投稿者: gray wolf

  • イソップ寓話の教訓No.92  「二匹の犬」

    自分の違和感は正義の芽かもしれない!

    ストーリー

     犬を二匹飼う男がいて、一匹には狩りを仕込み、もう一匹は番犬にした。

     猟犬が狩りに出て何か獲物をとってくると、男は番犬に分け前を与えた。

     猟犬は腹に据えかねて番犬に向かって「おれが外へでて苦労して獲物をとっているのに、お前はのほほんとして分け前にあずかり、おれの稼ぎで贅沢三昧だ」と非難した。

     それに対して番犬が言った「おれにそんなことを言ったって仕方ないだろう。主人に文句を言ってくれ!躾けられたとおりにしているのだからな」 

     苦労は力になる。だが、その苦労が正当に報われる仕組みがなければ不満がたまり、やがて仕組みや制度を見直す正義に変わる。

     会社勤めをしていれば、こんな違和感を覚えたことはないだろうか。
    「同じ給与なのに、あの人は涼しい事務所でパソコンを叩いているだけ。自分は炎天下や寒空の下、取引先に頭を下げて回っているのに…」そんな不公平感が、静かに心に積もっていく。
     このような不公平な制度に違和感を持っていても、昇進や内勤に異動してしまうと、何も疑問を抱くことが無くなる。不公平な制度の恩恵を受けている者は、それを変える動機がない。だから、不公平な仕組みが連綿と続くことになる。
     最初に感じた違和感を忘れずにいることは、自分の感性を麻痺させないための自己防衛でもある。それは、倫理的な感性がまだ生きている証であり、制度を問い直す力の源泉だ。この感性を守り、育てることこそが、変革の始まりになる。
     同じ環境に長くいると、刺激が鈍化し、違和感すら感じなくなることがある。だからこそ、休みをしっかりとり、いつもと違う風景に身を置いてみる。
     その静かな揺さぶりが、麻痺しかけた感性を呼び起こし、自分を取り戻すきっかけになるだろう。

  • イソップ寓話の教訓No.336 「ライオンと狐と鹿」

    立場をわきまえていれば騙されない!

    ストーリー

     岩がちの谷に住むライオンが病気になって体を横たえながら、友だちの狐に向かってこう言った。

     「松の木の下の藪に鹿がひそんでいる。そいつを食べたいが、もはや自分では追う力がない。あいつを言いくるめてここまで連れて来てくれ。」

     その頼みを聞いた狐は、鹿のひそんでいる藪まで来ると鹿に向かって「今日は、めでたい話を伝えに来た」と語りかけた。

     「私の隣人のライオンは具合が悪くお迎えも近いのです。誰が次の王になるのが良いかと腐心しておられた。結局は鹿が王にふさわしいとお考えだ。姿が誇らしく、長寿で、角は立派だ。これからライオンのお側に行って、苦しむライオンを元気づけるべきだ。」

     狐がこのように言うと鹿はのぼせ上り、ライオンの穴へと入って行った。

     するとライオンは鹿を見るなり、やみくもに襲いかかったので、爪の先で鹿の耳をちぎっただけで、鹿は一目散に逃げ帰ってしまった。

     ライオンは狐に「もう一度あらたな策略を考えてくれ」と頼んだ。

     狐は逃げた鹿の足跡をたどり、走り疲れて木陰で休んでいる鹿を見つけた。鹿は狐を見るなり、怒りながら言った。「憎いやつめ。今さら何し来た。他の奴を選んで王にするがいい。」

     しかし狐はへこたれず、こう言った。「ライオンはあなたに耳寄りな忠告をしようとして、耳にさわったのです。あなたは無理に身を引き離したから怪我が大きくなったのです。ライオンに敵意は無く、好意からあなたを百獣の王にするのです。」

     こうして狐は鹿をライオンの穴へ再び入らせた。

     ライオンは鹿を餌食にして独り占めした。ライオンが食べている間中、腹をすかせた狐は突っ立っていた。そこへ鹿の心臓が転がって来たので、狐はこっそり飲み込んだ。

     ライオンは鹿の内臓をひとつづつ数えてみたが、心臓だけが見つからず洞穴中を探し回った。

     すると、それを見ていた狐が言った。

     「探しても無駄です。初めから無かったのです。ライオンの住処に二度も入ってくる鹿に、どんな心臓があるというのですか?」

     あまりに都合の良い話に疑問を持てる人は、幻想に飲み込まれず、搾取を避けることができる。
     だが、騙される人は自分の立場をわきまえていない。だからこそ、おだてに乗り、のぼせ上がり、自滅してしまう。

     立場をわきまえていれば、降って湧いたような名誉や誘惑に感情を乱されることもなく、冷静に距離を取ることができる。幻想に抗う力は、立場の認識から生まれる。

     ここで言う「立場をわきまえる」とは、自分を卑下することではない。それは、語りの裏を読み、不釣り合いな称賛や権威に惑わされず、搾取を遠ざける知性である。

     立場をわきまえていれば、騙されることはない。
     あまりに都合の良い話に疑問を持てる人は、幻想に飲み込まれず、搾取を避けることができる。
     だが、騙される人は自分の立場をわきまえていない。だからこそ、おだてに乗り、のぼせ上がり、自滅してしまう。
     立場をわきまえていれば、降って湧いたような名誉や誘惑に感情を乱されることもなく、冷静に距離を取ることができる。幻想に抗う力は、立場の認識から生まれる。
     ここで言う「立場をわきまえる」とは、自分を卑下することではない。それは、語りの裏を読み、不釣り合いな称賛や権威に惑わされず、搾取を遠ざける知性である。
     あなたは今、どんな語りに心を動かされているだろうか。
     それは、あなたの立場を尊重するものか。それとも、搾取の入り口か。

  • イソップ寓話の教訓No.326 「臆病な猟師」

    「ふり」をする人は馬鹿にされる!

    ストーリー

     臆病な猟師が、木がうっそうと茂る山でライオンの足跡を追っていた。
     大きな木の側で木こりに出会って、「森のニンフにかけてお願いだ。この辺りの洞穴に住むライオンの足跡をしらないか?」と尋ねた。
     木こりが「それは丁度良いところだった。すぐにライオンの住処へ案内しよう」と答えると、木こりは真っ青になってガタガタ震えながら言った。
     「頼んだこと以上の親切は無用だ。足跡だけでいい!」

    ニンフ:ギリシャ神話の精霊・妖精

     自分はライオン狩りをするような勇敢な人物だと思われたい。誰かにそう気づいてほしい。だから、その誰かにライオンの足跡を尋ねる。
     だが実際には、襲われるのが怖くて狩りなどできない。本当の自分は臆病者で、ライオンそのものには会いたくないのだ。 こんな甘えた人物は、あちこちにいる。 「できるふり」や「しているふり」をする者は、いずれ見抜かれ、嫌われ、馬鹿にされるのが落ちだ。 
     あなたの「ふり」は、誰の目を意識したものだろうか。
     そしてその目は、本当にあなたを見ているだろうか。

  • イソップ寓話の教訓No.327 「海の幸山の幸」

    飽きるのは成長が止まった証拠!

    ストーリー

     狩人は狩りを終えて山から下り、漁師は魚籠を魚で一杯にして戻る途中で、ばったり会った。狩人は海を泳ぐ魚が欲しく、漁師は野の獲物が欲しくてならず、お互いの持っているものを交換した。それからというものは、いつも交換して食事を楽しんでいた。
      それを見た人が言った。
    「習慣になれば、だんだん飽きてきて、その楽しさも消えるだろう。今度は元のものが恋しくなるのだ!」

     人は簡単には手に入らないものほど欲しくなる。しかし一度自分のものになって時間が経つと、つまらなく感じ始める。それは人であっても物であっても同じだ。
     手に入れたものが自分の中で変化しないから飽きる。要するに、そのものに対して自分の気持ちが変化しないから飽きるのだ。自分が成長していると自分が常に変化しているのだから、同じものでも少しも飽きない。飽きるのは成長が止まった証拠。
     あなたが、最近、飽きたと感じるものは何だろうか?

  • イソップ寓話の教訓No.325 「雲雀(ヒバリ)と農夫」

    何かを始めるには、まず自ら動く!

    ストーリー

     雲雀(ヒバリ)が若草の中に巣を作り、雛たちを麦の葉で育てていた。畑の主が見回りに来て、黄金色になった麦の穂を見ると、「そろそろ刈り取りの時期だ。何人か仲間を集めなければならない」と言った。
     雲雀(ヒバリ)の雛が一羽、これを聞いていて父親に、自分たちをどこかに移してほしいと頼んだ。
     父親はしかし「まだ逃げなくていい。仲間を頼りにする人は、そんなに急いでいないものさ!」と言うばかりだった。
     再び、畑の主がやって来て、麦の穂が光を浴びて、こぼれそうになっているのを見ると、次の日に穂の刈り手と、束の運び手を雇うと言いながら、段取りを始めた。
     すると雲雀(ヒバリ)が雛に向かって言った、「今度は本当に逃げる時だ。自分が動き出したのだから」

     何かを始めるには、まず自ら動くこと。
     自らの頭で考えても実際の行動は他人振る!というのは実効性がない。結果の出ない会社の企画によくあるパターンだ。
     この雲雀たちは見事に農夫に見つからず、巣をどこかに移すことが出来ただろうか?
     トラブルをうまく処理して安心から気を緩めたときに次の危険が迫っていることが多いので注意が必要だ。

  • イソップ寓話の教訓No.320 「馬と兵士」

    人は育てられたように育つ!

    ストーリー

     戦争が行われている間、騎士は馬を戦場における戦友とみなして大麦などの餌で大切に養っていた。
     ところが戦争が終わり平和が続くと、騎士も給料が貰えなくなる。すると生活のため、この馬を使って太い丸太を森から町まで引かせたり、雑多な荷物を運ぶ仕事に専念するようになった。
     そして馬の餌は惨めなふすまで命をつなぎ、背中に積むのは騎士の装備ではなかった。
     ところが、新たな戦争のうわさが流れラッパが鳴ると、あの男も再び剣を研ぎ、盾を磨き、馬を飾り、轡を噛ませ、馬にまたがろうとした。
     しかし馬はもはや力なく倒れこんで、男に言った。「歩兵隊として戦争へ行ってください。私を馬から驢馬へ変え、さんざんこき使ったのに、どうして驢馬から馬へ戻そうとするのですか。もうあなたの都合に合わせることができません!」

    ※ふすま:小麦を製粉するときに除かれる外皮部と胚芽

     人は育てれたように育つのだ。そして人も動物も機械も無理をすれば寿命が縮むし、大切にすれば長持ちする。
     会社組織を思い出してほしい。「制度の搾取」「労働の使い捨て」「誠実さの軽視」どれも本人が気づかぬうちに、悪循環にはまる可能性がある。
     人事制度の名のもとに繰り返される、ご都合主義と使い捨て。「育成」「柔軟性」「多様な経験」などの美辞麗句の裏に、誰が決定権を持ち、誰が代償を払っているのか。
     あなたの職場のJOBローテーションは、育成か、消耗か。

  • イソップ寓話の教訓No.316「ヘラクレスとアテナ」

    力で相手を押さえつけようとするのは逆効果!

    ストーリー

     ヘラクレスが狭い道を歩いていると、地面に林檎のようなものが落ちていた。踏みつぶそうとしたところ、それは二倍の大きさになった。さらに強く踏みつけ、こん棒で殴りつけた。
     すると、ますます膨らみ、道をふさぐほどになったので、ヘラクレスがこん棒を投げ捨て、あっけにとられていると、アテナの女神が現れて言った。「ヘラクレスよ、止めるが良い。それは敵がい心であり、争いであるのだ。相手にせずほっておけば元のままだが、力で押さえつけようとすると、このように膨れ上がるのだ」

    ※アテナ:ギリシャ神話で技術、学芸、戦いなどをつかさどる女神。

     争いを力で抑えようとするのは、むしろ逆効果である。
     一方が力を使えば、相手も力で応じる。そうして憎しみは増幅し、争いは収まるどころか、ますます深まっていく。
     ヘラクレスは「邪魔なもの=悪」と見なし、力で排除しようとした。しかしその行為は、対象をますます膨らませ、ついには道を塞ぐほどになってしまう。
     そこへ現れたアテナはこう諭す――「争いは、力で抑えようとすると膨れ上がる。相手にせず放っておけば、元のままなのだ。」
     つまり、敵意に敵意で応じれば、対立は拡大する。争いを鎮めるには、力ではなく、理解と距離、そして知恵が必要なのだ。

    この話の続きが、次のようになれば争いは起きないだろ。
     ヘラクレスはこん棒を捨てた。だが、道は塞がれたままだった。
    そこで彼は、林檎のような塊に近づき、静かに語りかけた。
    「お前は争いの象徴だ。だが、私は争わない。私は、別の道を探す。」
     すると塊は、少しずつしぼみ、地面に吸い込まれていった。争いは、力に反応する。だが、居場所を失うのだ。

  • イソップ寓話の教訓No.306 「ヘルメスと蟻に噛まれた男」

    自分の良くないところは気づかない!

    ストーリー

     船が乗客を乗せたまま海に沈むのを目撃した男が言った。「罰当たりが一人乗り込んでいるからと言って、罪もない人が大勢巻き添えを食っている。神の裁きは正しくない!」
     すると蟻の大群が行列をなして男の足元を歩いていた。そして中の一匹が男の足に咬みついたところ、男はたまらずたくさんの蟻を一緒くたに踏みつぶした。
     するとヘルメスが男の前に現れ、その男を杖で打ちながら言った。「お前は神々が人間に対する裁きを非難しておったが、蟻に同じことをしているではないか!」

    自分の良くないところには、なかなか気づけない。
    けれど、他人の欠点はよく見えるし、つい指摘したくもなる。

    他人を批判することで、「それを見抜ける自分には問題がない」と錯覚してしまい、 かえって自分の問題点が見えなくなる。

    あなたは、誰かの判断を批判するとき、 自分がその立場に立ったときの振る舞いを、見つめているだろうか。

  • イソップ寓話の教訓No.291 「牛追いとヘラクレス」

    神頼みの前に出来ることはやり尽くす!

    ストーリー

     牛追いが村から荷車をひいてくる途中、車輪が窪みにはまってしまった。何とか抜け出さねばならないのに、牛追いはぼさっと突っ立っていた。
     しまいに彼が崇拝する唯一の神様であるヘラクレスに助けを求めるため祈り始めた。
     するとヘラクレスが現れて言った。
     「牛追いよ、車輪に取り付き押しながら、突き棒で牛をつけ!自分でも何かしてから神頼みをするがよい。さもないと祈っても無駄だ。」

     できる限りのことは、まず自分でやり尽くすべきだ。
     思いもよらぬトラブルに見舞われたとき、ただ立ち尽くしていては何も始まらない。
     まずは頭を使い、手足を動かすこと。そうすれば、事態はたいてい好転する。仮にうまくいかなくても、納得のいく過程を経ていれば、結果を静かに受け入れられるはずだ。
     祈りや神頼みは、その後でいい。

  • イソップ寓話の教訓No.287 「アラブ人と駱駝」

    視点を変える!

    ストーリー

     アラブ人が駱駝に荷物を積みながら「上り坂と下り坂のどちらが好きか?」と駱駝に尋ねた。
     閃きのある駱駝は言った。「平らな道は塞がっているのですか?」

     好ましくない二者択一に、真面目に悩む必要はない。肩の力を抜いて、問いそのものを見直してみよう。
     視点を変えれば、選択肢はもっと広がっている。

  • イソップ寓話の教訓No.284「一緒に旅をする人間とライオン」

    強さを見せつける必要はない!

    ストーリー

     ライオンが人間と旅の道連れになった。どちらが強いかという話をしたが、どちらも口で自慢するばかり。
     しばらく行くとライオンを絞殺そうとする人間の石像があったので、男がこれをライオンに見せながら「どうだ、人間の方がライオンより強いだろう!」と言うと、
     ライオンはニヤッと笑って言うには、「ライオンに彫刻が出来たなら、ライオンの餌食になる人間をたくさん見られるだろう!」

     強さを見せつける必要はない。自分の強さを不用意に見せつければ、その一瞬は気分が良いが、そのうち何かの形で反発や抵抗を思い知らされる。

  • 日本の昔話の教訓「比治山の狐」

    安易な模倣は災難のもと!

    ストーリー

     むかし広島に一人の能役者がありました。
     ある日、村の祭りに行って、夜遅く一人で比治山のふもとの道を帰ってきました。あまり北風が寒いので懐に入れていた能の面を取り出して、風よけにそれを被って歩いていました。
     すると比治山から一人の男が下りてきて、呼び止めました。「あなたは実に珍しいものを被っておいでになる。それは何というものですか?」と尋ねます。
     能役者は「これは能の面と言うもので、被って舞を舞うものだ」と答えますと、男は「それを被れば、いつでもそのようになれるのですか?実は私はこの比治山に住んでいる狐ですが、一つあなたのように化けてみたい。是非その面と言うものを私に譲ってください」と言いました。
     あんまり熱心に頼みますので、とうとう役者も承知をして、その面を狐に譲って家に帰ってきました。
     それからしばらくして、殿様が狩りに出て大勢の家来を連れて比治山のふもとの道をお通りになったところ、おかしな狐が一匹出てきて、少しも人を恐れずに、その辺をうろうろしておりました。
     「狐が出た!」と言って、多くの武士が集まってすぐに打ち殺しましたが、良く見ると以前に能役者の持っていた面を被っていたそうです。面を被ると体までが人になると思っていたらしい、と言うことでございます。

     安易な模倣は、時に命取りとなる。
     この話に登場する狐は、本来人間に化ける力を持っていた。にもかかわらず、能面という“人間の形式”に頼ったことで、かえって命を落とすことになった。
     形式に憧れ、意味を理解せずに模倣することは、自らの本質を見失う危険を孕んでいる。代償は、想像以上に大きい。