投稿者: gray wolf

  • グリム童話の教訓「蛙の王様」

    むかし、王様とその娘がお城に住んでいました。

    お城の近くには大きな暗い森があって、その森に泉がありました。ある暑い夏の日に、末娘が一人、泉の脇でまり遊びをしていたら、どうしたことか、まりが泉へ転がり落ちてしまったのです。

    娘が泣いていると「どうしましたか?お姫様」と呼びかけるものがあります。声の方を見ると、水の中から一匹の蛙が顔を出していました。

    娘は「私のまりが泉の中へ落ちたので泣いているの」と言うと、蛙は言って「私がまりを取ってきましょう。そうしたらお姫様の遊び友達にしていただけますか?」

    娘は「ええ、約束します。」と言いました。

    蛙は水に潜ると、間もなくまりをくわえて浮きあがってきて、まりをお姫様に渡しました。お姫さまはうれしくなり、蛙との約束はすっかり忘れ、お城へ走って帰ってしまったのです。

    ところがあくる日、王様と娘が食卓についていると、戸を叩いて「お姫様、戸を開けてください!」と呼び立てます。

    王様は、娘の様子がおかしいことに気づき、事の次第を知って、「約束したことは、どのような事でも守らなければいけません。さあ、行って開けておやりなさい。」と言いました。

    食事が終わったあと、蛙は「お姫様のお部屋へ連れて行ってください!」と言いました。

    娘は蛙が嫌になり泣き出すと、王様は「困っているときに力を貸してくれたのだ。後になって嫌だというのは理屈が通らないよ」と言いました。

    お姫様は、腹が立って蛙を持ち上げると、壁に向かって投げつけました。ところが、蛙が床に落ちた時、美しい目をした王子に変わったのです。

    王子は魔女の魔法にかかり、蛙にされていたことを話しました。王様も娘も、王子を大変気に入り、王子と娘は結婚されたそうです。

    教訓
    約束したことは、小さなことでも守りましょう。それが信頼につながります。

    蛙の大様の画像
    グリム童話の教訓「蛙の王様」
  • イソップ寓話の教訓No.42  「農夫と息子たち」

    農夫と息子たち

     死期の迫った農夫が息子たちを一人前の農夫にしたいと思い、呼び寄せてこう言った。
     「倅たちや、私の畑の一つに宝物が隠してある。収穫を終えたら深く掘り起こしてみなさい。」息子たちは父親の死後、鋤や鍬を手に取って畑を隅から隅まで深く掘り起こしてみたが、宝物は見つからなかった。
     代わりに葡萄が何倍も実をつけた。

     父が伝えた「宝物」は実際の金銀ではなく、勤勉に畑を耕すことそのものが宝であるという教えでした。息子たちは父の言葉を信じて畑を隅々まで掘り返し、その結果、土がよく耕されて葡萄が豊かに実ったのです。この寓話は、「努力を惜しまない姿勢が未来の実りを生む」という普遍的な教訓を示しています。

     現代の組織に応用すると、父の言葉は「外発的動機付け」の仕掛けにあたります。息子たちは勤勉や農業の価値そのものではなく、金銀財宝という即効性のある報酬を期待して動きました。これはボーナスや昇進など、目に見える成果に引き寄せられて働く姿と重なります。

     しかし、実際に得られたのは宝物ではなく「葡萄が何倍も実った」という副次的成果でした。ここで息子たちは、耕すこと自体が宝物であると気づきます。つまり、外発的動機付けが「きっかけ」となり、最終的に「内発的動機付け」へと転換するプロセスが生まれたのです。これは報酬制度や目標設定が、やがて組織文化へと昇華する好例と言えるでしょう。

     もちろん現実の組織では、必ずしもこのように都合よく進むわけではありません。しかし、昇進や特別ボーナスといった外発的動機付けは、組織を動かす初期エネルギー源になり得ます。そして、その動機付けを内発的動機付けへと転換させる設計を持つことこそが、この寓話の「真の宝」なのです。

  • イソップ寓話の教訓No.426 「狐と鶴」

    相手の立場を理解する

    狐と鶴

     いじわるな狐が鶴を食事に招待した。やって来た鶴に狐は、たいらな皿にスープを入れて差し出した。鶴はくちばしが長いので、平らなお皿ではスープを飲むことが出来ず、ご馳走になるどころか、笑いものになってしまった。
     今度は鶴が狐を食事に招待した。訪れた狐に、細長い瓶に食べ物を入れて差し出した。狐は細長い瓶に入った食べ物を食べることが出来ず、鶴はそれを見ながら、おいしそうに食べた。

     これは有名なイソップ寓話「狐と鶴」の話です。「相手の立場を理解せずに行動すると信頼や友情を失う」というメッセージが込められています。

     なぜ相手の立場を考えることが重要なのでしょうか。相手の状況や制約を理解しようとする姿勢は誠実さの証であり、最適な方法を選ぶことで安心感と信頼が生まれます。

     組織における制度設計も同じです。人事制度は給与・昇給・評価の仕組みを定め、従業員のモチベーションや人材育成を支えるものですが、設計者の都合だけでは機能せず、従業員の立場を考えることが不可欠です。

     ノーレイティング制度やリアルタイムフィードバックはその好例です。前者は従業員をランク付けせず、日常的な対話で成長を支援する仕組み。後者は半年や年1回の評価ではなく、日常業務の中で即時に助言を行う仕組みです。これらはリモートワークやフレックス勤務、副業兼業など多様な働き方に柔軟に対応できるとされています。

     一方で、評価が曖昧になりやすい、上司の負担が増えるといった課題もあります。だから制度設計では、管理者と従業員のそれぞれの立場を理解し、双方にとって納得できる「器」を作ることが重要です。

     これらの人事制度はまだ多数派ではありませんが、働き方の多様化に対応するため今後さらに導入が進むでしょう。寓話「狐と鶴」が示すように、管理者都合の器では信頼を失い、従業員視点の器こそ柔軟で持続的な制度設計につながるのです。

  • イソップ寓話の教訓No.452 「狼と驢馬の裁き」

    言葉で人々を縛る(言説の支配)

    狼と驢馬の裁き

     狼が思いがけず驢馬に出くわした。
     狼が驢馬に言うには「怖がるな!俺とお前がこれまでに犯した過ちを順番に話そうじゃないか。俺の過ちがお前より酷ければ、俺はお前を見逃してやる。お前の過ちが俺より酷いときは、お前は俺に罰せられるぞ。」
     このように言うと、自分の犯した罪を言い出した。数えきれないほどの羊や山羊、仔山羊や子羊、牛に襲い掛かり餌食にした。見張り番の犬ににも咬みついたこと。他にもこのようなことをあげつらったが、この程度のことは、罪の数にも入らぬ、というような言い方で語った。
     驢馬は自分の罪を探してみたが、なに一つ見つからなかった。
     ついに困り果て、罪なのか迷ったが語りだした。「野菜を背負って歩いていたら、蠅が首の後ろで飛び回るので、鼻息で吹き飛ばそうと後ろを向いたんです。そしたら野菜の葉っぱが一枚だけ、口に入ってきたので、むしゃむしゃ噛んで飲み込みました。でもすぐに吐き出しましたよ。」
     それを聞いた狼が言うには「ああ、なんてひどい罪なんだ!」
     「お前はひどい悪人だ!正義の女神は、お前に罰を与えるため、俺の前に導いたのだ!」
     狼はこのように言うや否や、驢馬に跳びかかり、食べてしまった。

     狼は自らの罪を数えきれないほど並べながら「これは罪に入らない」と軽視し、驢馬の些細な行為を大罪に仕立てました。この寓話は、権力者が「正義」や「制度」を口実にして、自らの欲望を正当化する構造を風刺しています。

     組織においても同様に、権限者が「自分の裁量で結果を決める」「免責を享受する」「言葉で人々を縛る(言説の支配)」といった場面は珍しくありません。権力の偏りと正義の仮面をかぶった支配構造は、「公平」を装いながら裁量を濫用し、弱者を常に不利に追い込みます。

     この寓話から学べることは、権限を持つ者ほどその言葉と行動の透明性を求められるということです。透明性こそが、正義を実質化し、組織の信頼を支える唯一の基盤なのです。

  • イソップ寓話の教訓No.72  「養蜂家」

    無自覚な行動の末路

    養蜂家

     養蜂家の留守中に、泥棒が小屋に入り込んで蜜と巣箱を持ち去っていった。
     帰ってきた養蜂家は、巣箱がなくなっていることに気づき、小屋の中を探し回っていた。
     そこへ蜜蜂たちが花畑から戻ってきて、この養蜂家の姿を見るや、一斉に針で攻撃した。それに対して養蜂家が蜜蜂たちに言った。
    「なんてことをするのだ!俺はお前たちの巣箱を探していたのだぞ!」

     養蜂家は巣箱を探していただけなのに、蜜蜂からは「敵」と見なされて攻撃されました。ここから得られる教訓は、「自分は正しい」「相手は分かってくれるはず」という思い込みが、かえって危険を招くということです。

     ビジネスの現場でも同じような光景が見られます。善意や努力が必ずしも正しく理解されず、誤解が生まれてモチベーションを下げてしまうことがあります。信頼や情報共有がなければ、善意も悪意に見えてしまうのです。

     さらに厄介なのは、自分の行動が誤解される可能性に本人が気づいていない場合です。そのような無自覚な行動は、誤解の温床となります。人は自分の意図を「善意」として理解しているため、他人からどう見えるかを過小評価しがちです。同じ行動でも、状況や相手の立場によって「信頼」にも「不信」にも変わってしまいます。

     だからこそ、誤解を減らすためには透明性を確保し、誤解を前提にしたコミュニケーションを心がける必要があります。容易ではありませんが、この姿勢こそ組織や人間関係における信頼を育てる基盤となるのでしょう。

  • イソップ寓話の教訓No.21  「漁師と鮪」

    停滞期を耐える

    鮪と猟師

     漁師たちが海へ出て、長時間の漁をしても何もかからなかった。 
     「今日はダメだった」と、がっかりして甲板に座り込んでいると、鮪が何かに追われて逃げまどいながら、うっかり船の中に飛び込んできた。
     漁師はそれを捕まえると、町へ持って行って売ったのだ。

     この寓話は「努力と忍耐が幸運を呼び込む」「最後まで諦めないことが成功につながる」という普遍的な教えを伝えています。

     偶然の機会は準備している人にしか利益をもたらさないのです。それはビジネスでも同じこと。停滞期に単なる待機ではなく、偶然を成果に変えるための基盤づくりをしておくべきです。

     取引先との関係継続、顧客ニーズの調査や法規制の把握、停滞を「学び」として受け止める文化、日々の誠実な対応など、これらは欠かせません。さらに、柔軟な意思決定プロセスや権限委譲の仕組みを整えておくことで、偶然の機会が訪れた瞬間に即応できる組織になります。

     また、停滞期を耐えるためには、リソースの持続可能性を見極めることも重要です。資金・人材・時間の消耗を管理し、どこまで耐えるかの基準を明確にしておくことで、偶然の機会を待ちながらも組織の健全性を守ることができます。

    結局のところ、偶然の機会を利益に換えられるのは、
    ・基盤を維持する力
    ・柔軟に即応できる構造
    ・停滞を学びに変える文化
    ・持続可能なリソース管理
    これらを備えた組織だけなのです。

  • イソップ寓話の教訓No.383「二つの道」

    人生には「自由の道」と「奴隷の道」があります。あなたは、どちらを歩みますか?

    ストーリー

    その昔、神は人間に二つの道を示された。

    自由の道と奴隷の道だ。

    自由の道は、
    始めはうす暗く、ごつごつとして抜け出るのも難しく危険がたくさんあるが、最後には明るく開け、散歩道や湧き水にあふれ、辛酸の後の憩いに至る道だ。

    奴隷の道は、
    始めは花咲き乱れ目を楽しませるが、最後は抜け出すことが難しい、険しい道だ。

    教訓
    人生は甘くありません。いずれ自分の真の姿と向き合わなければならなくなります。謙虚に努力しましょう。

    二つの道の画像
    イソップ寓話の教訓No.383「二つの道」
  • 日本の昔話の教訓「金の椿」

    寛容さを持つ!

    ストーリー

     むかし、ある国に短気な殿様がありました。

     ある日、宴会が夜遅くまでつづき、宴席に居た奥方が思わずあくびをされたところ、大事な宴席で恥をかかされたと殿様は大変怒り、奥方を一人船にのせて島流しにされました。

     船は波に流されて、小さな島に流れ着きました。奥方は島人に助けられ、島の暮らしを送ることになったのです。


     間もなく、殿様のお子を産みました。その子は、島の子供と同じように育てられ十二歳になったころ、自分には父がいない訳を母に尋ねました。

     ことの次第を聞いた子供は、父に会いに行くといって、すぐに旅立ちました。

     やがて父のいる城の近くにくると、椿の花が咲いていました。子供は何を思ったか、その枝を折り、城の門の前で「金の椿はいらぬか」と大声で叫びました。

     その声を聞きつけた殿様が「その者を連れてまいれ」と仰せられ、家来が連れてくると、男の子が普通の椿の枝を持っているので「その方、このようなものを金の椿とふれ歩くのは、ふとどきものぞ!」ととがめました。

     男の子はそれに答えて「これはあたりまえの枝に見えますが、決してあくびをしない人が植えれば金の花が咲くのです!」

     殿様は「この世の中にあくびをしない者があろうか」と笑うと、男の子は「殿様は夜遅くの宴席であくびをされた奥方を島流しにされたではありませんか!」と言いました。

     殿様は、一時の短気で奥方を罪にしたことに気が付き、奥方を島から呼び寄せ三人で暮らしたということでございます。

    他人の些細な失敗や罪は広い心で許す寛容さを持つことが大切です。感情をコントロールして落ち着いていると信頼されます。

    金の椿の画像
    日本の昔話の教訓「金の椿」
  • イソップ寓話の教訓No.40「天文学者」

    ストーリー

    天文学者が夜ごと外に出て、天体観察を習慣にしていた。

    郊外まで足をのばし天体観察をしていると、うっかりと深い穴に落ちてしまった。

    大声で助けを求めていると、たまたま通りかかった男が声を聞きつけ、訳を尋ねた。

    ことの次第を聞いた男が、天文学者に向かって言うには・・・、

    「先生、空ばかり見ていないで、自分の足元もしっかりみるべきですよ!」

    教訓
    遠くにばかり集中していると、足元をすくわれ怪我をする。

    何処か遠くの場所に、見知らぬ地に、自分の欲するものがあると探し回る人がなんと多いことか。自分の立っている所を深く掘り下げてみよ。自分の足元にこそ、求めるものが埋まっていることに気づくべきだ。

    天文学者の画像
    イソップ寓話の教訓No.40「天文学者」
  • イソップ寓話の教訓No.18「漁師と鰊」

    ストーリー

    漁師が網を沈めて鰊を曳きあげた。

    鰊は命乞いして「私はまだ小さいので今日のところは逃がしてください!後になれば成長した私をずっと大きな獲物として捕まえることが出来るのです!」と頼んだ。

    漁師は答えて「今日、お前を逃がしてやったら、二度と捕まえることが出来ないだろうな!」

    たとえ小さい儲けでも、見込みに過ぎない大きな儲けよりましだ。

    ※類似教訓
    イソップ寓話の教訓No.4「ナイチンゲールと鷹」


    イソップ寓話の教訓No.97「仔山羊と笛を吹く狼」

    漁師と鰊の画像
    イソップ寓話の教訓No.18「漁師と鰊」
  • 日本の昔話の教訓「山姥の隠れ蓑」

    道が開けるまで辛抱する!

    ストーリー

     むかし、ある山国の田舎に、美しい一人の娘がありました。

     春の日に村人たちと山へ遊びに行って、自分だけ道を間違えたようで、村へ帰ることが出来なくなりました。

     だんだん日が暮れて、山道は真っ暗です。不気味な動物の鳴き声が聞こえだし、心細くなりながら歩いていると、向こうにたった一つ、明かりが見えたので、ほっとして訪ねていきました。

     「こんばんは、どなたかおりますか?」と、外から声をかけると、出てきたのは山姥で「ここは人食いの家だ!泊めるわけにはゆかぬ。普通の人の家を探しなされ」と言うのです。

     娘はぞっとしたものの「今夜のような暗い晩に、山の中を歩いていれば、熊か狼に食べられるに決まっております。それでしたら、こちらで食べられたほうがまだ良いのです。」と答えました。

     娘を哀れに思った山姥は、家の奥から蓑を持って来ると娘に渡し「大事な宝だが、これをお前にあげる。これを被ってもっと先へ行くが良い。この蓑を着て叶え事を三回となえると、自分の思った通りの姿になれる。また、欲しいと思うものは、この蓑を振ると何でも出てくる」と言います。

     娘は、さっそくよぼよぼのお婆さんになって、山姥の家を出発しました。

     途中、鬼が通行人を待ち伏せするところがあったのですが、よぼよぼのお婆さんを見て、「盗るものは無いだろう」と、無事に通ることが出来ました。

     夜明けごろ、知らぬ里に出ることが出来て、ある長者の家の前に着きました。どこでも良いので置いてほしい、とお願いすると、「お婆さまもお困りだろうから、長屋の空いているところに居るが良い」、と言って住まわせてもらえることになりました。

     その長屋では、昼は糸つむぎをして暮らしをたてながら、夜はもとの娘になって、手習いをしていました。

     ある時、その家の下男が手習いをしている娘を見つけたので、化け物かと思い長者どのに話しました。

     次の日、長者どのは、お婆さんを呼んで問いただしてみますと、山姥にもらった隠れ蓑の話を始めました。長者殿は娘の家をさがし、今までの話をしたそうです。

     娘の家では大喜びでした。その後、娘は長者の家へ嫁ぐことになり、一家仲良く栄えたそうであります。

    どんな時でも腐らず諦めなければ、いずれ道は開けます。道が開けるまで辛抱できるかどうかで、その後の展開が変わります。

    日本の昔話の教訓「山姥の隠れ蓑」
  • 日本の昔話の教訓「かぐや姫」

    どうにもならない事は運命として受け入れる!

    ストーリー

    一人の爺様が山で竹を伐って、器を作り、それを売って生計を立てておりました。

     ある日、爺様が竹を取りに行くと光る竹が見つかりました。伐ってみると中から小さな女の子が出てきたのです。

    かぐや姫の画像
    日本の昔話の教訓「かぐや姫」

     爺様は自分の娘として育て、美しく成長した娘は、光輝くほどの美しさという意味で「かぐや姫」と呼ばれるようになりました。

     また爺様の伐ってくる竹の中には、いつも黄金が詰まっていたので、貧乏から僅かのうちに長者になりました。

     成長したかぐや姫のもとには、お嫁さんにと大勢が訪ねてきました。かぐや姫は五人の金持ちに難しい問いをかけました。光る実のなる金の枝、金の革毛、龍の首飾り、仏様の鉢、つばめの子安貝。男たちは持ってきましたが、どれも偽物でした。

     秋が来るとかぐや姫は寂しそうな表情をするようになり、爺様が訪ねると、「私は月の世界からやってきました。次の満月の夜に月へ帰らねばならないのです」と告白しました。爺様は自分のもとからかぐや姫が去ることを悲しく思い、月の迎えから、かぐや姫を守ってもらおうと、都の侍に頼みました。

     しかし、月の迎えはまぶしく、侍たちは刀を振ることも、矢を射ることもできず、かぐや姫は月へ帰って行きました。

    どうにもならないことは、それを与えられた運命として受け入れるしかありません。
    求婚しても断られること、月へ帰ること、それらを変えることは誰にもできません。
    世の中には自分の力ではどうにもならないことがたくさんあるのです。だから出来ることは真剣に取り組むべきなのです。

    かぐや姫の画像
    日本の昔話の教訓「かぐや姫」