カテゴリー: イソップ寓話

イソップ寓話にまつわる教訓を掲載

  • イソップ寓話の教訓No.18「漁師と鰊」

    ストーリー

    漁師が網を沈めて鰊を曳きあげた。

    鰊は命乞いして「私はまだ小さいので今日のところは逃がしてください!後になれば成長した私をずっと大きな獲物として捕まえることが出来るのです!」と頼んだ。

    漁師は答えて「今日、お前を逃がしてやったら、二度と捕まえることが出来ないだろうな!」

    たとえ小さい儲けでも、見込みに過ぎない大きな儲けよりましだ。

    ※類似教訓
    イソップ寓話の教訓No.4「ナイチンゲールと鷹」


    イソップ寓話の教訓No.97「仔山羊と笛を吹く狼」

    漁師と鰊の画像
    イソップ寓話の教訓No.18「漁師と鰊」
  • イソップ寓話の教訓No.16「猫と鶏」

    ストーリー

    猫がもっともらしい理由を言って、鶏をたべようと考えた。

    そこでまず猫は「おい、早朝から時を告げ、安眠妨害をするから迷惑だ!」と言いがかりをつけた。
    鶏は「朝に時を告げ、人を起こしてあげるのは役に立っているのですよ」と答える。

    すると猫は「野菜を食べるから畑を荒らす不届きものだ!」と言うと、鶏は「飼い主のくれた餌を食べているし、卵がたくさん産まれるためです」と答える。

    しまいに猫が言うには・・・、

    「いつまでも言い訳が続くからと言って、俺がお前に襲いかからないと思うな!」

    相手に悪意があると正当な答えも通用しない。

    猫と鶏の画像
    イソップ寓話の教訓No.16「猫と鶏」
  • イソップ寓話の教訓No.15「狐と葡萄」

    都合の良い口実で正当化してはいけない!

    ストーリー

    喉が渇いた狐が、木に実っている葡萄を見つけて、取りたいと思った。

    しかし、木の高いところに房をつけているので、どうしても届かなかった。

    取るのをあきらめた狐が独り言で言うには・・・

    「ここの葡萄は、きっと酸っぱい。だれが食べてやるものか!」

    都合の良い口実で能力不足を正当化してはいけない。できない言い訳、出来た者に対しての嫌味や妬みは向上心がないことをさらけ出している。
    気によじ登ってでも葡萄を取ってやろう!という意欲を持ちたい。その必死さは嫌味や妬みを賞賛や応援に変えるだろう。

    狐と葡萄の画像(イソップ寓話)
    イソップ寓話の教訓No.15「狐と葡萄」
  • イソップ寓話の教訓No.12「狐と豹」

    ストーリー

    狐と豹がどちらが美しいか競い合った。

    豹は体の模様の多彩さを言うので、狐は答えて・・・、

    「心が多彩な私のほうが、なんと美しいことでしょう!」

    体の美しさより、知恵のほうがより重要である。

    狐と豹の画像
    イソップ寓話の教訓No.12「狐と豹」
  • イソップ寓話の教訓No.459 「驢馬の覗き」

    責任転嫁を許す組織の構造

    驢馬の覗き

     焼き物師が仕事場にたくさんの鳥を飼っていた。
     驢馬が通りかかったが、驢馬追いがしっかりと追わないので窓から覗き込んだ。鳥はビックリして、室内を飛び回り、焼き物を割ってしまった。
     仕事場の主は驢馬追いを訴えた。
     驢馬追いが、向こうから来る人に罪状はなんだ?と聞かれ、それに答えた。「驢馬の覗きだ!」

     驢馬追いの「罪状は驢馬の覗きだ!」という答えは、責任を自分ではなく動物に押し付ける滑稽な言い訳です。これは、組織や社会でよく見られる「責任の所在を曖昧にする」態度への風刺でしょう。
     また、驢馬追いがしっかり追っていれば、覗きも起きず、鳥も驚かず、焼き物も割れなかった。つまり、予防的な注意を怠ることで、連鎖的に被害が広がる構造が描かれています。
     驢馬追いは管理責任を果たさず、責任を動物に転嫁した。この構造は、組織における役割と責任の不明確さを象徴しています。組織では、役割と責任が明確でないと、問題発生時に「誰のせいか?」という不毛な議論が起こり、根本的な改善がなされません。
     私が所属していた組織では、失敗事例を「発生原因の分析、再発防止策」の報告書として共有する文化がありました。しかし、残念ながら私には得心するところはありませんでした。責任の所在が曖昧で、原因分析も表面的なものが多く、再発防止策に至っては、根本原因を解決せず、構造的な対策を構築するものでもなく、マンパワーに頼るものが多く、持続性や再現性に乏しい印象を受けました。組織では問題の定義や報告の言葉遣いが、文化の成熟度や倫理観を反映しますし、責任を取るべき人が、言葉の定義を操作して責任を回避することは、組織文化の歪みの象徴でしょう。
     責任転嫁と責任者の責任回避をさせないために、どのような構造的アプローチが取れるでしょうか?
     まず、責任転嫁させない構造として、責任範囲を明文化し、誰が何を守るべきかを明確にするべきでしょう。こうすれば曖昧な責任領域を排除しやすくなります。
     次に責任者の責任回避をさせない構造として、事故分析において、言語の定義やフレーミングをチェックする仕組みを導入したり、透明性と誠実さを評価する文化を育てることが大事でしょう。
     あなたの組織では、責任の境界はどこまで明確ですか?

  • イソップ寓話の教訓No.453 「狼と羊飼」

    権限を持つ者のダブルスタンダード

    狼と羊飼い

     羊飼いがテントで羊の肉を食べている。それを狼が見つけ、近寄って言った。
     「俺が羊の肉を食べたら、お前たちは大騒ぎするくせに!」

     普段は「羊を襲う悪者」とされる狼が、今回はこう言います──「羊飼いこそが羊を食べているじゃないか」。
    そこには、ダブルスタンダードへの鋭い皮肉が込められています。 
     羊飼いは「羊を食べる」行為を正当な権利として行っていますが、狼が羊を食べれば違法・脅威とされる。これは、組織における「誰がやるかによって評価が変わる」構造を象徴しています。
     今でこそ、男性社員でも育児休暇を取ることは、一般的になってきました。しかし数年前までは、女性社員でも育児休暇を取ると「同僚に迷惑がかかる」と休みにくい雰囲気があり、結婚や出産を機に退職することが多かったことを記憶しています。まさしく、育児休暇制度も「会社が推進すれば正当な制度」とされます。
    しかし、個人が自ら取得を申し出ると『協調性がない』と見なされる空気が、確かに存在していました。
     この評価の非対称性は、権限を持つ者には甘く、権限を持たざる者に厳しい構造を助長することになります。
     組織内でのダブルスタンダードを防ぐには、「透明性」と「一貫性」を制度として組み込むことが不可欠でしょう。
     あなたの組織では「誰が言ったか」によって評価が変わっていませんか?その問いから、制度の見直しが始まるのかもしれません。

  • イソップ寓話の教訓No.429 「波を数える男」

    制度疲労を超えて再起動する組織

    波を数える男

     ある男が、波打ち寄せる浜辺に座って、波を数えようとした。数え損なって落胆し悲しんでいると、狐がやって来て言った。
     「どうして過ぎたことを悲しむのですか?そんなことは忘れて、今ここから数え始めるべきです!」

     男は「波を数える」という行為に集中していたが、うまくいかず落胆してしまう。これは、過去にこだわることで現在の可能性を見失ってしまう危険性を象徴しています。そこへ現れた狐は、「過ぎたことを悲しむより、今から数え始めればいい」と静かに諭しています。
     この言葉は、過去への執着を手放し、今この瞬間に目を向けることの重要性を示していると言えるでしょう。
     組織においても、外部環境(市場、技術、規制など)は波のように常に変化しており、過去の構造や制度に固執することは、柔軟な対応力を失うことにつながります。
     また、男が波を数えることに意味を見出していたように、組織もまた、特定の構造や役割に固有の意味や価値を見出しがちです。
     しかし、その意味が時代遅れになっている可能性もあります。だからこそ、狐の言葉「今ここから数え始めるべき」は、組織が現状を受け入れ、ゼロベースで構造を見直す勇気を持つべきだという示唆にほかなりません。
     まさにその姿は、声なき知恵を持つ人材が、組織の混乱や停滞の中で、過去に囚われた思考をそっとほぐし、未来への再起動を促す存在として、静かに、しかし確かに浮かび上がってくるのです。
     あなたの組織にも、静かに問いを差し出す“声なき知恵者”のような存在がいるかもしれません。

  • イソップ寓話の教訓No.414 「牡牛と母ライオンと猪」

    犠牲の上に成り立つ関係

    牡牛と母ライオンと猪

     牡牛が眠っている仔ライオンを見つけ、角で突き殺した。母ライオンがやって来て、死んだ子供をみて激しく泣いていた。
     泣く母ライオンを遠くのほうで見ていた猪が言うには、「どれほど多くの動物が、お前たちに子供を殺されて、泣いていることか!」

     この寓話から導ける教訓は、「自分が他者に与えてきた苦しみは、いつか自分にも返ってくる」ということです。つまり「因果応報」や「共感の欠如が悲劇を生む」という普遍的な真理を示しています。
     以下は、ある企業の実例です。
     その企業は、サービス価格を据え置くことで顧客との関係を維持していました。価格が変わらなければ顧客は不満を持たず、たとえサービスの質が下がっても「説明しやすい」という理由から、据え置きが続けられていたのです。しかし、この構造は下請け企業の犠牲の上に成り立っていました。
     やがて、公正取引委員会から独占禁止法違反の疑いを指摘され、下請け企業の取引価格を見直さざるを得なくなりました。利益を守ろうとした経営陣は、やむなくサービス価格に転嫁して値上げしましたが、顧客からは「NO」が突き付けられ、多くの取引先が解約に至りました。
     この事例は、組織が弱者を犠牲にする仕組みを持てば、その仕組みがやがて組織自身を締め付けることを示しています。だからこそ、短期的な「楽な交渉」ではなく、長期的に持続可能な関係を優先することが重要です。信頼を基盤にしていれば、値上げの場面でも受け入れられやすくなります。
     つまり「価格の据え置き」ではなく、「価値」で関係を維持することが大切なのです。

  • イソップ寓話の教訓No.405 「一眼の巨人(キュクロプス)」

    短期利益か、長期信頼か

    一眼の巨人(キュクロプス)

     誠実で、仕事熱心な男がいた。長い間、家族ともども安定した生活を送っていたが、あるとき極度の貧困に陥ってしまった。男は将来に絶望し、みじめに生きるよりは死んでしまうことを選んだ。自ら剣を手にして、人気の無い場所へ出て行った。
     しばらく行くと、とても深い穴を見つけた。中をのぞくと、そこには一眼の巨人が隠しておいた沢山の金塊があった。
     この男は、たちまち恐れと喜びで胸がいっぱいになった。しばらく茫然と立ち尽くしていたが、手にしていた剣を捨て、金塊をすべて取り上げると、家族の待つ家へ帰って行った。
     やがて一眼の巨人が穴に帰って来ると、金塊は見当たらず、剣がそこに落ちているのを見た。しばらく立ち尽くし、その剣を使って、自ら命を絶った。

    ※キュクロプス:ギリシア神話に登場する卓越した鍛冶技術を持ち、額に一眼を有する巨人

     男は絶望の中で「生きる理由」を失いましたが、金塊を見つけた瞬間、「生活を立て直せる」という具体的な希望に変わりました。一眼の巨人は、金塊を失った瞬間、自分の役割や生きる理由を失い、剣を取って命を絶ちました。一眼は「欠けた認識」「不完全な知恵」を示します。巨人は富も力も持っていましたが、視野が狭いために生きる意味を金塊にしか結びつけられなかったのです。

     この寓話は、資源や富そのものではなく、それをどう「生きる理由」に転換するかを問うています。組織も同じです。私が所属していた会社では、親会社から天下った社長が2年ごとに交代し、株主からは短期的な成果を求められました。その結果、利益至上主義に陥り「今期の数字」ばかりを追い求め、社員も取引先も消耗していったのです。これはまさに「一眼の巨人」の姿でした。

     最低限の売上や利益はもちろん必要です。しかし、それを取引先や未来との関係に結びつける柔軟さこそが、持続可能性を生み出します。数字は目的ではなく結果。関係性こそが企業の命を支えるのです。

     経営の神様・松下幸之助はこう語っています。
    「万策尽きたと思うな。自ら断崖絶壁の淵にたて。その時はじめて新たなる風は必ず吹く。」
     人生も組織も、一寸先は闇です。幸運の波に乗っていたかと思えば、突然不運に見舞われることもある。不運続きで捨て鉢になっていたところに、思いがけない幸運が訪れることもある。だからこそ、最後の最後まで諦めないことが大切なのです。

  • イソップ寓話の教訓No.401 「仔馬」

    弱さを支える勇気が未来をひらく

    仔馬

     男がお腹に仔を持つ牝馬に乗っていたが、途中で牝馬は仔馬を産んだ。
     仔馬は母馬のすぐ後をついて歩いたが、すぐにめまいがしてついて行けないので、男に向かって言った・・・。
     「生まれたばかりだから、こんなに小さくて早く歩くことも出来ないのですよ。この場においていかれたら、すぐに死んでしまいます。家まで連れて帰ってください。育てていただけるなら、成長してあなたに乗っていただきます!」

     仔馬は「生まれたばかりだから、まだ自立できない」と正直に伝えています。 これは、新しいものが立ち上がる時に必ず必要となる「保護と育成の期間」を象徴しています。

      私が新卒入社したころは、バブル期の終わりで、定年まで勤める社員が多い時代でした。 その後、成果主義が求められ、専門スキルを持つ人材を外部から採る中途採用が増えていきました。 給与体系も年功序列から成果主義へと移り変わり、組織は「仔馬を早く走らせる仕組み」へと変わったのです。

      努力やスキルが報われやすくなった反面、安定は失われました。 成果を出せない人は淘汰され、精神的なプレッシャーが大きくなり、メンタルを病む人も増えました。 この流れは、労働市場の柔軟化が不可欠だと専門家が指摘する背景でもあります。 しかし、文化的慣習や企業の内部論理が「静かな壁」となり、変化を阻んでいるのが現状です。

      この壁を個人だけで越えるのは難しい課題です。 それでも、次のような小さな一歩が壁を低くします。
    ・業界団体や勉強会など外部のつながりを持つこと。
    ・学び続ける姿勢を持ち、自分で「梯子」を用意すること。

     大切なのは、継続することです。

  • イソップ寓話の教訓No.394 「ライオンの子分の狐」

    役割と責任のバランス

    ストーリー

     狐がライオンの子分になって一緒に行動していた。
     狐が獲物を見つけライオンに教えると、ライオンは襲いっかかって捕まえる。取り分は、それぞれの働きに応じて分けていた。
     ところが狐は、ライオンの分け前が多いので羨ましくなり、狩の役をすることにして、羊の群れから一頭を襲おうとしたところ、狐が猟師の獲物になってしまった。

     狐とライオンの寓話は、「自分の力や立場を超えて欲を出すと危険に陥る」という教訓を示しています。狐は本来の役割を逸脱し、嫉妬からライオンの真似をして狩りを試みた結果、猟師に捕らえられてしまいました。

     この物語は、組織においても同様に「役割をわきまえ、責任に応じた分を守ること」が重要であることを教えています。組織では、リーダーの取り分が多いのは当然のことです。なぜなら、リーダーは「リスクと実行力」を担っており、成果配分は役割の重みと責任に応じて設計されるべきだからです。

     しかし現実には、肩書だけ立派で責任を負わないリーダーも少なくありません。そのようなリーダーが存在すると、高い給与や待遇は「リスク負担」「意思決定責任」の対価であるはずなのに、それを果たさないために組織全体に不公平感が生じます。部下は「この人は守ってくれない」と認識し、忠誠心や協働意欲を失っていきます。

     結果として、組織全体に不満が蓄積し、離職や士気低下につながります。また、上が責任を回避すれば、下も「自分だけ守ろう」と考えるようになり、組織全体が防御的・消極的になります。優秀な人材は離脱し、残るのは自己保身的な人ばかりとなり、組織は停滞と衰退に向かいます。
     
     この悪循環を断ち切るための対抗策は、「責任の範囲を見極めて、選び取る」ことです。全てを背負うのではなく、自分が本当に担うべき責任を明確にし、その範囲で誠実に果たす。これによって、自己保身者に利用される危険を避けつつ、組織における健全な責任の循環を取り戻すことができるのです。

     あなたは、すべての責任を背負う必要はなく、自ら選び取った責任を誠実に果たすことが重要なのです。

  • イソップ寓話の教訓No.368「川と牛皮」

    人生の荒波にもまれると人も柔らかくなる

    ストーリー

     川が自分の上を流れてゆく牛の皮に「お前はだれだ?」と尋ねた。

     牛皮は答えた。「多くの人から、丈夫な皮と呼ばれています。」

     川は流れで牛の皮を揉みほぐしながら言った。

    「別の呼び名を探すのだな!もうすぐお前はふにゃふにゃだ。」

    教訓
    人生の荒波にもまれると人も柔らかくなります。

    川と牛革の画像
    イソップ寓話の教訓No.368「川と牛皮」