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慢心を戒める教訓

  • イソップ寓話の教訓No.4「ナイチンゲールと鷹」

    逃したチャンスは二度と訪れない

    ストーリー

    ナイチンゲールがいつものように高い木の上で歌っていると、腹が減った鷹が見つけ、飛びかかって捕まえた。

    ナイチンゲールは殺される寸前に「私ではあなたの胃袋を満たすには小さすぎます。お腹がすいているなら、もっと大きな鳥に向かうべきです!」と言って、逃がしてほしいと頼んだ。

    すると鷹が答えて言うには、

    「手の中にあるご馳走を放り出して、まだ見ぬものを追いかけるほど、おれは間抜けではない!」

    もっと、もっと、と大きなものを望んではいけない。今、手の中にあるものを大事にすることだ!

    ※類似教訓
    イソップ寓話の教訓No.87「金の卵を生む鵞鳥(ガチョウ)」


    イソップ寓話の教訓No.18「漁師と鰊」


    イソップ寓話の教訓No.97「仔山羊と笛を吹く漁師」

    ナイチンゲールと鷹の画像
    イソップ寓話の教訓No.4「ナイチンゲールと鷹」
  • イソップ寓話の教訓No.3「鷲とセンチコガネ」

    小さく力のない者でも侮ってはいけない

    ストーリー

    鷲が兎を追っていた。兎には誰も助けてくれなかったが、センチコガネを見つけたのを幸いに、これに助けを求めた。

    センチコガネは兎を励まし、鷲が近づいてくるのを見ると「兎を連れさってくれるな!」と頼んだ。

    それなのに鷲はセンチコガネの小さいのを侮って、目の前で兎を平らげてしまった。

    それ以来、センチコガネは恨みを忘れず、鷲の巣を見張り続けて、鷲が卵を生もうものなら、飛んで行って、卵を落として割ってやった。

    どこへ行っても卵を落とされるので、とうとう鷲はゼウスの所へ逃げ込んで、安全な巣作りの場所をお願いした。鷲はゼウスの使いであったのだ。

    ゼウスは自分の懐で卵を生むことを鷲に許したが、それを見ていたセンチコガネは糞団子を作るなり飛び立って、ゼウスの懐の真上に来るとポトリと落とした。

    ゼウスは糞を払おうと立ち上がったとたん、うっかり卵を落としてしまった。

    これ以来、センチコガネの出る季節には、鷲は巣を作らなくなった。

    この物語の教訓は、
    小さく力のないものでも侮ってはいけない。相手を甘く見てとった行動は、いずれ報いとして自分に帰ってくるのだ。

    鷲とセンチコガネの画像
    イソップ寓話の教訓No.3「鷲とセンチコガネ」
  • イソップ寓話の教訓No.2「鷲と黒丸烏と羊飼」

    自分の能力は正確に見積もれ!

    ストーリー

    鷲が高い岩場から舞い降りて、子羊をさらっていった。

    これを見ていた烏は「あの程度なら、自分も真似してやれ!」と羽音高く飛び立つと、急降下して襲い掛かったのは、大人の牡羊。

    ところが牡羊は重く、逃げようにも、ふさふさした毛に爪が食い込み、引き抜くことができないまま羽をばたつかせているうちに、とうとう羊飼いが気づいて、走り寄るなり捕まえてしまった。

    羊飼いは、烏の風切り羽を切っておいて、夕方になると子供への土産に持ち帰った。

    そして子供に「これは何の鳥の羽根?」と聞かれ、羊飼いが答えるには、

    「これは間違いなく烏の羽根だよ!だが、こいつは鷲のつもりでいるんだ。」

    この物語の教訓は、
    自分の能力は正確に見積もる。
    だれでも時として、自分を過大評価するものです。自分の能力を過信し大きな希望を持つことは自由ですが、期待がかなわない時に、気力もなえてしまいます。自分の能力を客観的に知ることは、愚行への最大の予防です。

  • グリム童話の教訓「麦の穂」

    失った時にその有難さを思い知らされる!

    ストーリー

    むかし神様が地上をご自分で歩いていたころ、麦の粒は茎の下の方から上の方まで、べたいちめんについていました。ですから穂も長いものであったのです。けれど人間の常として、ふんだんにあるものは、さほど有難く思わず軽はずみな気分になるものです。

    ある日のこと、女と小さい子供が、麦畑の脇を通りかかりました。小さい子供が、水たまりに落ちて、着ものを汚してしまったのです。母親は見事な穂をひとつかみむしり取って、それで子供の着ものを拭いてやりました。

    ちょうどそこを通りかかられた神様が、これをご覧になると、お腹立ちで「これからは麦の茎には、いっさい穂をつけてやらぬ。人間どもは天の恵みをうける値打ちがない」とおおせになりました。

    まわりで、このお言葉をうかがった者たちは、驚いて膝をつき言いました。「どうぞ、ほんの少しばかりでも、穂を茎に残しておいてくださいますように。人間には値打ちが無くとも、罪もない鳥のために、なにとぞ!」

    神様は、先々困るのがおわかりですから、可哀そうに思い、この願いをおききとどけなりました。こんなわけで、麦の穂は上の方だけ残っているのです。

    この物語の教訓は、
    身の回りに当然のようにあるものは、普段はどうでも良いというな気持ちになる。
    ところが、それを失った時に、その有難さを思い知らされる。

    麦の穂の画像
    グリム童話の教訓「麦の穂」
  • グリム童話の教訓「釘」

    些細な事を疎かにして大事故になった話!

    ストーリー

     ある商人が市場で商売をして、持ってきた商品を残らず売り切った。商人は夜にならないうちに家へ帰ろうと、自分の乗っている馬に鞄をくくりつけ出発した。

     正午にどこかの町で休憩したが、さて出かけようとする時に、下僕が馬をひいてきて言った。「旦那様、お馬の左の後あしの蹄鉄の釘が一本抜けておりますが。」
    商人は「そのままにしておきなさい。道のりは、あと六時間あるだろうが、そのくらいでは蹄鉄は落ちはしまい。急いでいるからな」と言った。

     お昼過ぎに、また一休みして、馬に食べ物をやらせると、下僕が部屋に来て言った。「旦那様、お馬の左の後あしの蹄鉄がなくなっております。鍛冶屋へ連れてまいりましょうか」商人は「とれたまんまにしておきなさい。あと一、二時間だ。それくらい我慢できるだろう。急ぐのだからな。」と言った。

     そのまま出かけましたが、それほど経たないうちに、馬はびっこをひき始めた。びっこをひきだしたかと思うと、やがてつまずくようになり、つまずいているうちに、馬はばったり倒れて、あしを一本折ってしまった。

     否応なしに馬はそのままにしておいて、商人は馬の背中にくくりつけてあった鞄を自分でかつぎ、てくてく歩いて、夜中になって家に着いた。

     商人は独り言で「こんなひどい目にあったのも、もとはといえば、あの釘一本のせいだ、いまいましい奴だ!」

    些細なことを疎かにすると大事故へと発展することがある。事故は起こるべくして起こるもの。他者に責任転嫁する前に、自分の見通しの甘さを反省し、失敗しない仕組みを作ることが重要です。

    類似教訓
    イソップ寓話の教訓No.146「鼠に怯(オビ)えたライオン」

    釘の画像
    グリム童話の教訓「釘」
  • 死神のお使いたち

    生活習慣は人生の土台です

    ストーリー

    ある時、一人の大入道が道幅の広い大通りをのそりのそり歩いていました。

    すると見知らぬ男がいきなり飛び出してきて「止まれ!」と呼びかけました。大入道が「お前は誰だ?」と尋ねると、その男は答えて「おれは死神だよ。おれの命令には、お前も聞かなければならないのさ!」

    大入道は「そんな馬鹿なやつはいない」と言って死神をげんこつで殴り倒したので、死神は道の脇で伸びてしまいました。大入道はそのまま行ってしまいましたが、死神は起き上がる力もありません。

    そのうち、年の若い元気な男がやって来ました。元気の良い丈夫な男で、鼻歌を歌いながら、あっちこっちを眺めていましたが、気絶している男に目がとまると、気の毒に思って、持っていた瓶から飲み物を口へながしこんでやって、元気になるまで様子を見ていました。

    「おまえ、おれが何者だか知っているのか?」とやっと起きながら尋ねると、若い男は「おまえの素性なんかしらないよ」と返事をしました。

    「おれは死神だ。だれだって容赦しないのさ。だがね、おれは、おまえをありがたく思っているから、お前に約束しよう。おまえだけは不意打ちをくわせない。おれが迎えに行く前に、使いをいくつか出すことにしよう。」

    「ありがたい、死神の来る時が前からわかって、それまでは、さらわれる気遣いなしにいられるのは、もうけもんだ。」若い男はこんなことを言いながら先へ行きましたが、ただぼやっと日を送るだけでした。

    けれども若さと健康は永続きするものではなく、いろいろな病気や苦しみが起ることになりました。「死ぬことはないぞ。死神のやつは使いをいくつもよこすはずだからな。病気のいまいましい日が過ぎてしまえばよいのだ。」と男は独り言を言いました。それで体の具合が良くなると、またすぐに堕落した生活が始まりました。

    ある時、だれかが肩を叩きます。振り返ってみると死神が後ろに立っていて、「おれについてきな。おまえは、この世にわかれる時が来たんだ。」と死神が言うのです。男は「なんだって。約束が違うじゃないか。おまえが来る前に使いをよこすと約束しなかったか!使いなんか一人も来ないぞ」と言いました。

    死神は答えて「だまれ!使いならあとから後から、お前のところへやったではないか。熱が行かなかったか、目まいがおまえの頭をばかにしたことはないか、痛風がおまえの関節をつねったことはないか、耳鳴りのしたことはないか、歯の痛みがおまえのほっぺたをかじったことはないか、目の前が暗くなったことはないか。」

    男は、なんとも返事ができず、これを自分の運命とあきらめて、死神のおともをして行ってしまいました。

    この物語の教訓は、
    生活習慣は人生の土台です。歳を重ねれば、だれでも死神のお使いがちらほら見えているはずです。具合が悪ければ体のメンテナンスをしましょう。そして、今から少しでも生活習慣を改善しようではありませんか。

    死神のお使いたちの画像
    死神のお使いたち