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慢心を戒める教訓

  • イソップ寓話の教訓No.326 「臆病な猟師」

    「ふり」をする人は馬鹿にされる!

    ストーリー

     臆病な猟師が、木がうっそうと茂る山でライオンの足跡を追っていた。
     大きな木の側で木こりに出会って、「森のニンフにかけてお願いだ。この辺りの洞穴に住むライオンの足跡をしらないか?」と尋ねた。
     木こりが「それは丁度良いところだった。すぐにライオンの住処へ案内しよう」と答えると、木こりは真っ青になってガタガタ震えながら言った。
     「頼んだこと以上の親切は無用だ。足跡だけでいい!」

    ニンフ:ギリシャ神話の精霊・妖精

     自分はライオン狩りをするような勇敢な人物だと思われたい。誰かにそう気づいてほしい。だから、その誰かにライオンの足跡を尋ねる。
     だが実際には、襲われるのが怖くて狩りなどできない。本当の自分は臆病者で、ライオンそのものには会いたくないのだ。 こんな甘えた人物は、あちこちにいる。 「できるふり」や「しているふり」をする者は、いずれ見抜かれ、嫌われ、馬鹿にされるのが落ちだ。 
     あなたの「ふり」は、誰の目を意識したものだろうか。
     そしてその目は、本当にあなたを見ているだろうか。

  • イソップ寓話の教訓No.327 「海の幸山の幸」

    飽きるのは成長が止まった証拠!

    ストーリー

     狩人は狩りを終えて山から下り、漁師は魚籠を魚で一杯にして戻る途中で、ばったり会った。狩人は海を泳ぐ魚が欲しく、漁師は野の獲物が欲しくてならず、お互いの持っているものを交換した。それからというものは、いつも交換して食事を楽しんでいた。
      それを見た人が言った。
    「習慣になれば、だんだん飽きてきて、その楽しさも消えるだろう。今度は元のものが恋しくなるのだ!」

     人は簡単には手に入らないものほど欲しくなる。しかし一度自分のものになって時間が経つと、つまらなく感じ始める。それは人であっても物であっても同じだ。
     手に入れたものが自分の中で変化しないから飽きる。要するに、そのものに対して自分の気持ちが変化しないから飽きるのだ。自分が成長していると自分が常に変化しているのだから、同じものでも少しも飽きない。飽きるのは成長が止まった証拠。
     あなたが、最近、飽きたと感じるものは何だろうか?

  • イソップ寓話の教訓No.325 「雲雀(ヒバリ)と農夫」

    何かを始めるには、まず自ら動く!

    ストーリー

     雲雀(ヒバリ)が若草の中に巣を作り、雛たちを麦の葉で育てていた。畑の主が見回りに来て、黄金色になった麦の穂を見ると、「そろそろ刈り取りの時期だ。何人か仲間を集めなければならない」と言った。
     雲雀(ヒバリ)の雛が一羽、これを聞いていて父親に、自分たちをどこかに移してほしいと頼んだ。
     父親はしかし「まだ逃げなくていい。仲間を頼りにする人は、そんなに急いでいないものさ!」と言うばかりだった。
     再び、畑の主がやって来て、麦の穂が光を浴びて、こぼれそうになっているのを見ると、次の日に穂の刈り手と、束の運び手を雇うと言いながら、段取りを始めた。
     すると雲雀(ヒバリ)が雛に向かって言った、「今度は本当に逃げる時だ。自分が動き出したのだから」

     何かを始めるには、まず自ら動くこと。
     自らの頭で考えても実際の行動は他人振る!というのは実効性がない。結果の出ない会社の企画によくあるパターンだ。
     この雲雀たちは見事に農夫に見つからず、巣をどこかに移すことが出来ただろうか?
     トラブルをうまく処理して安心から気を緩めたときに次の危険が迫っていることが多いので注意が必要だ。

  • イソップ寓話の教訓No.320 「馬と兵士」

    人は育てられたように育つ!

    ストーリー

     戦争が行われている間、騎士は馬を戦場における戦友とみなして大麦などの餌で大切に養っていた。
     ところが戦争が終わり平和が続くと、騎士も給料が貰えなくなる。すると生活のため、この馬を使って太い丸太を森から町まで引かせたり、雑多な荷物を運ぶ仕事に専念するようになった。
     そして馬の餌は惨めなふすまで命をつなぎ、背中に積むのは騎士の装備ではなかった。
     ところが、新たな戦争のうわさが流れラッパが鳴ると、あの男も再び剣を研ぎ、盾を磨き、馬を飾り、轡を噛ませ、馬にまたがろうとした。
     しかし馬はもはや力なく倒れこんで、男に言った。「歩兵隊として戦争へ行ってください。私を馬から驢馬へ変え、さんざんこき使ったのに、どうして驢馬から馬へ戻そうとするのですか。もうあなたの都合に合わせることができません!」

    ※ふすま:小麦を製粉するときに除かれる外皮部と胚芽

     人は育てれたように育つのだ。そして人も動物も機械も無理をすれば寿命が縮むし、大切にすれば長持ちする。
     会社組織を思い出してほしい。「制度の搾取」「労働の使い捨て」「誠実さの軽視」どれも本人が気づかぬうちに、悪循環にはまる可能性がある。
     人事制度の名のもとに繰り返される、ご都合主義と使い捨て。「育成」「柔軟性」「多様な経験」などの美辞麗句の裏に、誰が決定権を持ち、誰が代償を払っているのか。
     あなたの職場のJOBローテーションは、育成か、消耗か。

  • イソップ寓話の教訓No.316「ヘラクレスとアテナ」

    力で相手を押さえつけようとするのは逆効果!

    ストーリー

     ヘラクレスが狭い道を歩いていると、地面に林檎のようなものが落ちていた。踏みつぶそうとしたところ、それは二倍の大きさになった。さらに強く踏みつけ、こん棒で殴りつけた。
     すると、ますます膨らみ、道をふさぐほどになったので、ヘラクレスがこん棒を投げ捨て、あっけにとられていると、アテナの女神が現れて言った。「ヘラクレスよ、止めるが良い。それは敵がい心であり、争いであるのだ。相手にせずほっておけば元のままだが、力で押さえつけようとすると、このように膨れ上がるのだ」

    ※アテナ:ギリシャ神話で技術、学芸、戦いなどをつかさどる女神。

     争いを力で抑えようとするのは、むしろ逆効果である。
     一方が力を使えば、相手も力で応じる。そうして憎しみは増幅し、争いは収まるどころか、ますます深まっていく。
     ヘラクレスは「邪魔なもの=悪」と見なし、力で排除しようとした。しかしその行為は、対象をますます膨らませ、ついには道を塞ぐほどになってしまう。
     そこへ現れたアテナはこう諭す――「争いは、力で抑えようとすると膨れ上がる。相手にせず放っておけば、元のままなのだ。」
     つまり、敵意に敵意で応じれば、対立は拡大する。争いを鎮めるには、力ではなく、理解と距離、そして知恵が必要なのだ。

    この話の続きが、次のようになれば争いは起きないだろ。
     ヘラクレスはこん棒を捨てた。だが、道は塞がれたままだった。
    そこで彼は、林檎のような塊に近づき、静かに語りかけた。
    「お前は争いの象徴だ。だが、私は争わない。私は、別の道を探す。」
     すると塊は、少しずつしぼみ、地面に吸い込まれていった。争いは、力に反応する。だが、居場所を失うのだ。

  • イソップ寓話の教訓No.306 「ヘルメスと蟻に噛まれた男」

    自分の良くないところは気づかない!

    ストーリー

     船が乗客を乗せたまま海に沈むのを目撃した男が言った。「罰当たりが一人乗り込んでいるからと言って、罪もない人が大勢巻き添えを食っている。神の裁きは正しくない!」
     すると蟻の大群が行列をなして男の足元を歩いていた。そして中の一匹が男の足に咬みついたところ、男はたまらずたくさんの蟻を一緒くたに踏みつぶした。
     するとヘルメスが男の前に現れ、その男を杖で打ちながら言った。「お前は神々が人間に対する裁きを非難しておったが、蟻に同じことをしているではないか!」

    自分の良くないところには、なかなか気づけない。
    けれど、他人の欠点はよく見えるし、つい指摘したくもなる。

    他人を批判することで、「それを見抜ける自分には問題がない」と錯覚してしまい、 かえって自分の問題点が見えなくなる。

    あなたは、誰かの判断を批判するとき、 自分がその立場に立ったときの振る舞いを、見つめているだろうか。

  • イソップ寓話の教訓No.291 「牛追いとヘラクレス」

    神頼みの前に出来ることはやり尽くす!

    ストーリー

     牛追いが村から荷車をひいてくる途中、車輪が窪みにはまってしまった。何とか抜け出さねばならないのに、牛追いはぼさっと突っ立っていた。
     しまいに彼が崇拝する唯一の神様であるヘラクレスに助けを求めるため祈り始めた。
     するとヘラクレスが現れて言った。
     「牛追いよ、車輪に取り付き押しながら、突き棒で牛をつけ!自分でも何かしてから神頼みをするがよい。さもないと祈っても無駄だ。」

     できる限りのことは、まず自分でやり尽くすべきだ。
     思いもよらぬトラブルに見舞われたとき、ただ立ち尽くしていては何も始まらない。
     まずは頭を使い、手足を動かすこと。そうすれば、事態はたいてい好転する。仮にうまくいかなくても、納得のいく過程を経ていれば、結果を静かに受け入れられるはずだ。
     祈りや神頼みは、その後でいい。

  • イソップ寓話の教訓No.287「アラブ人と駱駝」

    視点を変える!

    ストーリー

     アラブ人が駱駝に荷物を積みながら「上り坂と下り坂のどちらが好きか?」と駱駝に尋ねた。
     閃きのある駱駝は言った。「平らな道は塞がっているのですか?」

     好ましくない二者択一に、真面目に悩む必要はない。肩の力を抜いて、問いそのものを見直してみよう。
     視点を変えれば、選択肢はもっと広がっている。

  • イソップ寓話の教訓No.284「一緒に旅をする人間とライオン」

    強さを見せつける必要はない!

    ストーリー

    ライオンが人間と旅の道連れになった。

    どちらが強いかという話をしたが、どちらも口で自慢するばかり。

    しばらく行くとライオンを絞殺そうとする人間の石像があったので、男がこれをライオンに見せながら「どうだ、人間の方がライオンより強いだろう!」と言うと、

    ライオンはニヤッと笑って言うには、

    「ライオンに彫刻が出来たなら、ライオンの餌食になる人間をたくさん見られるだろう!」

    強さを見せつける必要はない。自分の強さを不用意に見せつければ、その一瞬は気分が良いが、そのうち何かの形で反発や抵抗を思い知らされる。

  • 日本の昔話の教訓「小僧と狐」

    対処する知恵を持つ!

    ストーリー

     昔々ある山寺に「ずいてん」という名の小僧さんがありました。

     和尚様がよそへ行って一人で留守番をしておりますと、狐が庫裡の出入り口へ来て「ずいてん」、「ずいてん」と呼んでいます。小僧さんが知らん顔をしていると、いつまでも呼んでいます。

     あまりに憎らしいので本堂の窓から覗いてみますと、狐は入り口に背中を向けて立っています。そうして太い尻尾で戸をこすると「ずい」という音がする。それから頭を戸にぶつけると「てん」という音がするのでありました。

     賢い小僧さんは早速戻ってきて、そっと戸口の脇にたって「ずい」という音がした時にがらりと戸を開けますと「てん」と戸を叩こうとしていた狐は、庫裡の庭へ転げ込みました。

     すぐにその戸を閉めておいて、棒を持ってきて狐を追いかけましたが、そのうちに狐の姿は見えなくなってしまいました。

     それから本堂の方へ行ってみますと、いつの間にか本尊のお釈迦様が二つあります。どちらが狐の化けたのやら、見分けることができません。

     「な~に、そんな事をしたってすぐにわかるさ。うちのご本尊様はお勤めをあげると舌をお出しになるから間違えっこない」と言って、ぽんぽんと木魚をたたいてお経を読んでいます。すると狐の化けたお釈迦様はぺろっと舌を出しました。

     「それでは、狐の化けたのは残しておいて、これから仏様にお仏供(おぶく)を差し上げましょう」と言って、さっさと台所へ向かいますと、後から狐の化けた本尊様が、のこのこと歩いてきました。

     「それでは、まず行水をあげましょう」と土間の大釜の中へ抱いて入れると、開かないようにしっかりと蓋をして、火を焚きました。和尚様が戻ってこられるまでに、狐のまる煮をこしらえたそうであります。

    ※庫裡:僧侶の居住する場所
    ※お仏供:仏前にそなえる米飯

    対処する知恵を持つ。
    いじわるされる、馬鹿にされる、望まない状態になった時は冷静になって対処方法を考えることが必要だ。どうしても打つ手が思いつかない時は、何か他のことに集中し辛抱してみよう。時間が解決してくれることもある。落ち着いたら、どうしてこのような事態になったのか?どこかに自分がおこなった行動のツケが回ってきたのではないか?と考え、振り返ることが必要だ。

    小僧と狐の画像
    日本の昔話の教訓「小僧と狐」
  • 日本の昔話の教訓「にわか入道」

    自分だけは大丈夫と過信しない!

    ストーリー

     昔ある村で悪い狐が出ていたずらばかりして困っていたころ「おれは狐に化かされない」と言って威張っている男がいた。

     その男がよそから帰ってくると、川原で狐が木の葉を頭にのせて女になり、川藻を丸めて赤ん坊の形にして抱いているのを見かけた。

     「あの狐、人をばかすつもりだな。よし、どうするか見ていろ!」と言って、石を拾って投げつけると、それがちょうど赤ん坊にあたって死んでしまった。

     母親は泣いて怒って、子供を元の通りにして返せと言う。なんだ、おまえは狐じゃないかというと、ますます腹を立てて承知をしなくなった。

     そうしていつまでたっても狐にならないので、見れば見るほど人間の親子に思えてきて、大変なことをしてしまったと思うようになった。

     いろいろと言葉を尽くしてあやまったが、なかなか一通りの事では許してもらえなかった。

     男は「しかたがないので、坊主になって詫びをする」と言って、近くの寺まで一緒に行き、和尚様に頭を剃ってもらった。

     その和尚様の剃り方が非常に痛い。あまりに痛いので、やっと正気になって辺りを見回すと、もうさっきの母親も赤ん坊もおらず、和尚も寺も無かった。

     剃ってもらったと思った頭の毛は、みんな狐に食いちぎられていたのだった。

    自分だけは大丈夫と過信しない。実際にトラブルに合うと動揺し冷静な判断が難しくなる。いつ被害者や加害者になるかもしれない、と心の準備をしておくことである。

    にわか入道の画像
    日本の昔話の教訓「にわか入道」
  • イソップ寓話の教訓No.281「タナグラの雄鶏」

    負けてしまったことで災難から助かることも多い

    ストーリー

    タナグラの雄鶏が喧嘩をした。気性が人間に似ているといわれる鶏だ。

    負けたほうは傷だらけで、鳥小屋の隅に身を潜めている。

    相手はさっそく屋根に跳びあがると、羽ばたきしながら勝どきをあげる。

    ところが鷲がこいつを屋根から捕まえて飛び去った。

    残った鶏は心おきなく雌鶏とつがいになった。

    ※タナグラ:ギリシャの地方の町

    この物語の教訓は・・・
    負けても悔しがらない。負けてしまったことで災難から助かることも多い。もし、そのような経験がないなら、よほど運が良く強い者か、負けて助かったことに気づいていないだけだ。だから、もし勝ったとしても有頂天でいるわけにはいかない。