安全圏の錯覚が、搾取を正当化する!
ストーリー
鷲と狐が友達になって同じ木に住むことになった。一緒に住めば友情も、より一層深まると考えたからだ。 鷲は木の一番高いところに巣を作り、狐は木の根元の茂みで子育てをすることになった。
ところがある時、狐が餌を探しに出かけた隙に、食べ物に困った鷲は木の根元に舞い降りて狐の子供をさらって、雛と一緒になって食べてしまった。 帰ってきたキツネは事の次第を悟ったものの、飛んでいるものに仕返しの手立てがなく、上を見上げ鷲を呪っていた。
あるとき野原で生贄の山羊が焼かれているとき、鷲が舞い降りて火のついた肉を失敬した。 巣に持ち帰ったまでは良いが、突風が吹きつけて小枝でできている巣は一気に燃え上がった。このため、まだ羽も生えそろわない雛は焼かれ、地面に落ちてしまった。
それを見た狐は駆け寄るなり、鷲の目の前で雛を食べてしまった。
鷲は空を飛べるという物理的優位性を持ち、狐の子を奪っても報復されないと高を括っていた。これは、権力や制度の上位にいる者が、下位の者に対して不正を働いても「安全圏」にいると錯覚する構造に似ている。
狐は直接的な報復手段を持たなかったが、鷲が自らの欲望によってリスクを招いたことで、構造が崩れた。制度的な不正が「外部要因」や「設計ミス」によって露呈し、下位の者に一時的な報復の機会が訪れることを象徴している。
この寓話では狐は偶然、報復ともいえるチャンスに恵まれた。
しかし解決すべき構造的な問題は何も解決されていない。
学ぶべきは、「安全圏にいる思い込んでいる上位者が搾取を生まない構造をどう設計すればよいのか」と問うべきではないだろうか。
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