収入の種は生き残る!
ストーリー
猟師が夕食を作っているところへ、突然に友人が訪ねてきた。
友人の夕食も必要になったが、鳥かごは空で獲物は無かった。
そこで、狩りのおとりに使っている山鶉を夕食にしようとしたところ、山鶉は命乞いしてこう言った。
「ご主人様、私を食事に使ったら、これから先に狩りは、どうするのですか。鳥の群れを誰がおびき寄せるのですか?」
猟師は山鶉を放し、雄鶏を捕まえようとしたところ、金切り声をあげてこう言った。
「ご主人様、時を告げる私を食事にしたら、夜明けをどのように知るのですか。狩りに行く時間をどのように知るのですか?」
しかし猟師が言うには
「確かにお前は時を告げるので役に立つ。しかし、今は友人に食事を作らなくてはならないのだ!」
二人のうち、どちらか一方が犠牲になるとき、収入の種になるものは生き残ることができる。・・・
しかし、もし山鶉が犠牲になった場合はどうだろうか?
猟師は、狩りのパートナーたる山鶉を犠牲にした。その結果、狩りがうまくいかなくなり、猟師自身が困窮する。そして、残された雄鶏も、時を告げる必要がなくなり餌食になってしまう。
最後には、猟師という仕事が機能しなくなり消滅してしまう。
実際にあった収益性と犠牲の話をしよう。歪んだ制度を放置した管理者が組織をつぶした話だ。
ある企業の営業部では、顧客対応の要となる営業社員たちが、正社員としてしっかり配置されていた。彼らは日々、誠実に顧客と向き合い、成果を上げるべく努力していた。表面的には、営業部は「収益を生む中核部門」として機能しているように見えた。
しかし、その裏側では、見過ごされた構造的な歪みが静かに進行していたのである。
営業活動を支える事務処理部門は、コスト削減の名のもとに、アルバイトやパートタイマーで構成されていた。彼らは限られた時間と訓練で、複雑な業務をこなすことを求められていたが、当然ながらその品質には限界があった。
結果として、営業社員が使うツールや資料は、精度や整合性に欠けるものとなり、顧客対応にも支障をきたすようになった。営業成績は次第に低下し、現場には焦りと苛立ちが広がった。
それでも管理者は、営業社員の「努力が足りない」と叱咤激励を繰り返すばかり。構造的な問題には目を向けず、成績の低下を個人の努力不足にすり替えた。
やがて、疲弊した営業社員たちは次々と退職していった。歪んだ制度を放置した結果、収益を生むはずの中核部門を自ら崩壊させてしまったのである。
あなたの周囲はどうだろうか?
「あなたの組織では、誰が犠牲になっているか?」
「収益を生まない部門に、どんな価値を見出しているか?」
「成果を求める前に、環境を整える責任を果たしているか?」
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