謝罪と信頼
ストーリー
 農夫の子に蛇が這いよってかみ殺した。 
 農夫の悲しみは一通りでなく、斧を手に取ると蛇穴の前へ行って「出てきたら一打ちにしてやる!」と見張っていた。
 蛇が首を出したので斧を振り下ろしたが、狙いが外れて側にある岩を二つに割ってしまった。
 その後、用心深くなった農夫が、蛇に仲直りを申し出たところ、
 蛇は「割れた岩を見たら、あんたと仲良くすることは出来ない!あんたも息子の墓を見ればそうだろう!」
心の傷は癒すのが難しい。
 農夫が蛇に仲直りを申し出たが拒絶された。相手の痛みや立場に無自覚なまま行われた謝罪は、かえって関係を悪化させることを、この寓話は語っているのだろう。なぜなら、こうした申し出は「自己都合の謝罪」に見えてしまい、相手の傷を無視した自己中心的な行為と受け取られるからだ。
 謝罪や和解は、本来「相手の痛みを理解し、それに寄り添う」行為だ。しかし、相手の苦しみを理解せずに「もう仲直りしよう」と言われると、言われた相手は軽視されているように感じるだろう。「あなたの痛みはもう終わったことにしていいよね?」という無言の圧力として作用することもある。
 特に、過去の行動に対する具体的な反省や償いがない場合、信頼は回復しないだろう。また、必ずしも償いで信頼の回復が図れるとは限らない。ゆえに、信頼を損なう行動は、たとえ一時の感情であっても慎重に避けるべきだ。
 例えば、顧客が受けた不利益(商品事故・対応ミス等)で、「被害者意識」や「怒り」から、攻撃的なクレーム・過剰要求を受けたことは無いだろうか。それは、組織にとってはハラスメントに等しい。
 組織側の謝罪や誠意ある対応と時間の経過によって、顧客が「もう許してやる」と言うことがあっても、組織が受けた精神的・人的損害は記録され、以前のような関係を修復することは難しいのではないだろうか。
「自分が心から愛情を持って接したら相手は変わるはず」、「自分が変われば相手も変わるはず」と思うのは幻想だ。仇敵でも片思いの相手でも同じこと。その幻想は、現実の冷たさに触れた瞬間、深い失望へと姿を変える。一度、信頼関係を崩すと、現実ではもとに戻らないと思っていた方が心の傷が浅くて済むだろう。
 あなたの謝罪は、相手の痛みに触れていただろうか?それとも、自分の罪悪感を軽くしたい気持ちだったのだろうか?







