投稿者: gray wolf

  • イソップ寓話の教訓No.287「アラブ人と駱駝」

    視点を変える!

    ストーリー

    アラブ人が駱駝に荷物を積みながら「上り坂と下り坂のどちらが好きか?」と駱駝に尋ねた。閃きのある駱駝が言うには

    「平らな道は塞がっているのですか?」

    この物語の教訓は・・・
    視点を変える!自分にとって好ましくない二者択一を生真面目に考えることはない。肩の力を抜いて視点を変えてみる。

    アラブ人と駱駝の画像
    イソップ寓話の教訓No.287「アラブ人と駱駝」
  • イソップ寓話の教訓No.284「一緒に旅をする人間とライオン」

    強さを見せつける必要はない!

    ストーリー

    ライオンが人間と旅の道連れになった。

    どちらが強いかという話をしたが、どちらも口で自慢するばかり。

    しばらく行くとライオンを絞殺そうとする人間の石像があったので、男がこれをライオンに見せながら「どうだ、人間の方がライオンより強いだろう!」と言うと、

    ライオンはニヤッと笑って言うには、

    「ライオンに彫刻が出来たなら、ライオンの餌食になる人間をたくさん見られるだろう!」

    強さを見せつける必要はない。自分の強さを不用意に見せつければ、その一瞬は気分が良いが、そのうち何かの形で反発や抵抗を思い知らされる。

  • 日本の昔話の教訓「小僧と狐」

    対処する知恵を持つ!

    ストーリー

     昔々ある山寺に「ずいてん」という名の小僧さんがありました。

     和尚様がよそへ行って一人で留守番をしておりますと、狐が庫裡の出入り口へ来て「ずいてん」、「ずいてん」と呼んでいます。小僧さんが知らん顔をしていると、いつまでも呼んでいます。

     あまりに憎らしいので本堂の窓から覗いてみますと、狐は入り口に背中を向けて立っています。そうして太い尻尾で戸をこすると「ずい」という音がする。それから頭を戸にぶつけると「てん」という音がするのでありました。

     賢い小僧さんは早速戻ってきて、そっと戸口の脇にたって「ずい」という音がした時にがらりと戸を開けますと「てん」と戸を叩こうとしていた狐は、庫裡の庭へ転げ込みました。

     すぐにその戸を閉めておいて、棒を持ってきて狐を追いかけましたが、そのうちに狐の姿は見えなくなってしまいました。

     それから本堂の方へ行ってみますと、いつの間にか本尊のお釈迦様が二つあります。どちらが狐の化けたのやら、見分けることができません。

     「な~に、そんな事をしたってすぐにわかるさ。うちのご本尊様はお勤めをあげると舌をお出しになるから間違えっこない」と言って、ぽんぽんと木魚をたたいてお経を読んでいます。すると狐の化けたお釈迦様はぺろっと舌を出しました。

     「それでは、狐の化けたのは残しておいて、これから仏様にお仏供(おぶく)を差し上げましょう」と言って、さっさと台所へ向かいますと、後から狐の化けた本尊様が、のこのこと歩いてきました。

     「それでは、まず行水をあげましょう」と土間の大釜の中へ抱いて入れると、開かないようにしっかりと蓋をして、火を焚きました。和尚様が戻ってこられるまでに、狐のまる煮をこしらえたそうであります。

    ※庫裡:僧侶の居住する場所
    ※お仏供:仏前にそなえる米飯

    対処する知恵を持つ。
    いじわるされる、馬鹿にされる、望まない状態になった時は冷静になって対処方法を考えることが必要だ。どうしても打つ手が思いつかない時は、何か他のことに集中し辛抱してみよう。時間が解決してくれることもある。落ち着いたら、どうしてこのような事態になったのか?どこかに自分がおこなった行動のツケが回ってきたのではないか?と考え、振り返ることが必要だ。

    小僧と狐の画像
    日本の昔話の教訓「小僧と狐」
  • 日本の昔話の教訓「にわか入道」

    自分だけは大丈夫と過信しない!

    ストーリー

     昔ある村で悪い狐が出ていたずらばかりして困っていたころ「おれは狐に化かされない」と言って威張っている男がいた。

     その男がよそから帰ってくると、川原で狐が木の葉を頭にのせて女になり、川藻を丸めて赤ん坊の形にして抱いているのを見かけた。

     「あの狐、人をばかすつもりだな。よし、どうするか見ていろ!」と言って、石を拾って投げつけると、それがちょうど赤ん坊にあたって死んでしまった。

     母親は泣いて怒って、子供を元の通りにして返せと言う。なんだ、おまえは狐じゃないかというと、ますます腹を立てて承知をしなくなった。

     そうしていつまでたっても狐にならないので、見れば見るほど人間の親子に思えてきて、大変なことをしてしまったと思うようになった。

     いろいろと言葉を尽くしてあやまったが、なかなか一通りの事では許してもらえなかった。

     男は「しかたがないので、坊主になって詫びをする」と言って、近くの寺まで一緒に行き、和尚様に頭を剃ってもらった。

     その和尚様の剃り方が非常に痛い。あまりに痛いので、やっと正気になって辺りを見回すと、もうさっきの母親も赤ん坊もおらず、和尚も寺も無かった。

     剃ってもらったと思った頭の毛は、みんな狐に食いちぎられていたのだった。

    自分だけは大丈夫と過信しない。実際にトラブルに合うと動揺し冷静な判断が難しくなる。いつ被害者や加害者になるかもしれない、と心の準備をしておくことである。

    にわか入道の画像
    日本の昔話の教訓「にわか入道」
  • イソップ寓話の教訓No.281「タナグラの雄鶏」

    負けてしまったことで災難から助かることも多い

    ストーリー

    タナグラの雄鶏が喧嘩をした。気性が人間に似ているといわれる鶏だ。

    負けたほうは傷だらけで、鳥小屋の隅に身を潜めている。

    相手はさっそく屋根に跳びあがると、羽ばたきしながら勝どきをあげる。

    ところが鷲がこいつを屋根から捕まえて飛び去った。

    残った鶏は心おきなく雌鶏とつがいになった。

    ※タナグラ:ギリシャの地方の町

    この物語の教訓は・・・
    負けても悔しがらない。負けてしまったことで災難から助かることも多い。もし、そのような経験がないなら、よほど運が良く強い者か、負けて助かったことに気づいていないだけだ。だから、もし勝ったとしても有頂天でいるわけにはいかない。

  • イソップ寓話の教訓No.274「善と悪」

    人の一生はトラブルの連続!

    ストーリー

    善は非力であったので、悪に追い立てられ、天に昇って行った。

    そしてゼウスに尋ねた。「人間の所に留まっているにはどうしたら良いか?」

    ゼウスは答えて「皆一緒になって訪ねるのではなく、一人一人で行くが良い」

    このため、悪は人間の近くにいて絶えず襲ってくるが、善は天からゆっくりと下りて来るから、なかなか出会えない。

    この物語の教訓は・・・
    人の一生はトラブルの連続である。だれでも生き甲斐のある平穏な人生を送りたいと思う。誰もトラブルを望まない。それにも関わらずトラブルの連続である。

    トラブルに見舞われた時は、このように考えよう。このトラブルは自分に何を伝えようとしているのか。