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沈んだ気持ちを和らげる教訓

  • イソップ寓話の教訓No.22「狐と木こり」

    ストーリー

    キツネが狩人から逃れて来て、木こりを見つけたので「かくまってください」と頼んだ。木こりは、小屋に隠れるように狐に勧めた。
    間もなく狩人たちがやって来て「狐がこっちへ来なかったか?」と尋ねるので、木こりは口では「見ていない」と答えながら、手で狐の隠れている所を指して教えていた。しかし狩人たちは、木こりの手の動きに気づかづ立ち去った。
    狐は狩人たちが立ち去ると、木こりに挨拶もしないで行こうとした。それを見た木こりは「命を救ってもらいながら、お礼も言わないのか!」と狐を非難した。
    狐は答えて「あなたの手の動きが言葉と同じなら、私は感謝もしますがね。」

    八方美人は、どこかで誰かを裏切っている。そしてこの裏切り行為は必ず誰かが見ている。仮に見られていなかったとしても雰囲気で伝わる。すると人が離れてゆく。

    キツネと木こりの画像
    イソップ寓話の教訓No.22「キツネと木こり」
  • イソップ寓話の教訓No.13「石を曳き上げた漁師」

    結果を見る前に大きな期待は禁物だ!

    ストーリー

    漁師たちが地引網を曳いていた。網が重いので大漁だと思い喜んでいた。

    しかし浜に引き寄せてみると魚はわずかで、網の中は石や木ばかりだった。

    漁師たちは落胆と同時に腹が立った。

    漁師の中の老人が言うには、

    「腹を立てるのはやめよう!良いことと悪いことは隣りあわせだ。あれほど喜んだのだから、落胆するのも仕方ない」

    結果を見る前に都合の良い想像をして喜ぶと、期待が外れた時の落胆は大きい。落胆した自分に嫌気がささぬよう、冷静になることだ。

    石を引き上げた漁師の画像
    イソップ寓話の教訓No.13「石を曳き上げた漁師」
  • イソップ寓話の教訓No.390「烏と水差し」

    知恵は腕力に勝る!

    ストーリー

    喉の渇いたカラスが、水差しの所へ行き、倒して水を飲もうと思った。

    ところが水差しはしっかりと立っていて、倒れなかった。

    そこで今度は、水差しに小石を投げ込むと、水位があがり、飲むことができた。

    知恵は腕力に勝る。苦労して工夫しながら挑戦してこそ、大きな成功が得られます。

    カラスと水差しの画像
    イソップ寓話の教訓No.390「烏と水差し」
  • イソップ寓話の教訓No.150「ライオンと鼠の恩返し」

    ストーリー

    ライオンが寝ていると、鼠が体の上を走った。

    ライオンは鼠を捕まえ、一飲みにしようとしたところ、鼠は命乞いして「助けてもらえるなら恩返しをします。」と言った。

    ライオンは「こんなちっぽけな獲物だ!」と笑って逃してやった。

    ほどなくしてライオンは、猟師に捕らえられ、ロープで木に縛り付けられた時のこと、鼠がうめき声を聞きつけて現れた。

    鼠はロープをかじり切り、ライオンを解き放って言うには、

    「あの時あなたは、私の恩返しをあてにできぬとばかり、笑って馬鹿にされましたが、分かっていただけましたか?鼠にも恩返しはできるのです!」

    今は役に立たなくても、いずれ役に立つときは必ず来る。貸しは、つまらないことで返してもらわないこと。重大な時の恩返しは、今後の人生に関わることもあるのだ。

    ライオンと鼠の恩返しの画像
    イソップ寓話の教訓No.150「ライオンと鼠の恩返し」
  • イソップ寓話の教訓No.67  「旅人と斧」

    手柄を独り占めするなら責任も負え!

    ストーリー

     二人の男が一緒に旅をしていた。
     一人が斧を見つけたので、もう一人が「俺たちは見つけた」と言ったところ、はじめの男は「俺たちは見つけた、ではなく、君が見つけた!と言うべきだ」と注文をつけた。
     しばらくすると、斧をなくした人が追って来た。
     斧を持つ男は追いかけられて、道連れに向かって「俺たちはもうだめだ」と言ったところ、
     「俺たちは、ではなく、君がもうだめなんだ。君は斧を見つけた時だって、自分の手柄にしたくせに。」

     この寓話は、組織や社会の中でも頻繁に見られる構図を映し出している。
     成果は独占するが、損失は「みんなの責任」として分散する、
    ──そんなリーダーは、どの職場にも少なからず存在するだろう。
     こうした態度は、信頼を損なうだけでなく、持続可能な関係性を根底から揺るがす。
     手柄を一人で抱えるなら、責任もまた一人で引き受けるべきだ。
     この言葉を、誰かに向けて心の中でつぶやいたことはないだろうか。

  • イソップ寓話の教訓No.65  「旅人と熊」

    災いが真の友かどうかを試す

    ストーリー

     二人の友達が一緒に旅をしていた。
     熊が現れたので、一人はさっさと木によじ登って隠れたが、もう一人は捕まりそうになって、地面に倒れて死んだふりをした。
     熊は死んだふりをしている男に鼻を近づけてクンクン嗅ぎまわっていたが、死んでいるものは食べないと聞いていたので、息を殺してじっと我慢していた。
     しばらくすると、熊は何もせずに去っていった。
     木から下りてきた男は「熊は君の耳元で何かささやいているようだったが、なにをささやいていたのだい?」と尋ねるので、男が言った。
     「君を置いて逃げ出す友人とは、一緒に旅をするな!と言ってたよ。」

     「旅」は人生の比喩であり、誰と歩むかによってその質は大きく左右される。利己的な人と共にすれば、試練の時に孤独を味わうことになる。災いは、真の友かどうかを見極める試金石となる。
     真の友に値する人は多くはなく、その価値を見分けるのは容易ではない。だが、そうした友がいれば、喜びは倍増し、悲しみは和らぐ。単なる協力関係ではなく、倫理的な責任を共有できる相手こそが、真の友と呼ぶにふさわしい。
     この教訓は、個人の関係性にとどまらず、組織や社会における信頼の在り方にも通じる。表面的な連携ではなく、困難を共に乗り越える覚悟と責任が、真の信頼を築くのだ。
     「熊」は困難の比喩であり、去った後に残るのは、静けさではなく、信頼の重みだろう。

  • イソップ寓話の教訓NO.49  「仔牛を盗まれた牛飼いとライオン」

    不運や幸福の相対性

    ストーリー

     牛飼いが牛の群れを放牧していて、子牛を見失った。
     探し回っても見つからないので、ゼウスに祈って「盗人が見つかったら仔山羊を捧げる」と約束した。
     森の茂みに入って行くと、ライオンが子牛をむさぼり食っているのが見えた。
     牛飼いはきもをつぶし、両手を天に差し上げて言うには、
     「おおゼウスよ!先ほどは盗人が見つかったら仔山羊を捧げると約束しましたが、今は盗人の手から逃げおおせたら牛を捧げます。」

     今が不運だと感じるのは、今しか見えていないからだ。
     さらに大きな不運に出会ったとき、今の悩みが取るに足らなかったと知ることもある。
     長い人生では、幸福も不幸も、時間の中で形を変えていくのだ。

  • イソップ寓話の教訓No.45  「牛と車軸」

    真の努力 と見せかけの苦労

    ストーリー

    牛が荷物を曳いていた。
    荷車の車軸がキシキシと鳴るので、牛が言った。「重い荷物を運ぶのは俺なのに、なんでお前が悲鳴をあげるのだ!」

     この寓話は、真の努力と見せかけの苦労の対比を描いている。
     車軸のきしみは、わずかな負荷でも騒ぎ立てる管理層の象徴。
     一方、牛の沈黙は、重労働を担う者の声なき苦労を映している。
     他人の働きを自分の苦労のように見せかけて騒ぐ人間の本質は、誰も口にはしないが、誰もが知っている。
     しかし、黙って耐えるだけでは、周囲に負荷は伝わらない。
     必要な場面では、自らの重荷を言語化する勇気もまた、倫理的責任の一部だ。
     そして、リーダーは「声の大きさ」ではなく、見えない重荷にこそ目を向けるべきである。

  • イソップ寓話の教訓No.85「仔豚と羊」

    本当の辛さは本人しか理解できない

    ストーリー

     仔豚が羊の群れに紛れ込んで草をはんでいました。

    ある時、羊飼いに捕まったので泣き叫んでいると、羊たちは仔豚が泣くのを見て、「私たちはいつも捕まっているのに、泣いたりしないよ!」と言いました。

     仔豚は答えて「ぼくと君たちとでは、捕まる意味が違うんだ!君たちが捕まるのは、羊毛か乳のため、僕は肉のためなんだ!」

    本当の辛さや重大さは、本人しか理解できない。仔豚も羊も期待される役割が違う。仔豚なのに「羊と同じことを期待してほしい」と思っても無理なことだ。自分は何を期待してほしいのか、そんなことを考えて身を置く場所を選ぶことも大切だ。

    仔豚と羊(イソップ寓話)
    イソップ寓話の教訓No.85「仔豚と羊」