投稿者: gray wolf

  • イソップ寓話の教訓No.51  「農夫と蛇」

    謝罪と信頼

    ストーリー

     農夫の子に蛇が這いよってかみ殺した。
     農夫の悲しみは一通りでなく、斧を手に取ると蛇穴の前へ行って「出てきたら一打ちにしてやる!」と見張っていた。
     蛇が首を出したので斧を振り下ろしたが、狙いが外れて側にある岩を二つに割ってしまった。
     その後、用心深くなった農夫が、蛇に仲直りを申し出たところ、
     蛇は「割れた岩を見たら、あんたと仲良くすることは出来ない!あんたも息子の墓を見ればそうだろう!」

    心の傷は癒すのが難しい。
     農夫が蛇に仲直りを申し出たが拒絶された。相手の痛みや立場に無自覚なまま行われた謝罪は、かえって関係を悪化させることを、この寓話は語っているのだろう。なぜなら、こうした申し出は「自己都合の謝罪」に見えてしまい、相手の傷を無視した自己中心的な行為と受け取られるからだ。
     謝罪や和解は、本来「相手の痛みを理解し、それに寄り添う」行為だ。しかし、相手の苦しみを理解せずに「もう仲直りしよう」と言われると、言われた相手は軽視されているように感じるだろう。「あなたの痛みはもう終わったことにしていいよね?」という無言の圧力として作用することもある。
     特に、過去の行動に対する具体的な反省や償いがない場合、信頼は回復しないだろう。また、必ずしも償いで信頼の回復が図れるとは限らない。ゆえに、信頼を損なう行動は、たとえ一時の感情であっても慎重に避けるべきだ。
     例えば、顧客が受けた不利益(商品事故・対応ミス等)で、「被害者意識」や「怒り」から、攻撃的なクレーム・過剰要求を受けたことは無いだろうか。それは、組織にとってはハラスメントに等しい。
     組織側の謝罪や誠意ある対応と時間の経過によって、顧客が「もう許してやる」と言うことがあっても、組織が受けた精神的・人的損害は記録され、以前のような関係を修復することは難しいのではないだろうか。
    「自分が心から愛情を持って接したら相手は変わるはず」、「自分が変われば相手も変わるはず」と思うのは幻想だ。仇敵でも片思いの相手でも同じこと。その幻想は、現実の冷たさに触れた瞬間、深い失望へと姿を変える。一度、信頼関係を崩すと、現実ではもとに戻らないと思っていた方が心の傷が浅くて済むだろう。
     あなたの謝罪は、相手の痛みに触れていただろうか?それとも、自分の罪悪感を軽くしたい気持ちだったのだろうか?

  • イソップ寓話の教訓No.50  「鼬(イタチ)とアプロディテ」

    外見の変化は変容の保証ではない

    鼬(イタチ)とアプロディテ

     鼬がハンサムな若者に恋をして「自分を女性の姿に変えてください」とアプロディテに祈った。女神は鼬の切ない気持ちを憐れんで、美しい乙女に変えてやった。
     すると若者もそれを見て恋に落ち、妻にしようと家に連れて帰った。
     二人が寝室でくつろいでいると、アプロディテは鼬がその姿を変えたものの、性格を改めたかどうか確かめたいと思い、鼠をポンと放り込んだ。
     彼女は今の身の上を忘れ、ベッドからとび起きるや、食ってやろうと鼠を追いかけまわした。
     その姿を見た女神はいたく立腹し、彼女を元の姿に戻してしまった。

    アプロディテ:ギリシャ神話に登場する「愛と美と性」の女神です。ローマ神話では「ヴィーナス」として知られています。

     外見を変えても本性は変わらない。
     鼬(いたち)は恋をして人間の女性に姿を変えてもらったが、本能的な性質は変わらなかった。アプロディテはその「本性」を見抜き、見かけだけの変化では真の変化とは言えないとして、元の姿に戻してしまう。
     この寓話が語るのは、「本質的な変化には、内面の意識や習慣の変容が不可欠である」という教訓だ。

     これは組織においても同じことが言える。
    「立場は人をつくる」という言葉がある。昇進などによって外形的な役割が変わると、人は自然とその立場にふさわしい振る舞いをするようになる――そんな期待が込められている。
     しかし、これは条件付きの真理である。その条件とは、以下の三つだ。
    1.役割に内在する期待が明確であること(例:「この立場ではこう振る舞うべき」という文化的圧力)
    2.周囲の支援やフィードバックがあること(例:メンターの存在、チームの信頼)
    3.本人に変化への意欲と柔軟性があること(例:責任感の芽生え)

     新しい立場を得ただけでは、人の本性は変わらない。しかし、本人に変化への意志があり、環境がそれを支えるならば、「性質」と「環境」の相互作用によって本性の変容は可能になる。

     この寓話が私たちに問いかけているのは、肩書きや見た目だけの変化ではなく、行動と意識の変容を伴うものである――という、静かだが揺るぎない真理である。

  • イソップ寓話の教訓No.32「人殺し」

    人生はなるようにしかならない、と気持ちを切り替える。

    ストーリー

    人を殺した男が、相手の身内に追われていた。

    ナイル川のほとりまで来たところ、狼と鉢合わせして、恐ろしくて川辺に生える木に登り、身を潜めていた。

    すると毒蛇が頭上で口を開けている。

    そこで川に飛び込んだところ、ワニが待ち受けていて、人殺しを食べてしまった。

    追われている者には気の休まる時も場所も無い。仕事に追われている、生活に追われている、育児に追われている、これでは体もメンタルもまいってしまう。人生はなるようにしかならない、と気持ちを切り替えることも大切だ。

    人殺しの画像
    イソップ寓話の教訓No.32「人殺し」
  • イソップ寓話の教訓No.25「翡翠(カワセミ)」

    ストーリー

    カワセミは敵を警戒して、海辺の断崖に巣をつくる鳥だ。

    ある時、お産の近いカワセミが岬にやって来て、海に突き出た岩を見つけ、そこで雛を育てることにした。

    ところが餌を求めて出かけた間に、突風のため海が波立ち、巣が波にさらわれて雛を死なせてしまった。

    戻ってきたカワセミは事の次第を悟るとこう言った。

    「ああ、情けない!陸は安心できないので、海に逃げて来たが、一層信用できない場所だったとは!」

    危険はあると思っている人にしか見えない。

    カワセミの画像
    イソップ寓話の教訓No.25「翡翠(カワセミ)」
  • イソップ寓話の教訓No.24「腹のふくれた狐」

    ストーリー

    腹をすかせた狐が、木の洞穴に、羊飼いの置いていったパンと肉を見つけ、中に入って食べてしまった。
    腹がふくれ外に出られずに嘆き悲しんでいると、別の狐が通りかかり、嘆き声を聞きつけると近づいて訳を訪ねた。
    そして事の次第を聞くと、中の狐に言った。
    「入った時と同じ状態になるまで、そこに居ることだ。そうすれば簡単に出られるさ!」

    自らの行いで受けた報いは解決までに時間がかかる。(=時間はかかるが時が解決してくれる)

    腹のふくれた狐(イソップ寓話)
    イソップ寓話の教訓No.24「腹のふくれた狐」
  • イソップ寓話の教訓No.23「鶏と山うずら」

    ストーリー

    家で鶏を飼っている男が、よく馴れた山うずらの売り物に出会って、一緒に育ててやろうと買って持ち帰った。

    ところが鶏たちが突っついたり、追いかけましたりするので、山うずらは「種類が違うから仲間外れにされる!」と悲観していた。

    しかし、程なくして、鶏たちが喧嘩をし、血を流すまで離れないのを見て、独り言で言った。

    「鶏に突っつかれても、苦にならないぞ。あいつら同士だって容赦しないのだ!」

    平等な辛さなら、その辛さも我慢できる。

    鶏と山鶉の画像
    イソップ寓話の教訓No.23「鶏と山鶉」
  • イソップ寓話の教訓No.22「狐と木こり」

    ストーリー

    キツネが狩人から逃れて来て、木こりを見つけたので「かくまってください」と頼んだ。木こりは、小屋に隠れるように狐に勧めた。
    間もなく狩人たちがやって来て「狐がこっちへ来なかったか?」と尋ねるので、木こりは口では「見ていない」と答えながら、手で狐の隠れている所を指して教えていた。しかし狩人たちは、木こりの手の動きに気づかづ立ち去った。
    狐は狩人たちが立ち去ると、木こりに挨拶もしないで行こうとした。それを見た木こりは「命を救ってもらいながら、お礼も言わないのか!」と狐を非難した。
    狐は答えて「あなたの手の動きが言葉と同じなら、私は感謝もしますがね。」

    八方美人は、どこかで誰かを裏切っている。そしてこの裏切り行為は必ず誰かが見ている。仮に見られていなかったとしても雰囲気で伝わる。すると人が離れてゆく。

    キツネと木こりの画像
    イソップ寓話の教訓No.22「キツネと木こり」
  • イソップ寓話の教訓No.17「尻尾のない狐」

    ストーリー

    狐が罠にかかってしっぽを切り取られた。

    生きているのも恥ずかしく辛いので、他の狐も同じようにしてやろうと考えた。みんなを同じ目に遭わせて自分のボロを隠そうと考えたのだ。

    こうして全員を集めると、こんなものは不細工なだけでなく、余計で重いものをつけていることになると言って、しっぽを切るように勧めた。

    すると中の一匹が言うには、

    「おいおい、もしそれがお前に都合の良いことなら、わざわざ勧めないだろう!」

    本当に得になる話は他人に話さない。

    尻尾のない狐の画像
    イソップ寓話の教訓No.17「尻尾のない狐」
  • イソップ寓話の教訓No.14「家柄を競う狐と猿」

    ストーリー

    旅の道連れとなった狐と猿が、家柄を競い合った。

    双方が言い合っているうちに墓地にさしかかると、猿は一点を見つめてシクシク泣き出した。

    狐がその訳を聞くと、猿はお墓を指しながら

    「ご先祖さまが解放した奴隷や使っていた奴隷の墓をみたら、泣かずにはいられない!」

    と言った。それに対して狐は

    「好きなだけ嘘をつけばいい。生き返ってお前に文句を言うものは誰もいないだろうからな!」

    誰も知らないと思って嘘をついても、感づかれて信用を落とすのが落ちだ。

    家柄を競う狐と猿の画像
    イソップ寓話の教訓No.14「家柄を競う狐と猿」
  • イソップ寓話の教訓No.13「石を曳き上げた漁師」

    結果を見る前に大きな期待は禁物だ!

    ストーリー

    漁師たちが地引網を曳いていた。網が重いので大漁だと思い喜んでいた。

    しかし浜に引き寄せてみると魚はわずかで、網の中は石や木ばかりだった。

    漁師たちは落胆と同時に腹が立った。

    漁師の中の老人が言うには、

    「腹を立てるのはやめよう!良いことと悪いことは隣りあわせだ。あれほど喜んだのだから、落胆するのも仕方ない」

    結果を見る前に都合の良い想像をして喜ぶと、期待が外れた時の落胆は大きい。落胆した自分に嫌気がささぬよう、冷静になることだ。

    石を引き上げた漁師の画像
    イソップ寓話の教訓No.13「石を曳き上げた漁師」
  • イソップ寓話の教訓No.5  「借金のあるアテネ人」

    誇張された情報

    ストーリー

     金貸しから金を借りた男が返済を迫られた。 
     今は手持ちの金が無いと言って、支払いを待ってもらえるように頼んだが、承諾してもらえなかった。仕方なくたった一頭しかいない豚を連れて来て、金貸しの立ち合いのもとで売ることにした。   
     買い手がやって来て「この豚はよく仔を生むか?」と尋ねるので、男は「ただ生むだけじゃないぞ。デメテルの密儀にはメス豚を、パナテナイア祭にはオス豚を生むのだ」と答えた。
     買い手がこの話に驚いていると、金貸しも横から口をはさんで言った。
    「なあに、驚くのはまだ早いぞ。この豚はディオニュソスの祭りには、仔山羊だって生んでくれますよ。」

    デメテル(農業の女神)
    パナテナイア祭(アテナに捧げる祭り)
    ディオニュソス(酒と狂気の神)

     返済に窮した男は、唯一の資産である豚を売るという切羽詰まった状況に追い込まれる。その苦しさから「神話的な繁殖力」という荒唐無稽な幻想を語り、現実を誤魔化そうとする。買い手は驚くが、冷静に考えればありえない話である。
     さらに金貸しが「この豚は仔山羊も生む」と口をはさむことで、話は完全に笑い話へと転じる。
     この寓話は、現代のビジネスにも通じる。都合の良い投資話や、売り急ぎの商品など、誇張された情報に惑わされる場面は少なくない。
     たとえ自分が欲しいと思うものであっても、冷静に事実を見極める力が必要ではないだろうか。誇張の裏にある「切迫した事情」や「売り手の都合」に目を向けることが、健全な判断につながる。

    ※類似の教訓
    イソップ寓話の教訓No.28「食わせ者」
    http://イソップ寓話の教訓no-28「食わせ者」
    イソップ寓話の教訓No.34「出来ないことを約束する男」
    http://イソップ寓話の教訓no-34出来ないことを約束する

  • イソップ寓話の教訓No.403 「猟師と犬」

    見せかけの善意

     猟師が目の前を通り過ぎる犬を見て、次々と食べ物を与えた。それに答えて犬は言った。
    「そんなに良くされると、かえって怖い!」