組織文化を知らぬ者の末路!
ストーリー
蟹が海から這い上がってきて、独り砂浜で餌をあさっていた。
腹を空かせた狐がこれを見つけ、食い物に困っていたので、駆け寄るなり捕まえた。
蟹がまさに食われようとして言った。
「当然の報いだ。海の者が陸で餌を取ろうとしたのだから。」
蟹は海という特化環境に適応した存在であり、その能力は環境依存的だ。一方、砂浜は蟹の専門性が通じにくい異質な領域であり、狐はその地形に慣れ、外来者を排除する力を持つ。これは、異なる文化圏や部署における力学の違いを象徴している。
砂浜で餌を探す蟹の姿は、市場や組織文化を誤読した者の姿そのものだ。
「自分のやり方はどこでも通じる」──その思い込みが、狐のような既得権益者に排除される要因となることもある。越境には、地形の理解と慎重な戦略が不可欠だ。
更に深読みすると、蟹の「当然の報いだ」との語りは、失敗を認め、責任を取る態度は「自責の美学」だ。しかし構造批判を封じてしまう恐れがあることも事実だ。これは、組織でもよく見られる現象だ。
あなたの職場にも、こんな場面が思い当たるかもしれない。以下の二つの事例を、どう感じるだろうか。
・新卒社員が配属先で「自分が未熟だった」と言う理由で退職したが、実態は受け入れ体制や教育制度が整っていなかったのではないか?
・新規事業が失敗したことで、担当者が責任を取ることになったが、そもそも人・物・金に関わる構造的なリソースが不足していたからではないか?
これらは、個人の責任感が構造の欠陥を覆い隠している事例だ。責任を引き受けることと、構造を見抜くことは別物である。自己責任の言葉の裏にある構造的無知を掘り起こすことで、組織の設計や越境戦略に対する洞察が生まれるのだ。
あなたの組織でも、“当然の報い”という言葉が、構造の欠陥を覆い隠していないだろうか?
それは本当に「当然」だったのか──問い直すことから、改革の芽は生まれる。
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