カテゴリー: 日本の昔話

日本の昔話にまつわる教訓を掲載

  • 日本の昔話の教訓「二十三夜さま」

    大切なものは目に見えない!

    ストーリー

     むかし二十三夜には親類みんなが集まり、食事をとりながら、夜通し語り合う習慣があったそうだ。

     その日も、ある一軒の家に二人の客が来ていた。二人の客と家の主が酒を飲みながら月待ちをしていると、そこへぼろぼろの着物を着た乞食がやって来た。 乞食は「これはこれは、皆さま月待でいらっしゃいますか。一緒に拝ませてくださいな」と言った。家の主は快く迎えたが、二人の客は面白くなかった。二人の客は言った「そんな乞食を家に入れるのか?酒がまずくなるぞ。」

     乞食は主にうながされ、手足を洗って家の中へ入ると「こんな汚いじじいですまぬが、どうか月をともに拝ませてくだされ。」と挨拶した。やがて月が出ると、お神酒やお団子を食べながら、歌い踊り語った。

     さて、夜明けが近づいて乞食が帰る時に三人に向かって言った「私の家は月の出た山の方にあります。お仲間になったので次の二十三夜には私の家で一緒に月を拝んでいただきましょう。その時、お迎えに共人(トモビト)を使いますから、どうぞ来てくだされ。」と言って帰って行った。

     客の二人は「乞食のくせに大きな口をきくなぁ。乞食の使いなど聞いたことがない」と言うと、主は「そのような事を言わずに、せっかく誘ってくださるのだ、次の二十三夜には共に喜んで出かけましょう」と二人の客に言った。

     ひと月が経ち次の二十三夜には、例の二人の客人と主が共人が来るのを待っていた。暫くすると共人が迎えに来たので、三人は共人の後について行った。 しばらく歩くと、見たこともない立派な屋敷についた。三人は金銀七宝が並び朱塗りの膳に山のように御馳走が並べられた部屋に通されると、そこには例の乞食が待っていた。

     「さあさあ、どうぞお楽に。今夜は存分に飲み食いしてくだされ。後ほど特別な料理をこしらえて差し上げますから」そう言うと、乞食は部屋から出て行った。 二人の客は怪訝に思い、台所をのぞきに行った。台所の戸をそーっと開けると目に入った光景に二人は息を飲んだ。乞食は赤ん坊をまな板に載せ、料理を作っていたのだ。

     二人の客は驚き慌てて屋敷から逃げ出した。すると突然、二人の行く手を遮るように化け物のような大きな柱が地面から突き出した。二人はばらばらになって方向を変えて逃げて行った。

     屋敷に一人残された主の所へ乞食が料理を運んできた。乞食が料理していたのは赤ん坊ではなく、珍しい魚であった。そして、その魚は美味しいだけでなく、長寿の妙薬でもあった。

     やがて月がのぼり、温かいもてなしを受けた主が帰る時に、乞食は一本の刀を差し出して行った「この守り刀を持っていきなされ。この先へ行くと、化け物の柱が三本、天に向かって突き出てくる。そうしたら真ん中の柱をこの刀で切るが良い。」 主は丁寧にお礼を言って屋敷を出て行った。

     主がしばらく歩いていると、大きな音がして化け物のような柱が三本、天に向かって突き出した。主は乞食からもらった守り刀を抜き、真ん中の柱を伐った。すると柱は上の方から崩れ始め何かが降ってくるようだった。地面に落ちるとそれは黄金になり主の周りに山となった。 主はこの黄金のおかげでお金に困ることがなかったそうだ。

     屋敷を逃げ出した二人の客は、体じゅう傷だらけになりながら、三日後になって村に帰り着いた。 あの乞食は二十三夜の神様だったのだぞうだ。月の世界からくる二十三夜さまは乞食の恰好をして村を歩き、快いものに多くの幸を授けると言われた。

    ※二十三夜:人々が集まって飲食をともにしながら月の出を待つことをいう。三夜様とも三夜供養ともいう。

     目に映るものだけにとらわれていると本質は見えない。本当に大切なことは目には見えないことが多いのだ。だから物事の本質を見通せるよう自分を高めよう。表面的なものに惑わされないように。

    類似教訓
    イソップ寓話の教訓No.170「病人と医者」

  • 日本の昔話の教訓「小僧と狐」

    対処する知恵を持つ!

    ストーリー

     昔々ある山寺に「ずいてん」という名の小僧さんがありました。

     和尚様がよそへ行って一人で留守番をしておりますと、狐が庫裡の出入り口へ来て「ずいてん」、「ずいてん」と呼んでいます。小僧さんが知らん顔をしていると、いつまでも呼んでいます。

     あまりに憎らしいので本堂の窓から覗いてみますと、狐は入り口に背中を向けて立っています。そうして太い尻尾で戸をこすると「ずい」という音がする。それから頭を戸にぶつけると「てん」という音がするのでありました。

     賢い小僧さんは早速戻ってきて、そっと戸口の脇にたって「ずい」という音がした時にがらりと戸を開けますと「てん」と戸を叩こうとしていた狐は、庫裡の庭へ転げ込みました。

     すぐにその戸を閉めておいて、棒を持ってきて狐を追いかけましたが、そのうちに狐の姿は見えなくなってしまいました。

     それから本堂の方へ行ってみますと、いつの間にか本尊のお釈迦様が二つあります。どちらが狐の化けたのやら、見分けることができません。

     「な~に、そんな事をしたってすぐにわかるさ。うちのご本尊様はお勤めをあげると舌をお出しになるから間違えっこない」と言って、ぽんぽんと木魚をたたいてお経を読んでいます。すると狐の化けたお釈迦様はぺろっと舌を出しました。

     「それでは、狐の化けたのは残しておいて、これから仏様にお仏供(おぶく)を差し上げましょう」と言って、さっさと台所へ向かいますと、後から狐の化けた本尊様が、のこのこと歩いてきました。

     「それでは、まず行水をあげましょう」と土間の大釜の中へ抱いて入れると、開かないようにしっかりと蓋をして、火を焚きました。和尚様が戻ってこられるまでに、狐のまる煮をこしらえたそうであります。

    ※庫裡:僧侶の居住する場所
    ※お仏供:仏前にそなえる米飯

    対処する知恵を持つ。
    いじわるされる、馬鹿にされる、望まない状態になった時は冷静になって対処方法を考えることが必要だ。どうしても打つ手が思いつかない時は、何か他のことに集中し辛抱してみよう。時間が解決してくれることもある。落ち着いたら、どうしてこのような事態になったのか?どこかに自分がおこなった行動のツケが回ってきたのではないか?と考え、振り返ることが必要だ。

    小僧と狐の画像
    日本の昔話の教訓「小僧と狐」
  • 日本の昔話の教訓「にわか入道」

    自分だけは大丈夫と過信しない!

    ストーリー

     昔ある村で悪い狐が出ていたずらばかりして困っていたころ「おれは狐に化かされない」と言って威張っている男がいた。

     その男がよそから帰ってくると、川原で狐が木の葉を頭にのせて女になり、川藻を丸めて赤ん坊の形にして抱いているのを見かけた。

     「あの狐、人をばかすつもりだな。よし、どうするか見ていろ!」と言って、石を拾って投げつけると、それがちょうど赤ん坊にあたって死んでしまった。

     母親は泣いて怒って、子供を元の通りにして返せと言う。なんだ、おまえは狐じゃないかというと、ますます腹を立てて承知をしなくなった。

     そうしていつまでたっても狐にならないので、見れば見るほど人間の親子に思えてきて、大変なことをしてしまったと思うようになった。

     いろいろと言葉を尽くしてあやまったが、なかなか一通りの事では許してもらえなかった。

     男は「しかたがないので、坊主になって詫びをする」と言って、近くの寺まで一緒に行き、和尚様に頭を剃ってもらった。

     その和尚様の剃り方が非常に痛い。あまりに痛いので、やっと正気になって辺りを見回すと、もうさっきの母親も赤ん坊もおらず、和尚も寺も無かった。

     剃ってもらったと思った頭の毛は、みんな狐に食いちぎられていたのだった。

    自分だけは大丈夫と過信しない。実際にトラブルに合うと動揺し冷静な判断が難しくなる。いつ被害者や加害者になるかもしれない、と心の準備をしておくことである。

    にわか入道の画像
    日本の昔話の教訓「にわか入道」
  • 日本の昔話の教訓「金の椿」

    寛容さを持つ!

    ストーリー

     むかし、ある国に短気な殿様がありました。

     ある日、宴会が夜遅くまでつづき、宴席に居た奥方が思わずあくびをされたところ、大事な宴席で恥をかかされたと殿様は大変怒り、奥方を一人船にのせて島流しにされました。

     船は波に流されて、小さな島に流れ着きました。奥方は島人に助けられ、島の暮らしを送ることになったのです。


     間もなく、殿様のお子を産みました。その子は、島の子供と同じように育てられ十二歳になったころ、自分には父がいない訳を母に尋ねました。

     ことの次第を聞いた子供は、父に会いに行くといって、すぐに旅立ちました。

     やがて父のいる城の近くにくると、椿の花が咲いていました。子供は何を思ったか、その枝を折り、城の門の前で「金の椿はいらぬか」と大声で叫びました。

     その声を聞きつけた殿様が「その者を連れてまいれ」と仰せられ、家来が連れてくると、男の子が普通の椿の枝を持っているので「その方、このようなものを金の椿とふれ歩くのは、ふとどきものぞ!」ととがめました。

     男の子はそれに答えて「これはあたりまえの枝に見えますが、決してあくびをしない人が植えれば金の花が咲くのです!」

     殿様は「この世の中にあくびをしない者があろうか」と笑うと、男の子は「殿様は夜遅くの宴席であくびをされた奥方を島流しにされたではありませんか!」と言いました。

     殿様は、一時の短気で奥方を罪にしたことに気が付き、奥方を島から呼び寄せ三人で暮らしたということでございます。

    他人の些細な失敗や罪は広い心で許す寛容さを持つことが大切です。感情をコントロールして落ち着いていると信頼されます。

    金の椿の画像
    日本の昔話の教訓「金の椿」
  • 日本の昔話の教訓「山姥の隠れ蓑」

    道が開けるまで辛抱する!

    ストーリー

     むかし、ある山国の田舎に、美しい一人の娘がありました。

     春の日に村人たちと山へ遊びに行って、自分だけ道を間違えたようで、村へ帰ることが出来なくなりました。

     だんだん日が暮れて、山道は真っ暗です。不気味な動物の鳴き声が聞こえだし、心細くなりながら歩いていると、向こうにたった一つ、明かりが見えたので、ほっとして訪ねていきました。

     「こんばんは、どなたかおりますか?」と、外から声をかけると、出てきたのは山姥で「ここは人食いの家だ!泊めるわけにはゆかぬ。普通の人の家を探しなされ」と言うのです。

     娘はぞっとしたものの「今夜のような暗い晩に、山の中を歩いていれば、熊か狼に食べられるに決まっております。それでしたら、こちらで食べられたほうがまだ良いのです。」と答えました。

     娘を哀れに思った山姥は、家の奥から蓑を持って来ると娘に渡し「大事な宝だが、これをお前にあげる。これを被ってもっと先へ行くが良い。この蓑を着て叶え事を三回となえると、自分の思った通りの姿になれる。また、欲しいと思うものは、この蓑を振ると何でも出てくる」と言います。

     娘は、さっそくよぼよぼのお婆さんになって、山姥の家を出発しました。

     途中、鬼が通行人を待ち伏せするところがあったのですが、よぼよぼのお婆さんを見て、「盗るものは無いだろう」と、無事に通ることが出来ました。

     夜明けごろ、知らぬ里に出ることが出来て、ある長者の家の前に着きました。どこでも良いので置いてほしい、とお願いすると、「お婆さまもお困りだろうから、長屋の空いているところに居るが良い」、と言って住まわせてもらえることになりました。

     その長屋では、昼は糸つむぎをして暮らしをたてながら、夜はもとの娘になって、手習いをしていました。

     ある時、その家の下男が手習いをしている娘を見つけたので、化け物かと思い長者どのに話しました。

     次の日、長者どのは、お婆さんを呼んで問いただしてみますと、山姥にもらった隠れ蓑の話を始めました。長者殿は娘の家をさがし、今までの話をしたそうです。

     娘の家では大喜びでした。その後、娘は長者の家へ嫁ぐことになり、一家仲良く栄えたそうであります。

    どんな時でも腐らず諦めなければ、いずれ道は開けます。道が開けるまで辛抱できるかどうかで、その後の展開が変わります。

    日本の昔話の教訓「山姥の隠れ蓑」
  • 日本の昔話の教訓「かぐや姫」

    どうにもならない事は運命として受け入れる!

    ストーリー

    一人の爺様が山で竹を伐って、器を作り、それを売って生計を立てておりました。

     ある日、爺様が竹を取りに行くと光る竹が見つかりました。伐ってみると中から小さな女の子が出てきたのです。

    かぐや姫の画像
    日本の昔話の教訓「かぐや姫」

     爺様は自分の娘として育て、美しく成長した娘は、光輝くほどの美しさという意味で「かぐや姫」と呼ばれるようになりました。

     また爺様の伐ってくる竹の中には、いつも黄金が詰まっていたので、貧乏から僅かのうちに長者になりました。

     成長したかぐや姫のもとには、お嫁さんにと大勢が訪ねてきました。かぐや姫は五人の金持ちに難しい問いをかけました。光る実のなる金の枝、金の革毛、龍の首飾り、仏様の鉢、つばめの子安貝。男たちは持ってきましたが、どれも偽物でした。

     秋が来るとかぐや姫は寂しそうな表情をするようになり、爺様が訪ねると、「私は月の世界からやってきました。次の満月の夜に月へ帰らねばならないのです」と告白しました。爺様は自分のもとからかぐや姫が去ることを悲しく思い、月の迎えから、かぐや姫を守ってもらおうと、都の侍に頼みました。

     しかし、月の迎えはまぶしく、侍たちは刀を振ることも、矢を射ることもできず、かぐや姫は月へ帰って行きました。

    どうにもならないことは、それを与えられた運命として受け入れるしかありません。
    求婚しても断られること、月へ帰ること、それらを変えることは誰にもできません。
    世の中には自分の力ではどうにもならないことがたくさんあるのです。だから出来ることは真剣に取り組むべきなのです。

    かぐや姫の画像
    日本の昔話の教訓「かぐや姫」