投稿者: gray wolf

  • グリム童話の教訓「釘」

    些細な事を疎かにして大事故になった話!

    ストーリー

     ある商人が市場で商売をして、持ってきた商品を残らず売り切った。商人は夜にならないうちに家へ帰ろうと、自分の乗っている馬に鞄をくくりつけ出発した。

     正午にどこかの町で休憩したが、さて出かけようとする時に、下僕が馬をひいてきて言った。「旦那様、お馬の左の後あしの蹄鉄の釘が一本抜けておりますが。」
    商人は「そのままにしておきなさい。道のりは、あと六時間あるだろうが、そのくらいでは蹄鉄は落ちはしまい。急いでいるからな」と言った。

     お昼過ぎに、また一休みして、馬に食べ物をやらせると、下僕が部屋に来て言った。「旦那様、お馬の左の後あしの蹄鉄がなくなっております。鍛冶屋へ連れてまいりましょうか」商人は「とれたまんまにしておきなさい。あと一、二時間だ。それくらい我慢できるだろう。急ぐのだからな。」と言った。

     そのまま出かけましたが、それほど経たないうちに、馬はびっこをひき始めた。びっこをひきだしたかと思うと、やがてつまずくようになり、つまずいているうちに、馬はばったり倒れて、あしを一本折ってしまった。

     否応なしに馬はそのままにしておいて、商人は馬の背中にくくりつけてあった鞄を自分でかつぎ、てくてく歩いて、夜中になって家に着いた。

     商人は独り言で「こんなひどい目にあったのも、もとはといえば、あの釘一本のせいだ、いまいましい奴だ!」

    些細なことを疎かにすると大事故へと発展することがある。事故は起こるべくして起こるもの。他者に責任転嫁する前に、自分の見通しの甘さを反省し、失敗しない仕組みを作ることが重要です。

    類似教訓
    イソップ寓話の教訓No.146「鼠に怯(オビ)えたライオン」

    釘の画像
    グリム童話の教訓「釘」
  • 死神のお使いたち

    生活習慣は人生の土台です

    ストーリー

    ある時、一人の大入道が道幅の広い大通りをのそりのそり歩いていました。

    すると見知らぬ男がいきなり飛び出してきて「止まれ!」と呼びかけました。大入道が「お前は誰だ?」と尋ねると、その男は答えて「おれは死神だよ。おれの命令には、お前も聞かなければならないのさ!」

    大入道は「そんな馬鹿なやつはいない」と言って死神をげんこつで殴り倒したので、死神は道の脇で伸びてしまいました。大入道はそのまま行ってしまいましたが、死神は起き上がる力もありません。

    そのうち、年の若い元気な男がやって来ました。元気の良い丈夫な男で、鼻歌を歌いながら、あっちこっちを眺めていましたが、気絶している男に目がとまると、気の毒に思って、持っていた瓶から飲み物を口へながしこんでやって、元気になるまで様子を見ていました。

    「おまえ、おれが何者だか知っているのか?」とやっと起きながら尋ねると、若い男は「おまえの素性なんかしらないよ」と返事をしました。

    「おれは死神だ。だれだって容赦しないのさ。だがね、おれは、おまえをありがたく思っているから、お前に約束しよう。おまえだけは不意打ちをくわせない。おれが迎えに行く前に、使いをいくつか出すことにしよう。」

    「ありがたい、死神の来る時が前からわかって、それまでは、さらわれる気遣いなしにいられるのは、もうけもんだ。」若い男はこんなことを言いながら先へ行きましたが、ただぼやっと日を送るだけでした。

    けれども若さと健康は永続きするものではなく、いろいろな病気や苦しみが起ることになりました。「死ぬことはないぞ。死神のやつは使いをいくつもよこすはずだからな。病気のいまいましい日が過ぎてしまえばよいのだ。」と男は独り言を言いました。それで体の具合が良くなると、またすぐに堕落した生活が始まりました。

    ある時、だれかが肩を叩きます。振り返ってみると死神が後ろに立っていて、「おれについてきな。おまえは、この世にわかれる時が来たんだ。」と死神が言うのです。男は「なんだって。約束が違うじゃないか。おまえが来る前に使いをよこすと約束しなかったか!使いなんか一人も来ないぞ」と言いました。

    死神は答えて「だまれ!使いならあとから後から、お前のところへやったではないか。熱が行かなかったか、目まいがおまえの頭をばかにしたことはないか、痛風がおまえの関節をつねったことはないか、耳鳴りのしたことはないか、歯の痛みがおまえのほっぺたをかじったことはないか、目の前が暗くなったことはないか。」

    男は、なんとも返事ができず、これを自分の運命とあきらめて、死神のおともをして行ってしまいました。

    この物語の教訓は、
    生活習慣は人生の土台です。歳を重ねれば、だれでも死神のお使いがちらほら見えているはずです。具合が悪ければ体のメンテナンスをしましょう。そして、今から少しでも生活習慣を改善しようではありませんか。

    死神のお使いたちの画像
    死神のお使いたち
  • グリム童話の教訓「寿命」

    人生の時間は限られている。チャンスはいつも今だ!

    ストーリー

    神様が世界を作ってから、生物に寿命を決めようとした。

    ロバが来て尋ねた。
    「私はどれくらい生きますか?」神様は答えて「三十年だ。」それについて、ロバは言った。「私の生きている間の苦労をお察しください。朝から晩まで重たい荷物を運び、ぶたれたり、蹴られたり、しっかりしろと怒鳴られたりするばかりでございます。その長い年月をお減らし願います。」
    神様は可哀そうに思い、十八年だけおやりになりました。

    次に犬が現れました。
    神様は「ロバは三十年が多すぎるそうだが、お前なら良いだろう?」と尋ねました。犬は答えて「私が否応なしにどれくらい走るかお察しください。三十年はとても足がつづきません。」神様は犬の言うことをもっともだと思い、十二年だけお授けになりました。

    そのすぐ後に来たのは猿です。
    「お前は三十年生きたいだろうな。ロバや犬のように働かなくて良いからな」と神様は仰せになりました。猿は答えて「とんでもないことです。いつも、おかしなことをして人間どもを笑わせなければなりません。このようなものの後ろには、悲しみが隠れております。三十年も辛抱なりません。」
    神様はお恵み深く、お猿には十年だけおつかわしになりました。

    おしまいに現れたのは人間です。
    神様は「三十年生かしてあげる」とおっしゃると、人間は答えて「それでは短すぎます。家を建ててこれから自分の生涯を楽しもうと思った矢先に死ななければなりません。お願いですから私の寿命を延ばしてください。」
    神様は「お前にロバの十八年を足してあげよう」とおっしゃった。人間は答えて「それでは足りません。」神様が「犬の十二年も足してあげよう」とおっしゃっても、人間は答えて「まだまだ、少なすぎます。」神様は「猿の十年もお前に授けよう、もうそれ以上は無いぞ。」とおっしゃると、人間は不平を言いながら、立ち去りました。

    このようなわけで人間は七十年生きることになっています。初めの三十年は人間の本当の歳で、さっさと過ぎてしまいます。
    これに続くロバの十八年は、重荷を背負わされます。
    次に来る犬の十二年は、あっちこっち走り回るか隅のほうで、うーうーうなってばかりです。
    最後はお猿の十年がやって来て、この歳になると頭の働きが鈍く、子供たちの笑いものになります。

    ご先祖様が欲深く寿命を欲しがらなければ、人間の人生は重い荷物を背負った長い旅路にならなかったかもしれません。
    人生の時間は限られています。チャンスはいつも今だ!

    寿命の画像
    グリム童話の教訓「寿命」
  • グリム童話の教訓「天国へ行った貧しい農夫」

    人生は不公平だ!

    ストーリー

    貧乏だが信心深い農夫が亡くなり天国へ行った。天国の門の前に着くと、お金持ちの商人がいた。

    神様が出てきて、先にお金持ちの商人を中へ入れた。貧しい農夫は目に入らなかったらしく、そのまま門が閉まった。

    貧しい農夫が門の前で待っていると、中から歓迎の歌や楽器の演奏が聞こえてきた。

    そのうち静かになったかと思うと、神様が出てきて貧しい農夫を中へ入れた。

    貧しい農夫は歓迎の歌や楽器の演奏を期待していたが、ひっそりと静まり返っていた。そこで神様に尋ねた。「どういうわけで、私が中へ入った時は歌や楽器の演奏が無いのですか?これでは下界と同じように不公平です。」

    神様は答えて「そうではない。おまえは、みんなと同じように天国の楽しみを味わうことができる。だが、おまえのような貧しい者は、毎日毎日、天国へ来るが、あのようなお金持ちが天国に来るのは、百年に一人の割合だからだ。」

    この物語の教訓は、
    人生は不公平だ、ということは確かなことです。人との比較で無く自分の目的を達成すことに意識を向けませんか。

    天国へ行った貧しい農夫の画像
    天国へ行った貧しい農夫
  • グリム童話の教訓「狐と馬」

    戦える人はずるい人の搾取の対象にはならない!

    ストーリー

    ある農夫が馬を一頭飼っていましたが、馬が年取って仕事ができなくなったので、馬に言いました。「お前はもう使えない。もしライオンを連れてこられるだけの力があれば飼っておくのだがな。今のところ、ひとまず、ここから出て行っておくれ。」馬は広い野原へ追い出されました。

    馬が今夜の寝床を探そうと森の中を歩いていると、狐に会いました。狐は「なぜ、そんなにしょんぼり歩いているの?」と声をかけました。馬は答えて「畑仕事ができなくなったので追い出されたんだ。ライオンを連れてくる力があれば飼ってやると言っているが、そんなことの出来ないのを知っていて、言っているのさ。」

    狐は「それなら、何とかしてあげられそうだ!ここに転がって死んでるように動くんじゃないよ!」と言って、歩き出しました。

    狐はそこから遠くない洞穴に住んでいるライオンの所へ行って「死んだ馬が一頭もろがっています。ご案内しますよ!」と言いました。

    二匹が馬の所へ着いたとき、狐は「ここでは、落ち着いて召し上げれそうにありません。馬のしっぽをあなたに縛り付けるので、こいつを洞穴に連れ込んで、召し上がりませんか。」と言いました。

    ライオンはうまい考えだ、と思いじっとしていました。

    ところが狐は、馬のしっぽでライオンの脚を縛りつけると、馬の肩をポンと叩いて「それ行け!、それ行け!」と言ったのです。

    馬はいきなり跳ね起きて、吠えるライオンを引きずりながら、野原をこえて主人の家の戸口まで走って行きました。

    主人は、これを見てすっかり考え直し、「お前を私のうちにおいて、一生楽をさせてあげよう!」と馬に言い、お腹いっぱい食べさせてあげました。

    この物語の教訓は・・・
    戦える人はずるい人の搾取の対象にはなりません。
    弱音を言っていた馬も、狐の力を借りて戦える馬に変わり、待遇が良くなりました。

    グリム童話の教訓「狐と馬」
  • グリム童話の教訓「怠け者と働き者」

    変えられることは今日から変えるべきだ!

    グリム童話の教訓「怠け者と働き者」のストーリー

    むかし男が二人、町へ出稼ぎに行きました。町へ入ると片方の男は道楽にはまり、昼間から酒を飲みほっつき歩いていました。もう一人の男は仕事に精を出して働いていました。

    働き者の男が仕事の帰り道、道路わきで寝ている者を見かけました。良く見ると、それは一緒に出稼ぎにきた怠け者の男でした。自分もその男と並んで横になり、自分のコートをかけてやり、寝てしまいました。

    すこしたつと、働き者の男は二つの声で目を覚ましました。声の主は二羽のカラスで、一羽のカラスは「何もしなくても神様が優しくしてくださる」と言い、もう一羽は「では、そのつもりでいなさい」と言っていました。

    始めのカラスはこう言った後で、ばっさり地面に落ちました。もう一羽は夜が明けるのを待って虫や水を取りに行って、地面に落ちたカラスを元気づけてやり、助けてあげました。

    二人の男は不思議に思い、病気のカラスに「どうしてこんなみじめなありさまで病んでいるのか?」と聞いたところ、病気のカラスは「食べ物は働かなくても天から降ってくるものと思っていたから」と答えました。

    二人は二羽のカラスを連れて次の町へ行きました。

    次の町で、ある少女と出会いました。その少女は良く働くカラスを大変かわいがって、頬ずりしたところ、ばさばさと羽ばたきしたかと思うと、美しい若い男の人に変わりました。

    その人の話によれば、もう一羽は自分の兄弟で、父親を馬鹿にしたので、呪いをかけられカラスにさせられた、と言うことでした。

    もう一羽の病みついているカラスは、誰からも可愛がられることなく、カラスのまま死んでいったとと言うことです。

    怠け者の男は、これを自分の教訓として働き者に変わったそうです。

    この物語の教訓は・・・
    どんなことも積極的に動かなくても何とかなる!と思うことも一利ある。
    しかし人生の質を上げたいなら、変えられることは今日から変えるべきだ。残りの人生で今日が一番若いのだから。何もせず受け身で得た結果と積極的に動いて得た結果では大きな違いがある

    過ぎてしまえば人生なんて短いものだ。

    グリム童話の教訓「怠け者と働き者」