イソップ寓話の教訓No.452 「狼と驢馬の裁き」

言葉で人々を縛る(言説の支配)

狼と驢馬の裁き

 狼が思いがけず驢馬に出くわした。
 狼が驢馬に言うには「怖がるな!俺とお前がこれまでに犯した過ちを順番に話そうじゃないか。俺の過ちがお前より酷ければ、俺はお前を見逃してやる。お前の過ちが俺より酷いときは、お前は俺に罰せられるぞ。」
 このように言うと、自分の犯した罪を言い出した。数えきれないほどの羊や山羊、仔山羊や子羊、牛に襲い掛かり餌食にした。見張り番の犬ににも咬みついたこと。他にもこのようなことをあげつらったが、この程度のことは、罪の数にも入らぬ、というような言い方で語った。
 驢馬は自分の罪を探してみたが、なに一つ見つからなかった。
 ついに困り果て、罪なのか迷ったが語りだした。「野菜を背負って歩いていたら、蠅が首の後ろで飛び回るので、鼻息で吹き飛ばそうと後ろを向いたんです。そしたら野菜の葉っぱが一枚だけ、口に入ってきたので、むしゃむしゃ噛んで飲み込みました。でもすぐに吐き出しましたよ。」
 それを聞いた狼が言うには「ああ、なんてひどい罪なんだ!」
 「お前はひどい悪人だ!正義の女神は、お前に罰を与えるため、俺の前に導いたのだ!」
 狼はこのように言うや否や、驢馬に跳びかかり、食べてしまった。

 狼は自らの罪を数えきれないほど並べながら「これは罪に入らない」と軽視し、驢馬の些細な行為を大罪に仕立てました。この寓話は、権力者が「正義」や「制度」を口実にして、自らの欲望を正当化する構造を風刺しています。

 組織においても同様に、権限者が「自分の裁量で結果を決める」「免責を享受する」「言葉で人々を縛る(言説の支配)」といった場面は珍しくありません。権力の偏りと正義の仮面をかぶった支配構造は、「公平」を装いながら裁量を濫用し、弱者を常に不利に追い込みます。

 この寓話から学べることは、権限を持つ者ほどその言葉と行動の透明性を求められるということです。透明性こそが、正義を実質化し、組織の信頼を支える唯一の基盤なのです。

コメント

コメントを残す