カテゴリー: イソップ寓話

イソップ寓話にまつわる教訓を掲載

  • No.006「山羊飼いと野生の山羊」

    No.006「山羊飼いと野生の山羊」

     山羊飼いが山羊を牧場へ追って行った。そこへ野生の山羊が何匹か紛れ込んだので、みんな一緒に自分の檻に追い込んだ。
     翌日はひどい嵐になり、牧場へ送り出すことが出来ないので、檻の中で世話をすることにして、自分の山羊には飢え死にしない程度の餌しかあたえず、紛れ込んだ野生の山羊たちには、自分の山羊にしてやろうと思い、たっぷりと餌をあたえた。
     さて、嵐もやんで、一匹残らず牧場へ連れ出したところ、野生の山羊は山まで来ると、逃げようとした。「たくさん餌をもらっておきながら、逃げてゆくとは恩知らずだ」と山羊飼いが非難すると、野生の山羊たちは振り向いてこう答えた。
     「だから警戒するのだ。あなたは昨日来たばかりの我々を、昔から一緒にいる者たちよりも大事にした。それなら、後で別の山羊が来ると、あなたは我々よりもそいつらを依怙贔屓(エコヒイキ)するに決まっているからさ」

  • No.005「借金のあるアテナイ人」

    No.005「借金のあるアテナイ人」

     金貸しから金を借りた男から返済を迫られた。返済するだけの金を持っていないので、返済期限を延ばしてほしいと頼んだが、聞き入れてもらえなかった。
     仕方なく、たった一頭しかいない豚を金貸しの立ち合いで売ることになった。
     買い手がやって来て「この豚はよく仔を生むか」と尋ねるので、男は言った。「ただ生むだけじゃないぞ。デメテルの密儀にはメス豚を産み、パナテナイア祭にはオス豚を産むのだ。」
     買い手がこの話にびっくりしていると、金貸しも口をはさんで言った。「そんなことで驚いてはいけない。この豚はディオニュソスの祭りには、山羊の仔だって産むんだ。」

  • No.004「ナイチンゲールと鷹」

    No.004「ナイチンゲールと鷹」

     ナイチンゲールが高い木の上でいつものように歌っていると、鷹がそれを見つけ、飛びかかってつかまえた。
     ナイチンゲールは殺される寸前に、「自分は小さいからお腹がいっぱいにならない。もっと大きな鳥をつかまえたらどうだい?」と言って、放してほしいと頼んだ。すると鷹が言うには、
     「すでに手中にあるご馳走を放り出して、目の前にないものを追いかけるほど間抜けではない。」

  • No.003「鷲とセンチコガネ」

    No.003「鷲とセンチコガネ」

  • No.002「鷲と烏と羊飼い」

    No.002「鷲と烏と羊飼い」

  • No.001「鷲と狐」

    No.001「鷲と狐」

     鷲と狐が友達になって同じ木に住むことになった。一緒に住めば友情も、より一層深まると考えたからだ。
     鷲は木の一番高いところに巣を作り、狐は木の根元の茂みで子育てをすることになった。
     ところがある時、狐が餌を探しに出かけた隙に、食べ物に困った鷲は木の根元に舞い降りて狐の子供をさらって、雛たちと一緒になって食べてしまった。
     帰ってきたキツネは事の次第を悟ったものの、飛んでいるものに仕返しの手立てがなく、空を見上げ鷲を呪っていた。
     しかし、この鷲も友情を裏切った罰を受けたのだろう。あるとき野原で生贄の山羊が焼かれている時、鷲が舞い降りて火のついた肉を失敬した。 それを巣に持ち帰ったまでは良いが、折からの突風が吹きつけて、小枝でできている巣は一気に燃え上がった。このため、まだ羽も生えそろわない雛は焼かれ、地面に落ちてしまった。
     それを見た狐は駆け寄るなり、鷲の目の前で雛を食べてしまった。

  • イソップ寓話の教訓No.337 「ライオンと狐と猿」

    平等と公平

    ストーリー

     人間たちの生活と張り合おうとしたライオンが、自分を一流と認めた者たちに、手厚く持てなそうと努めた。
     ライオンの洞窟では、あらゆる種類の動物が、優雅な振る舞いを受けるために、群れになって訪れた。ライオンは礼儀正しく、心のこもった食事を、全員が満足するほど振舞った。
     ライオンは、友人の狐を同居させていて、その共同生活は良好だった。しかし、肉の切り分け係は、年老いた猿にさせていた。
     この猿は、たとえ初めての客であっても、ライオンが狩ってきたばかりの新鮮な獲物を、ライオンにも、初めての客にも、同じだけ盛り付けた。
     それなのに、狐は古い肉の、それも不公平としか思えないほど、少ない量しかもらえなかった。
     そこで狐は一計を案じ、ライオンの前でわざと黙り込み、食事にも一切手を付けなかった。
     それを見たライオンは、狐に尋ねた。
    「狐君、何をすねているのだい?さあ、食事を一緒に食べよう。」
     狐は言った。
    「ライオン様、私は今の状況に苦しめられています。まして将来の事を想像すると涙が出てきます。毎日のように新しい客が来て、それが習慣になっていますから、だんだん古い肉さえ、私には配っていただけないでしょう。」
     ライオンは笑って言った。「その苦情は猿に言ってくれ!」

     自分の不満を権力者の力を借りて解消することは少なからず誰にでも思い当たるはずだ。兄弟の不満を親のちからで何とかしてもらいたい、友だち同士の不満を先生のちからで何とかしてもらいたい・・・等々。残念だが本当の意味での解決は出来ない。本当の解決は自分で何とかするしかないのだ!

  • イソップ寓話の教訓No.299 「農夫と木」

    農夫と木

     農夫の土地に木が生えていたが、まったく実をつけず、スズメや蝉がとまって、うるさく鳴いているだけであった。
     農夫が、この役立たずの木を切り倒そうと思い、斧で叩き始めた。するとスズメと蝉が、自分たちの休憩場所を伐らないで欲しい、残してくれれば、そこで歌を歌い楽しませてあげると、お願いした。
     農夫は、そんなお願いを気にも留めずに、斧を振り続けていると、洞穴から蜜蜂の巣と蜜が見つかった。
     農夫は斧を放り出し、この木の世話をするようになった。

     儲けを目の前にすると手のひらをかえす。いわゆる朝令暮改なんて経営者にとっては当たり前のことだ。そのような経営者に納得がいかなければ独立して自分が経営者になるしかない。
     スズメみたいに感情的な訴えでは状況を変えることは難しいだろう。蜜蜂のように実際の貢献を行い、その貢献を見せつけることだ!そして、いつでも独立できるように自分を成長させておくことが大事だ!

  • イソップ寓話の教訓No.225 「守銭奴」

    使われない資源は、存在しないのと同じ!

    守銭奴

     守銭奴が全財産を金塊に換えて、それを城壁の前に埋めると、しょっちゅう出かけて眺めていた。
     近くに住む職人が、男の足繫く通うことに気づき、なにをしているかが分かると、男が立ち去った後に金塊を盗んでいった。
     男が次にやって来ると、金塊が無くなっていることに気づき、気が狂ったように泣きわめいた。
     通りがかった人が理由を聞いて言った。
     「悲しむことではないよ。同じ場所に石を埋め、金塊だと思うことだ。どうせ有っても使わないのなら同じじゃないか。」

    ※守銭奴:金銭欲が強く、貯めることだけに執着する人。

     知識を学んでも行動に移さなければ、それは心の中の「埋蔵金」。また、組織においても、制度や情報があるのに運用されなければ、同じく「無用の宝」になる。
     「公平な評価制度」や「意見を反映する仕組み」が、ただの形式になっていて適切に運用されていない。経営者はその制度の存在を確認して満足しいる。そのような組織で抱える問題は解決しないし、実態は何も変わらない。そして組織は腐って行く。

  • イソップ寓話の教訓No.200 「盗みをする子と母親」

    悪事はますます大きくなる!

    盗みをする子と母親

     子供が学校で友達の書板を盗み、母親に持ち帰った。
     母親は叱らないばかりか、これを褒めたので、二度目には着物を盗んで手渡すと、前よりもまして感心してくれた。
     時が移り、この少年も若者になった頃には、もっと大きな盗みに手を染めるようになっていたが、ある時、盗みの現場で捕まって、処刑場へ引かれていった。
     母親がその後を追い、胸を叩いて嘆いていると、若者は、「おっ母(カア)の耳に入れたいことがある」と言った。そして母親が寄って来るや否や、その耳に食いついて、噛みきってしまった。
     親不孝者め!と罵(ノノシ)るのに対し、息子は言った。「初めて書板を盗んで渡した時に、もし叱ってくれていたら、捕まって死刑になるまでのことにはならなかっただろう!」

     始めに阻止しておかないと、悪事はますます大きくなる。ミスも不正も小さなうちに対処しておかないと、取り返しのつかない大事になる。

     組織内での小さな不正や不透明な慣習を「黙認」すると、それが慣習化し、やがて大きなスキャンダルに発展する可能性がある。フジテレビの上納や自民党の裏金はこの典型的な事例だ!

    類似教訓
    イソップ寓話の教訓No.198「踏まれた蛇とゼウス」

  • イソップ寓話の教訓No.164「托鉢僧」

    搾取の連鎖!

    ストーリー

     托鉢僧たちは、いつも重たい荷物を驢馬にかつがせて旅をしていた。

     驢馬は奴隷のようにこき使われ、とうとう過労により死んだ。托鉢僧は、驢馬の皮を剥ぎ、その皮を太鼓にして使っていた。

     ある時、別の托鉢僧と出会い「驢馬はどこへ行ったのだ?」と尋ねられ、「奴は死んだが、生きていた時よりもたくさん打たれている」と答えた。

     この僧侶の手元には太鼓が残ったが、太鼓という製品を残すための一番の貢献者は誰だろうか?
     まぎれも無く、自分の皮を提供した驢馬である。慈悲や節制を象徴すべき僧侶が自分の支配下にあるロバを酷使の末殺してしまい、ロバに対する同情や敬意の念は見られない。宗教者と搾取は現代でも通じる話だ。
     権力(=組織)に使い潰された後でも、成果だけが都合良く利用され続ける。これは個人の尊厳が無視される社会構造への痛烈な風刺を意味している。

     太鼓の響きが、告発となるか、教訓となるか、あなた次第だ!

  • イソップ寓話の教訓No.158「狼と老婆」

    実行しない約束の弊害とは!

    ストーリー

     腹をすかせた狼が食べ物を求めてうろついていた。

     とある家まで来ると、老婆が泣きわめく子供を脅して「泣き止まぬと、狼やってしまうよ!」と言うのが聞こえたので、じっと待っていた。

     しかし日が暮れても、その言葉どおりの事が何も起こらないので、立ち去りつつ独りごとで言った。「この家の奴らは言うこととすることが別々だ。」

     実行の伴わない脅し(=約束)は、たとえ1回であったとしても相手との信頼関係に悪影響を及ぼす。まして続けて入れば、人の心は離れてゆく。言葉と行動は一致させること!これがビジネスの鉄則だ。

    イソップ寓話の教訓No.158「狼と老婆」
    イソップ寓話の教訓No.158「狼と老婆」