イソップ寓話の教訓No.164「托鉢僧」

搾取の連鎖!

ストーリー

 托鉢僧たちは、いつも重たい荷物を驢馬にかつがせて旅をしていた。

 驢馬は奴隷のようにこき使われ、とうとう過労により死んだ。托鉢僧は、驢馬の皮を剥ぎ、その皮を太鼓にして使っていた。

 ある時、別の托鉢僧と出会い「驢馬はどこへ行ったのだ?」と尋ねられ、「奴は死んだが、生きていた時よりもたくさん打たれている」と答えた。

こき使える者は死んでも使い倒される。だから苦労する人は、いつでまでも苦労する。驢馬は文字通り「声なきもの」だが、その皮は太鼓となって音を出し続ける。つまり「使い尽くされた者の存在は、なお社会のどこかで“響き”として残る」その響きが、告発となるか、教訓となるか、それは私たち次第だ!


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