惰性の取り組みに向上はない!
ストーリー
ある日、猟犬が茂みの中に入る兎を見つけた。
猟犬は兎を捕まえようと茂みから追い立てたところ、兎は勢いよく逃げ出し、猟犬は全速力で追いかけた。
ところが兎の方が足が速く、あっという間に逃げられてしまった。
それを見ていた牧羊犬が言った。「お前は、それでも猟犬か?あんなに小さな兎がお前より速く走って逃げきったじゃないか。」
それに答えて猟犬が言った。「おれは楽しみで追いかけたが、兎は災難から逃れようと全力で逃げたからさ。」
惰性で取り組んでいては、向上は望めない。 全力で挑む者と、惰性で流す者とでは、上達の質も速さもまるで違う。 まして「本気じゃなかったから仕方ない」と言い訳するようでは、成長の機会を自ら手放しているようなものだ。
たとえば、組織で行われる定例会議を思い出してほしい。 上司は数字を追い、部下に圧をかけるために会議を開く。 参加者は、毎週繰り返されるその場を「惰性の儀式」と感じながら、 仕事をしているふりを演じる。 外から見れば、チーム全員が目標に向かって努力しているように映るかもしれない。
だが実際には、誰もが「無駄な時間」と感じながら、 その場の空気に身を委ねているだけだ。
しかし、それは甘えだ。 その甘えが許されるのは、仕事の本質が問われていないからに過ぎない。 本気で走らなくても成立する仕事は、やがて淘汰される。 惰性で続く組織は、いずれ本気の個人や集団に追い抜かれる。
だからこそ、今問うべきなのだ。「これは惰性か?それとも本気か?」 その問いが、質の転換点になる。
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