危機が去った後に問われる倫理
ストーリー
人々が船に乗り込んで航海にでた。ところが沖に出たところで嵐となり、船は今にも沈みそうになった。乗客の一人は着物を引き裂き、泣きわめきながら祖国の神々に呼びかけて、皆の命が救われたなら、感謝の供物をささげると約束した。
嵐がやむと、安堵の気持ちから、祝宴をあげ踊ったり跳ねたりした。しかし舵取りの男は堅実だったので、彼らに対して言った、
「皆さん、また嵐に会うかもしれない、という気持ちで喜ばなければなりません!」
この寓話は、安堵や成功の瞬間にこそ油断せず、次なる困難に備える慎重さを忘れてはならないことを戒めているように思える。
嵐の中で立てられた誓いや祈りは、危機に直面した人間が即興的に立ち上げる「仮構の倫理」だ。これは、平時には見えにくい誠実さや連帯感が、非常時に一時的に浮かび上がる構造である。しかし、嵐が去った途端に祝宴を開き、誓いを忘れてしまう姿は、倫理が構造化されていないことの証でもある。
誓いを誠実に守るという行為は、単なる感情的な反応ではなく、倫理を構造に組み込む第一歩である。誠実さが持続するからこそ、次なるリスクにも冷静に備えることができる。危機の中で立ち上がった倫理を、危機後にも維持できるかどうかが、組織の成熟度を測る試金石となる。
組織も人も同様に、危機を回避した後に慢心するのではなく、次の波を見据えながら、持続可能な構造を築く姿勢が求められる。嵐の中で立ち上がった誓いを、嵐が去った後にも守る仕組み。それこそが、構造的誠実さの核心である。
あなたは嵐の後に、誠実に約束を守っているだろうか。
