カテゴリー: イソップ寓話

イソップ寓話にまつわる教訓を掲載

  • イソップ寓話の教訓No.454「鼠と牡蛎」

    都合の良いもうけ話は災難を招く!

    ストーリー

     なんでも食いつく鼠が餌を探して家の中をうろついていた。
     すると殻を大きく開けた牡蛎を見つけたので、その身に噛り付いた。
     そのとたん牡蛎は殻をパタンと勢いよく閉じたので、鼠は首を挟まれた。
     鼠は餌だと思って近づいた牡蛎に捕まってしまい、逃げられなくなった。

    都合の良いもうけ話に飛び付くと自ら災難を招くことになる。上手い話はそうそう無いのだ。また強欲は下品さの表れだ。「自分が強欲になっている」と思ったら反省する機会ととらえることだ。

  • イソップ寓話の教訓No.451「羊の皮をかぶった狼」

    はかりごとは災難を招く!

    ストーリー

     ある時、狼はたらふく餌にありつくためには、どうすれば良いか考えていた。
     すると、羊の皮が置き去りにされているのを見つけ、姿を変えれば獲物に近づけるだろうと考えた。
     羊の皮を被るとまんまと羊飼いを欺き、羊の群れに交じって草をはんでいた。
     夜になると、狼も羊小屋に押し込められた。羊飼いは晩飯にしたいと思い、ナイフを持って羊小屋に入って行った。
     羊飼いが晩飯のために手を付けたのは、羊の皮を被った狼だった。

     策を弄しても事はうまく運ばないと心得よ。誰でも自分の過去を振り返れば明らかだ。羊の皮を被るなどと姑息な事をするから被害に合うのだ!後悔しないために、常に自分のやり方を貫くべきだ。
    自分に対する誠実さは遠回りでも、最終的には自分を守ることになるのだ!

  • イソップ寓話の教訓No.421「船乗と息子」

    口先だけで世渡りする奴はさみしい思いをする!

    ストーリー

     ある船乗に息子がいて文法学を学ばせたいと考えた。そこで学校に行かせたところ、その息子は文法学を極めた。
     その後、息子は父親に言った「お父さん、次は修辞学を学ばせてください。」
     息子の言葉に父親は賛成し、再び学校に入れた。息子は十分な勉強を行い修辞学者になった。
     ある日、親子三人で食事をしていた時のこと、「文法学と修辞学は思いのままだ!」と息子が両親に言うので、父親は「文法を正しく学んだ者は文章を間違えることがないと聞いている。その学問の実例を見せてくれ」と言った。
     すると息子は、
    「この鶏を文法の規則に従って分配することによって、文法がその他の諸学に勝ることをお見せしましょう。」
     息子は鶏を切り分けながら言った。
    「お父さん、あなたには頭を差し上げます。あなたは、この家の頭で誰もあなたに頭が上がりませんから。」
    「お母さん、あなたには足です。日がな一日、家の中を走り回って山ほど用事を抱えています。足がなければそれもできませんから。」
    「胴体は僕に一番ふさわしい!豊かな教養を生かして、口先一つで世渡りすることが出来る人間ですから。」
    このように言って息子は鶏を食べ始めた。
     父親は頭にきて、息子の鶏を取り上げると、こう言った
     「お前は文法を使って鶏を三分割したが、私は修辞学で二分割だ!その一つは私が食べ、もう一つはお前のお母さんだ!お前は自分の修辞学で作り出したところを食べるが良い。」

    ※修辞学:弁論、演説の技術で聴衆を説得するための学問。相手を丸め込むという意味もある。

     言葉の力で現実を操作したり、自分を正当化することは、周りの目には挑発的で不遜に映り、いずれ制裁が下される。
     口先だけで世渡りする奴はさみしい思いをするが良い。

  • イソップ寓話の教訓No.29「炭屋と洗濯屋」

    相性の良い仲間に恵まれないと、良い仕事はできない!

    ストーリー

     炭屋の近くに洗濯屋が店を開いた。
     炭屋は洗濯屋をたずね、一緒に住もうと誘った。炭屋は、身内同然に仲良くなれるとか、経済的だとか、いろいろ理由をつけて誘ったのだが、洗濯屋は、
    「私にはできない。私が白くしたものを、あなたは炭で黒くするだろう。」

     仕事のできる者が組んでも相性が良くなければストレスがたまる、摩擦が生まれる。相性の良い仲間に恵まれないと良い仕事はできない。
     チームのメンバーと上手に付き合っているだろうか?自分だけ美味しいところを持って行っていないか?自分だけ損をしていないか?定期的に点検が必要だ。

    ※類似の教訓
    イソップ寓話の教訓No.94「父親と二人の娘」

  • イソップ寓話の教訓No.88「ヘルメスと彫刻家」

    自己評価と他者評価のギャップ!

    ストーリー

     ヘルメスは人間界でどれほど尊敬されているか知りたいと思い、人間に姿を変えて彫刻家の工房へ入って行った。
     ゼウス像を見つけて「値段はいくらかね?」と尋ねたところ
     「1ドラクメです」との答え。ずいぶん安いのでおかしくなり、
     「ヘラの像はいくらだ?」と聞くと、もっと高いという。
    自分の像もあった。自分は神々の使者で利殖の神だから、さぞかし高い値段をつけているだろうと思い、重ねて尋ねた。
     「では、このヘルメス像は?」すると彫刻家が言うには、
     「さっきの2体を買ってくださるなら、おまけで差し上げますよ!」

    ※ドラクメ:ギリシャの通貨単位
    ※ゼウス:ギリシア神話の全知全能の神
    ※ヘラ:ゼウスの正妻、最高位の女神
    ※ヘルメス:青年神、利殖の神

     自分が重要だと思っていることが、他者にとってはそうでもないということは、よくある事だ。
     自己評価と他者評価は常にギャップがあると思え。そうすれば、他者評価が自分の思いに反して良くないとしても、気持ちの落ち込みは軽くて済む。

  • イソップ寓話の教訓「猫と鸛(コウノトリ)」

    言葉の裏に潜む目的!

    ストーリー

     鸛(コウノトリ)が鰻をくわえていた。それを見た猫は鰻が欲しくなり、奪ってやろうと考えた。
     そこで猫が鸛(コウノトリ)に尋ねた。
    「ああ、君のくちばしは赤くて綺麗だ!内側も赤いのかい?」
     鸛(コウノトリ)は鰻を落とさないように、口を閉じたまま黙っていた。 すると猫は「君は耳も聞こえない、口もきけないのか。答えたらどうなんだ!」と言った。
     鸛(コウノトリ)は何も言わず、鰻をくわえたまま立ち去った。

     他人が勝手に近づいて来て、あれこれ言う時は裏の目的がある。要注意だ。

  • イソップ寓話の教訓「鼠の会議」

    すばらしい提案ほど実行するのは難しい

    ストーリー

     ある日、鼠たちは敵である猫からどうやって身を守るかを話し合った。
     一匹の若い鼠が言うには「猫の首に鈴をつければいいのだ。そうすれば猫がどこに居るかわかるので、いつでも逃げらることができる!」
     それを聞いた年老いた鼠が答えて言った。「誰が猫に鈴をつけるのだ?」

     すばらしい提案ほど実行するのは難しい。
     会社組織でも同じだ。机上で理想的な絵はいくらでも描くことが出来る。しかし、それを実行するには人間関係、予算、納期、既得権益など、複雑な現実が絡む。一言でいえば誰が実行のリスクを引き受けるかだ。
     提案者でさえ実行できない提案は、無責任な提案だと言いたい!

  • イソップ寓話の教訓No.235「蟻と鳩」

    善い行いは自分のためになる!

    ストーリー

     喉が渇いた蟻が水を飲もうと川へ向かった。川の水に近ずくため急な土手をくだっていると足を滑らせ、渦を巻いている水の中に落ちてしまった。それを見た鳩は、素早く葉を一枚もぎ取り、蟻のために落としてやり、蟻はそれにつかまり助かった。
     それから数日たったある日、猟師が綱を持って鳩を捕まえようとしているのを目にした。蟻は猟師の体に這い上がり頭を強く噛んだ。驚いた猟師は綱を落としてしまい、そのすきに鳩は飛び去ることができた。
     鳩は木にとまり「小さな友よありがとう!」と言うと、
    蟻は答えて言った。「小さな私でも恩返しは出来るのです!」

     善い行いは自分のためになる。善意は目に見えない信用を築く。これは危機のときに支援や協力として返ってくることを忘れてはならない!

  • イソップ寓話の教訓「かいば桶の中の犬」

    自分の都合を優先し、他人の邪魔をする困った人!

    ストーリー

     犬が昼寝をする場所を探していたところ、飼葉桶を見つけた。 犬が飼葉桶の中で寝ていると、帰ってきた牛が中をのぞいた。犬はビックリして牛に何度も吠えて言った。「おどかして昼寝の邪魔をするな!」
     牛は答えて言った。「おれが覗いたら勝手に驚いたのはお前だ。お前が寝ているのは俺の食事場所だ!」

     自分の都合を優先し他人の邪魔をしていることに気が回らない。それを指摘すると逆切れする困った人がいる。
     犬は飼葉桶の干し草を食べることができないのに、牛が食べようとすると邪魔をする。これは「自分に利益がないのに、他人の利益を妨げる」行為の象徴だ。

  • イソップ寓話の教訓No.364「母猿とゼウス」

    他人の評価と自分の価値!

    ストーリー

     ゼウスがすべての動物の子供の可愛さを比べる競争で、優勝した者には商品を出すことにした。

     神々は一人一人審査をしながら眺めていた。

     可愛い子を持つ母として猿もやって来たが、胸に抱くのは赤裸で鼻ぺちゃの子猿だった。

     その子猿を見て神々の間に、どっと笑いが起ったが、母猿が言った。

     「誰が優勝するかゼウス様はご存じでしょう。しかし私には何といってもこの子が一番可愛いのです。」

     ゼウスは外的基準に依存した判断をおこなった。神々もゼウスの評価基準に依存した。
     しかし母猿は「自分にとっての価値」を主張し、倫理的な抵抗をする。
     ゼウスが審査するという構図は、「権威による価値の決定」であり、母猿にとっては「権力による価値の押しつけ」に他ならない。
     組織の人事評価で「納得感」ではなく「押しつけ」と感じることは無いだろうか?
     一方的な見かたによる基準だけでは「本当に守るべき価値」を見落とす可能性がある。これに気づかないと組織が崩れてゆく。
     これは、制度が持つ画一的評価の限界だ。

  • イソップ寓話の教訓No.363「子供と絵のライオン」

    運命は変えられないが、態度は選べる。焦らず誠実に待て!

    ストーリー

     勇敢で狩りの好きな一人息子を持つ老人がいた。

     ある時、息子がライオンに殺される夢を見たので、正夢となって現実になることを恐れ、美しく頑丈な建物を作り、そこで息子を守ろうと考えた。

     建物の中には立派な調度品や心を楽しませるための様々な動物の絵も飾った。その中にはライオンの絵もあった。

     しかし息子は、建物の中にいるばかりで、気分もふさぎ込みがちだった。

     ある時、ライオンの絵の前に立つと「お前と親父の夢のせいで、退屈な建物に閉じ込められたままだ。どうしてくれる」と言うなり、絵のライオンを殴りつけた。

     すると釘が手にささり、激しい痛みと炎症を起こした。続いて高熱が発症し、亡くなってしまった。

     父親が息子をライオンから守ろうと立てた建物の中で、絵に描かれたものとはいえライオンに殺されてしまった。

    運命は変えられない。ダメな時はどんなに策を弄してもダメである。
    だからと言って自棄にになるような、感情に支配された選択をすると、運命を加速させる。
    「果報は寝て待て」のことわざどおり、焦らずに待つべきである。

  • イソップ寓話の教訓No.361「猟師と山鶉(ヤマウズラ)と雄鶏」

    収入の種は生き残る!

    ストーリー

     猟師が夕食を作っているところへ、突然に友人が訪ねてきた。

     友人の夕食も必要になったが、鳥かごは空で獲物は無かった。

     そこで、狩りのおとりに使っている山鶉を夕食にしようとしたところ、山鶉は命乞いしてこう言った。

    「ご主人様、私を食事に使ったら、これから先に狩りは、どうするのですか。鳥の群れを誰がおびき寄せるのですか?」

     猟師は山鶉を放し、雄鶏を捕まえようとしたところ、金切り声をあげてこう言った。

    「ご主人様、時を告げる私を食事にしたら、夜明けをどのように知るのですか。狩りに行く時間をどのように知るのですか?」

    しかし猟師が言うには

    「確かにお前は時を告げるので役に立つ。しかし、今は友人に食事を作らなくてはならないのだ!」

     二人のうち、どちらか一方が犠牲になるとき、収入の種になるものは生き残ることができる。・・・

     しかし、もし山鶉が犠牲になった場合はどうだろうか?
    猟師は、狩りのパートナーたる山鶉を犠牲にした。その結果、狩りがうまくいかなくなり、猟師自身が困窮する。そして、残された雄鶏も、時を告げる必要がなくなり餌食になってしまう。
     最後には、猟師という仕事が機能しなくなり消滅してしまう。

     実際にあった収益性と犠牲の話をしよう。歪んだ制度を放置した管理者が組織をつぶした話だ。

     ある企業の営業部では、顧客対応の要となる営業社員たちが、正社員としてしっかり配置されていた。彼らは日々、誠実に顧客と向き合い、成果を上げるべく努力していた。表面的には、営業部は「収益を生む中核部門」として機能しているように見えた。
     しかし、その裏側では、見過ごされた構造的な歪みが静かに進行していたのである。
     営業活動を支える事務処理部門は、コスト削減の名のもとに、アルバイトやパートタイマーで構成されていた。彼らは限られた時間と訓練で、複雑な業務をこなすことを求められていたが、当然ながらその品質には限界があった。
     結果として、営業社員が使うツールや資料は、精度や整合性に欠けるものとなり、顧客対応にも支障をきたすようになった。営業成績は次第に低下し、現場には焦りと苛立ちが広がった。
     それでも管理者は、営業社員の「努力が足りない」と叱咤激励を繰り返すばかり。構造的な問題には目を向けず、成績の低下を個人の努力不足にすり替えた。
     やがて、疲弊した営業社員たちは次々と退職していった。歪んだ制度を放置した結果、収益を生むはずの中核部門を自ら崩壊させてしまったのである。

    あなたの周囲はどうだろうか?
    「あなたの組織では、誰が犠牲になっているか?」
    「収益を生まない部門に、どんな価値を見出しているか?」
    「成果を求める前に、環境を整える責任を果たしているか?」