコガネは糞団子を作るなり飛び立って、ゼウスの懐の真上に来るとポトリと落とした。

    ゼウスは糞を払おうと立ち上がったとたん、うっかり卵を落としてしまった。

    これ以来、センチコガネの出る季節には、鷲は巣を作らなくなった。

    この物語の教訓は、
    小さく力のないものでも侮ってはいけない。相手を甘く見てとった行動は、いずれ報いとして自分に帰ってくるのだ。

    鷲とセンチコガネの画像
    イソップ寓話の教訓No.3「鷲とセンチコガネ」
  • イソップ寓話の教訓No.2「鷲と黒丸烏と羊飼」

    自分の能力は正確に見積もれ!

    ストーリー

    鷲が高い岩場から舞い降りて、子羊をさらっていった。

    これを見ていた烏は「あの程度なら、自分も真似してやれ!」と羽音高く飛び立つと、急降下して襲い掛かったのは、大人の牡羊。

    ところが牡羊は重く、逃げようにも、ふさふさした毛に爪が食い込み、引き抜くことができないまま羽をばたつかせているうちに、とうとう羊飼いが気づいて、走り寄るなり捕まえてしまった。

    羊飼いは、烏の風切り羽を切っておいて、夕方になると子供への土産に持ち帰った。

    そして子供に「これは何の鳥の羽根?」と聞かれ、羊飼いが答えるには、

    「これは間違いなく烏の羽根だよ!だが、こいつは鷲のつもりでいるんだ。」

    この物語の教訓は、
    自分の能力は正確に見積もる。
    だれでも時として、自分を過大評価するものです。自分の能力を過信し大きな希望を持つことは自由ですが、期待がかなわない時に、気力もなえてしまいます。自分の能力を客観的に知ることは、愚行への最大の予防です。

  • グリム童話の教訓「麦の穂」

    失った時にその有難さを思い知らされる!

    ストーリー

    むかし神様が地上をご自分で歩いていたころ、麦の粒は茎の下の方から上の方まで、べたいちめんについていました。ですから穂も長いものであったのです。けれど人間の常として、ふんだんにあるものは、さほど有難く思わず軽はずみな気分になるものです。

    ある日のこと、女と小さい子供が、麦畑の脇を通りかかりました。小さい子供が、水たまりに落ちて、着ものを汚してしまったのです。母親は見事な穂をひとつかみむしり取って、それで子供の着ものを拭いてやりました。

    ちょうどそこを通りかかられた神様が、これをご覧になると、お腹立ちで「これからは麦の茎には、いっさい穂をつけてやらぬ。人間どもは天の恵みをうける値打ちがない」とおおせになりました。

    まわりで、このお言葉をうかがった者たちは、驚いて膝をつき言いました。「どうぞ、ほんの少しばかりでも、穂を茎に残しておいてくださいますように。人間には値打ちが無くとも、罪もない鳥のために、なにとぞ!」

    神様は、先々困るのがおわかりですから、可哀そうに思い、この願いをおききとどけなりました。こんなわけで、麦の穂は上の方だけ残っているのです。

    この物語の教訓は、
    身の回りに当然のようにあるものは、普段はどうでも良いというな気持ちになる。
    ところが、それを失った時に、その有難さを思い知らされる。

    麦の穂の画像
    グリム童話の教訓「麦の穂」
  • グリム童話の教訓「釘」

    些細な事を疎かにして大事故になった話!

    ストーリー

     ある商人が市場で商売をして、持ってきた商品を残らず売り切った。商人は夜にならないうちに家へ帰ろうと、自分の乗っている馬に鞄をくくりつけ出発した。

     正午にどこかの町で休憩したが、さて出かけようとする時に、下僕が馬をひいてきて言った。「旦那様、お馬の左の後あしの蹄鉄の釘が一本抜けておりますが。」
    商人は「そのままにしておきなさい。道のりは、あと六時間あるだろうが、そのくらいでは蹄鉄は落ちはしまい。急いでいるからな」と言った。

     お昼過ぎに、また一休みして、馬に食べ物をやらせると、下僕が部屋に来て言った。「旦那様、お馬の左の後あしの蹄鉄がなくなっております。鍛冶屋へ連れてまいりましょうか」商人は「とれたまんまにしておきなさい。あと一、二時間だ。それくらい我慢できるだろう。急ぐのだからな。」と言った。

     そのまま出かけましたが、それほど経たないうちに、馬はびっこをひき始めた。びっこをひきだしたかと思うと、やがてつまずくようになり、つまずいているうちに、馬はばったり倒れて、あしを一本折ってしまった。

     否応なしに馬はそのままにしておいて、商人は馬の背中にくくりつけてあった鞄を自分でかつぎ、てくてく歩いて、夜中になって家に着いた。

     商人は独り言で「こんなひどい目にあったのも、もとはといえば、あの釘一本のせいだ、いまいましい奴だ!」

    些細なことを疎かにすると大事故へと発展することがある。事故は起こるべくして起こるもの。他者に責任転嫁する前に、自分の見通しの甘さを反省し、失敗しない仕組みを作ることが重要です。

    類似教訓
    イソップ寓話の教訓No.146「鼠に怯(オビ)えたライオン」

    釘の画像
    グリム童話の教訓「釘」
  • 死神のお使いたち

    生活習慣は人生の土台です

    ストーリー

    ある時、一人の大入道が道幅の広い大通りをのそりのそり歩いていました。

    すると見知らぬ男がいきなり飛び出してきて「止まれ!」と呼びかけました。大入道が「お前は誰だ?」と尋ねると、その男は答えて「おれは死神だよ。おれの命令には、お前も聞かなければならないのさ!」

    大入道は「そんな馬鹿なやつはいない」と言って死神をげんこつで殴り倒したので、死神は道の脇で伸びてしまいました。大入道はそのまま行ってしまいましたが、死神は起き上がる力もありません。

    そのうち、年の若い元気な男がやって来ました。元気の良い丈夫な男で、鼻歌を歌いながら、あっちこっちを眺めていましたが、気絶している男に目がとまると、気の毒に思って、持っていた瓶から飲み物を口へながしこんでやって、元気になるまで様子を見ていました。

    「おまえ、おれが何者だか知っているのか?」とやっと起きながら尋ねると、若い男は「おまえの素性なんかしらないよ」と返事をしました。

    「おれは死神だ。だれだって容赦しないのさ。だがね、おれは、おまえをありがたく思っているから、お前に約束しよう。おまえだけは不意打ちをくわせない。おれが迎えに行く前に、使いをいくつか出すことにしよう。」

    「ありがたい、死神の来る時が前からわかって、それまでは、さらわれる気遣いなしにいられるのは、もうけもんだ。」若い男はこんなことを言いながら先へ行きましたが、ただぼやっと日を送るだけでした。

    けれども若さと健康は永続きするものではなく、いろいろな病気や苦しみが起ることになりました。「死ぬことはないぞ。死神のやつは使いをいくつもよこすはずだからな。病気のいまいましい日が過ぎてしまえばよいのだ。」と男は独り言を言いました。それで体の具合が良くなると、またすぐに堕落した生活が始まりました。

    ある時、だれかが肩を叩きます。振り返ってみると死神が後ろに立っていて、「おれについてきな。おまえは、この世にわかれる時が来たんだ。」と死神が言うのです。男は「なんだって。約束が違うじゃないか。おまえが来る前に使いをよこすと約束しなかったか!使いなんか一人も来ないぞ」と言いました。

    死神は答えて「だまれ!使いならあとから後から、お前のところへやったではないか。熱が行かなかったか、目まいがおまえの頭をばかにしたことはないか、痛風がおまえの関節をつねったことはないか、耳鳴りのしたことはないか、歯の痛みがおまえのほっぺたをかじったことはないか、目の前が暗くなったことはないか。」

    男は、なんとも返事ができず、これを自分の運命とあきらめて、死神のおともをして行ってしまいました。

    この物語の教訓は、
    生活習慣は人生の土台です。歳を重ねれば、だれでも死神のお使いがちらほら見えているはずです。具合が悪ければ体のメンテナンスをしましょう。そして、今から少しでも生活習慣を改善しようではありませんか。

    死神のお使いたちの画像
    死神のお使いたち
  • グリム童話の教訓「寿命」

    人生の時間は限られている。チャンスはいつも今だ!

    ストーリー

    神様が世界を作ってから、生物に寿命を決めようとした。

    ロバが来て尋ねた。
    「私はどれくらい生きますか?」神様は答えて「三十年だ。」それについて、ロバは言った。「私の生きている間の苦労をお察しください。朝から晩まで重たい荷物を運び、ぶたれたり、蹴られたり、しっかりしろと怒鳴られたりするばかりでございます。その長い年月をお減らし願います。」
    神様は可哀そうに思い、十八年だけおやりになりました。

    次に犬が現れました。
    神様は「ロバは三十年が多すぎるそうだが、お前なら良いだろう?」と尋ねました。犬は答えて「私が否応なしにどれくらい走るかお察しください。三十年はとても足がつづきません。」神様は犬の言うことをもっともだと思い、十二年だけお授けになりました。

    そのすぐ後に来たのは猿です。
    「お前は三十年生きたいだろうな。ロバや犬のように働かなくて良いからな」と神様は仰せになりました。猿は答えて「とんでもないことです。いつも、おかしなことをして人間どもを笑わせなければなりません。このようなものの後ろには、悲しみが隠れております。三十年も辛抱なりません。」
    神様はお恵み深く、お猿には十年だけおつかわしになりました。

    おしまいに現れたのは人間です。
    神様は「三十年生かしてあげる」とおっしゃると、人間は答えて「それでは短すぎます。家を建ててこれから自分の生涯を楽しもうと思った矢先に死ななければなりません。お願いですから私の寿命を延ばしてください。」
    神様は「お前にロバの十八年を足してあげよう」とおっしゃった。人間は答えて「それでは足りません。」神様が「犬の十二年も足してあげよう」とおっしゃっても、人間は答えて「まだまだ、少なすぎます。」神様は「猿の十年もお前に授けよう、もうそれ以上は無いぞ。」とおっしゃると、人間は不平を言いながら、立ち去りました。

    このようなわけで人間は七十年生きることになっています。初めの三十年は人間の本当の歳で、さっさと過ぎてしまいます。
    これに続くロバの十八年は、重荷を背負わされます。
    次に来る犬の十二年は、あっちこっち走り回るか隅のほうで、うーうーうなってばかりです。
    最後はお猿の十年がやって来て、この歳になると頭の働きが鈍く、子供たちの笑いものになります。

    ご先祖様が欲深く寿命を欲しがらなければ、人間の人生は重い荷物を背負った長い旅路にならなかったかもしれません。
    人生の時間は限られています。チャンスはいつも今だ!

    寿命の画像
    グリム童話の教訓「寿命」
  • グリム童話の教訓「怠け者と働き者」

    変えられることは今日から変えるべきだ!

    グリム童話の教訓「怠け者と働き者」のストーリー

    むかし男が二人、町へ出稼ぎに行きました。町へ入ると片方の男は道楽にはまり、昼間から酒を飲みほっつき歩いていました。もう一人の男は仕事に精を出して働いていました。

    働き者の男が仕事の帰り道、道路わきで寝ている者を見かけました。良く見ると、それは一緒に出稼ぎにきた怠け者の男でした。自分もその男と並んで横になり、自分のコートをかけてやり、寝てしまいました。

    すこしたつと、働き者の男は二つの声で目を覚ましました。声の主は二羽のカラスで、一羽のカラスは「何もしなくても神様が優しくしてくださる」と言い、もう一羽は「では、そのつもりでいなさい」と言っていました。

    始めのカラスはこう言った後で、ばっさり地面に落ちました。もう一羽は夜が明けるのを待って虫や水を取りに行って、地面に落ちたカラスを元気づけてやり、助けてあげました。

    二人の男は不思議に思い、病気のカラスに「どうしてこんなみじめなありさまで病んでいるのか?」と聞いたところ、病気のカラスは「食べ物は働かなくても天から降ってくるものと思っていたから」と答えました。

    二人は二羽のカラスを連れて次の町へ行きました。

    次の町で、ある少女と出会いました。その少女は良く働くカラスを大変かわいがって、頬ずりしたところ、ばさばさと羽ばたきしたかと思うと、美しい若い男の人に変わりました。

    その人の話によれば、もう一羽は自分の兄弟で、父親を馬鹿にしたので、呪いをかけられカラスにさせられた、と言うことでした。

    もう一羽の病みついているカラスは、誰からも可愛がられることなく、カラスのまま死んでいったとと言うことです。

    怠け者の男は、これを自分の教訓として働き者に変わったそうです。

    この物語の教訓は・・・
    どんなことも積極的に動かなくても何とかなる!と思うことも一利ある。
    しかし人生の質を上げたいなら、変えられることは今日から変えるべきだ。残りの人生で今日が一番若いのだから。何もせず受け身で得た結果と積極的に動いて得た結果では大きな違いがある

    過ぎてしまえば人生なんて短いものだ。

    グリム童話の教訓「怠け者と働き者」