カテゴリー: イソップ寓話

イソップ寓話にまつわる教訓を掲載

  • イソップ寓話の教訓No.52  「農夫と犬」

    犠牲者は出さないほうが良い!

    ストーリー

     農夫が嵐のために小屋に閉じこめられた。外に出て食物を手に入れることができないので、まず羊を食べた。
     しかし嵐はなおも続くので、やむなく山羊も平らげた。
     それでも一向に嵐の収まる気配が無い。とうとう三番目には畑を耕す牛にまで手を付けた。
     一部始終を見ていた犬たちは、こう言い合った。
     「早くここを出て行こう!ご主人は一緒に畑仕事をする牛さえ容赦しなかったんだ。次は俺たちの番だぞ。」

     他者を犠牲にして得た安堵は、長くは続かない。犠牲を目撃した者は、次に狙われるのは自分だと察知し、信頼を手放す。
     組織を維持したければ、犠牲者を出すのではなく、共存の原則を守ることだ。
     共存が搾取に変わった瞬間、忠誠は恐怖に変わり、協力は離反へと転じる。
    **************************ある組織の出来事*************************
     若手社員のAが心の中で思っていた。
     「ベテランがいつまでも管理職に居座っているからポストが空かないんだ。だから自分たちが出世できないんだ!」
     ある時、景気が悪くなりリストラが始まった。対象になったのはベテラン社員たちだ。
     Aの課ではリストラされたベテラン社員の送別会が開かれた。次の就職先が決まらなかったり、決まっても収入が大幅に下がってしまったり、と困っている様子だった。
     送別会の帰り際に、会社を去るベテランがAにささやいた。「この歳でリストラはキツイよ。君たちは先が長いからまだ安心だ!だが君たちも、いずれ歳をかさねてベテランになる。このリストラもいずれ君たちが行く道だよ。」このリストラのあと優秀な若手社員も何人か会社を去っていった。
     翌春、Aは管理職になった。だがその椅子は、誰かの犠牲の上に築かれていた。喜びは、いずれ自分にも訪れるかもしれない同じ運命への不安と、静かに胸を刺す罪悪感にかき消された。

  • イソップ寓話の教訓NO.49  「仔牛を盗まれた牛飼いとライオン」

    不運や幸福の相対性

    ストーリー

     牛飼いが牛の群れを放牧していて、子牛を見失った。
     探し回っても見つからないので、ゼウスに祈って「盗人が見つかったら仔山羊を捧げる」と約束した。
     森の茂みに入って行くと、ライオンが子牛をむさぼり食っているのが見えた。
     牛飼いはきもをつぶし、両手を天に差し上げて言うには、
     「おおゼウスよ!先ほどは盗人が見つかったら仔山羊を捧げると約束しましたが、今は盗人の手から逃げおおせたら牛を捧げます。」

     今が不運だと感じるのは、今しか見えていないからだ。
     さらに大きな不運に出会ったとき、今の悩みが取るに足らなかったと知ることもある。
     長い人生では、幸福も不幸も、時間の中で形を変えていくのだ。

  • イソップ寓話の教訓No.46  「北風と太陽」

    自主性を促すなら穏やかに諭す

    ストーリー

     北風と太陽がどちらが強いか言い争いをした。道行く人の服を流せたほうが勝ちにすることにして、北風から始めた。
     強く吹き付けたところ、男はしっかりと服を抑えるので、北風は一層勢いを強めた。しかし強く吹けば吹くほど、寒さで服を着こむばかりで、北風も次第につかれ果て、太陽に番を譲った。
     太陽は、はじめ穏やかに照りつけたが、男が余分な服を脱ぐのを見ながら、次第にジリジリと照りつけると、男はついに暑さに耐えかね、傍らを流れる川に水浴びにとんで行った。

     自主性を促すには、力づくで強制するよりも、穏やかに諭すほうが効果的なことが多い。
     北風と太陽の寓話が示すように、強制や威圧ではなく、共感と温かさこそが人を動かす力になる。
     この教訓は、説得・交渉・教育・リーダーシップなど、あらゆる人間関係に応用できる。
     相手の内発的な動機を引き出すには、圧力よりも信頼と理解が必要なのだ。
     あなたはどちらの方法を選びますか?

  • イソップ寓話の教訓No.45  「牛と車軸」

    真の努力 と見せかけの苦労

    ストーリー

    牛が荷物を曳いていた。
    荷車の車軸がキシキシと鳴るので、牛が言った。「重い荷物を運ぶのは俺なのに、なんでお前が悲鳴をあげるのだ!」

     この寓話は、真の努力と見せかけの苦労の対比を描いている。
     車軸のきしみは、わずかな負荷でも騒ぎ立てる管理層の象徴。
     一方、牛の沈黙は、重労働を担う者の声なき苦労を映している。
     他人の働きを自分の苦労のように見せかけて騒ぐ人間の本質は、誰も口にはしないが、誰もが知っている。
     しかし、黙って耐えるだけでは、周囲に負荷は伝わらない。
     必要な場面では、自らの重荷を言語化する勇気もまた、倫理的責任の一部だ。
     そして、リーダーは「声の大きさ」ではなく、見えない重荷にこそ目を向けるべきである。

  • イソップ寓話の教訓No.91「じゃれつく驢馬と主人」

    主人に可愛がってもらうマルチーズ犬の真似をした驢馬の愚行

    ストーリー

    マルチーズ犬と驢馬を飼う人がいた。

    主人が遊んでくれるのは、いつも犬ばかり。よそで食事をした時には、お土産を持ち帰り、しっぽを振って出迎える犬に投げ与えた。

    驢馬はこれを羨んで主人に駆け寄ると、飛び跳ねて蹴ってしまった。

    怒った主人は、驢馬を叩きのめし、柱につないでしまった。

    誰でも得意や不得意がある。真似ではなく自分の得意な方法でおこなうべきだ。

    じゃれつくロバと主人の画像
    イソップ寓話の教訓No.91「じゃれつく驢馬と主人」
  • イソップ寓話の教訓No.90「蝮と水蛇」

    掛け声ばかりの人に期待してはいけない

    ストーリー

     蝮がいつもやって来ては水を飲む泉があった。ここに住む水蛇は、蝮が自分のえさ場に満足せず、他人の縄張りまで押しかけて来ることに腹を立て、その都度邪魔をしようとした。

     だんだん争いがひどくなるばかりなので、二匹は決闘をして、勝ったほうが土も水も自分の領分にすることに決めた。

     戦いの日が決まった時、水蛇を憎むカエルたちが蝮のところへやって来て、助太刀を約束して激励した。

     さて、いよいよ決闘が始まると、蝮は水蛇を攻め立てたが、カエルは何もせず、ただ大声で鳴いているだけだった。

     蝮は勝ったが、カエルを非難した。「お前たちは助太刀を約束したくせに、少しも助けなかったばかりか、歌など歌っていたではないか。」

     するとカエルたちは、「いいですか、私たちの加勢は手でするのではなく、声だけでするのです!」

    掛け声ばかりの人に期待してはいけない。そのうち誰からも信用されなくなる。

    イソップ寓話の教訓No.90「蝮と水蛇」
  • イソップ寓話の教訓No.87「金の卵を産む鵞鳥(ガチョウ)」

    強欲は今あるものさえ奪う!

    ストーリー

     ヘルメスを崇拝する男がいたので神は褒美として、金の卵を産む鵞鳥を授けた。

     鵞鳥は毎日ひとつ、金の卵を産んだ。金の卵は高い値段で売れた。

     男は、もっと多くの金の卵があれば、さらに金持ちになれると考えた。そこで鵞鳥の中に金の卵がたくさんあるはずだと思い込んで殺してしまった。

     鵞鳥の中に金の卵は無く、金の卵を産むガチョウも無くしてしまった。

    ※ヘルメス:主神ゼウスの末子。富と幸運をもたらす神。

    強欲は今あるものさえ奪う。

     長期的に利益を得続けたいなら利益を生み出す資源(金の卵)も大切にするべきだ。
     金の卵は高い潜在的能力をもつ人材、商品、企画、将来高値が見込まれるコレクションなど様々なものがありそうだ。
     もしかすると、自分自身が自分の金の卵かもしれない。あなたは自分の価値に気づけるか?気づいたら磨き続けることができるか?忘れてはならないことは「もっと、もっと」と強欲は避けねばならないことだ。
     自分への投資は決して裏切らない!

    イソップ寓話の教訓No.133「肉を運ぶ犬」

  • イソップ寓話の教訓No.85「仔豚と羊」

    本当の辛さは本人しか理解できない

    ストーリー

     仔豚が羊の群れに紛れ込んで草をはんでいました。

    ある時、羊飼いに捕まったので泣き叫んでいると、羊たちは仔豚が泣くのを見て、「私たちはいつも捕まっているのに、泣いたりしないよ!」と言いました。

     仔豚は答えて「ぼくと君たちとでは、捕まる意味が違うんだ!君たちが捕まるのは、羊毛か乳のため、僕は肉のためなんだ!」

    本当の辛さや重大さは、本人しか理解できない。仔豚も羊も期待される役割が違う。仔豚なのに「羊と同じことを期待してほしい」と思っても無理なことだ。自分は何を期待してほしいのか、そんなことを考えて身を置く場所を選ぶことも大切だ。

    仔豚と羊(イソップ寓話)
    イソップ寓話の教訓No.85「仔豚と羊」
  • イソップ寓話の教訓No.80「蠅」

    食い意地は災難を招く

    ストーリー

     物置の中で蜜がこぼれたので、蠅が飛んできて舐めた。

     とても甘いので、このご馳走から離れようとしなかったところ、足がくっついてしまった。

     飛び立つこともできず、こぼれた蜜に溺れそうになって言うには、
    「ああ情けない。ご馳走のために身を亡ぼすとは!」

    食い意地は災難を招く。

    ※類似教訓
    イソップ寓話の教訓No.86「ミルテの繁みの鶫(ツグミ)」

    蠅の画像
    イソップ寓話の教訓No.80「蠅」
  • イソップ寓話の教訓No.79「猫と鼠」

    仲間の不幸から学ぶことは多い!

    ストーリー

     ある家にたくさん鼠が住んでいた。

     猫がそれを知って、出かけて行くと一匹また一匹と捕まえて食った。鼠は次々とやられていくので、穴にもぐったまま出てこなくなった。

     そうなると猫は手出しができないので、たくらみでおびき出そうと考えた。そこで腕木の上に登ると、そこからぶら下がって、死んだふりをしていた。


     それを見た一匹の鼠が言うには、
    「おいおい、たとえお前が革袋になったとしても、近づくことはないぞ!」

    賢い人は、誰かが一度でもひどい目にあっているところを見たら、同じ轍は踏まない。仲間の不幸から学ぶことは多い。

    ※類似教訓
    イソップ寓話の教訓No.149「ライオンと驢馬と狐」

    猫と鼠の画像
    イソップ寓話の教訓No.79「猫と鼠」
  • イソップ寓話の教訓No.77「鹿と葡萄」

    恩を受けても時が経つとありがたみが薄れてしまう!

    ストーリー

     鹿が猟師に追われて、葡萄の木陰に身を隠した。

     猟師が行ってしまったので、鹿はホッとして葡萄の葉を食べ始めた。そこへ猟師が戻ってきて、スカスカになった葡萄の間に鹿を見つけ、捕らえられた。

     鹿はため息をつきながら言った。
    「なんてバカなことをしたんだ!身を隠してくれた葡萄の葉を食べてしまったとは。」

    恩を受けても時が経つと忘れてしまう。恩を受けた時のことを忘れぬよう常に自分を戒めておくことで恩人との関係が長続きする。

    鹿と葡萄の画像
    イソップ寓話の教訓No.77「鹿と葡萄」
  • イソップ寓話の教訓No.74「水辺の鹿」

    見栄を張らずに自分の強みを見極める

    ストーリー

     喉の渇いた鹿が泉にやってきた。

     水を飲み終わり、ふと水に映る自分の姿を見て、大きくて立派な角を見て得意になったが、足が細くて弱々しく悲しくなった。

     思いにふけっていると、そこへライオンが現れ、追いかけて来た。鹿は一目散に逃げだすとライオンを遠く引き離した。
     

     さて、木の無い平原を走っているときは良かったものの、樹木の生い茂る場所に来ると、大きくて立派な角が枝に絡まり走れなくなり、とうとうライオンに捕まってしまった。

     鹿がライオンの餌食になる前に独りごとで言うには、
    「ああ、情けない。頼りにならないと思っていた脚に助けられ、誇らしく思っていた角にやれれるとは!」

    長所と短所は表裏一体。見栄を張らずに自分の強みを見極め最大限に利用する。それが賢いやりかただ

    水辺の鹿の画像
    イソップ寓話の教訓No.74「水辺の鹿」