自分の違和感は正義の芽かもしれない!
ストーリー
犬を二匹飼う男がいて、一匹には狩りを仕込み、もう一匹は番犬にした。
猟犬が狩りに出て何か獲物をとってくると、男は番犬に分け前を与えた。
猟犬は腹に据えかねて番犬に向かって「おれが外へでて苦労して獲物をとっているのに、お前はのほほんとして分け前にあずかり、おれの稼ぎで贅沢三昧だ」と非難した。
それに対して番犬が言った「おれにそんなことを言ったって仕方ないだろう。主人に文句を言ってくれ!躾けられたとおりにしているのだからな」
苦労は力になる。だが、その苦労が正当に報われる仕組みがなければ不満がたまり、やがて仕組みや制度を見直す正義に変わる。
会社勤めをしていれば、こんな違和感を覚えたことはないだろうか。
「同じ給与なのに、あの人は涼しい事務所でパソコンを叩いているだけ。自分は炎天下や寒空の下、取引先に頭を下げて回っているのに…」そんな不公平感が、静かに心に積もっていく。
このような不公平な制度に違和感を持っていても、昇進や内勤に異動してしまうと、何も疑問を抱くことが無くなる。不公平な制度の恩恵を受けている者は、それを変える動機がない。だから、不公平な仕組みが連綿と続くことになる。
最初に感じた違和感を忘れずにいることは、自分の感性を麻痺させないための自己防衛でもある。それは、倫理的な感性がまだ生きている証であり、制度を問い直す力の源泉だ。この感性を守り、育てることこそが、変革の始まりになる。
同じ環境に長くいると、刺激が鈍化し、違和感すら感じなくなることがある。だからこそ、休みをしっかりとり、いつもと違う風景に身を置いてみる。
その静かな揺さぶりが、麻痺しかけた感性を呼び起こし、自分を取り戻すきっかけになるだろう。
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