誠実な人が折れないために
百足の使い
ある時、百足とバッタとカタツムリが寄り合いをしました。
とても寒い日だったので皆で「酒でも飲もうじゃないか!」となりました。さて、誰が買いに行くか、ということになると、
バッタは「跳ねたときに瓶を割りそうだ。」
カタツムリは「歩みが遅いので、帰りが間に合わないだろう。」
百足は、しかたなく「それでは私が買いに行こう」と行くことになりました。
ところが、しばらくたっても百足は戻ってきません。バッタとカタツムリが心配になり見に出かけようとしました。すると土間の脇で百足が何かしているようです。
「百足さん、なにをしてるのだい?」と尋ねると、百足は答えて、「私は足がだくさんあるから、まだ草履を履いているところだよ!」
バッタもカタツムリも、自らの特性を理由に買い出しを辞退しますが、それは単なる怠慢ではなく、自分の限界を見極めたうえでの誠実な判断でしょう。百足は断らずに引き受けましたが、結果的に遅れてしまう——その滑稽さの裏に、見えない苦労が潜んでいる寓話です。
この物語は、「誰がやるか」ではなく、「どうやって支え合うか」という問いを、私たちに静かに投げかけているのです。
一方で、「バッタも瓶を割らないように飛べばいい」「カタツムリも頑張って早く歩けばいい」といった考え方も、つい思い浮かぶかもしれません。
これは一見もっともに聞こえますが、そこにこそ現代の組織や社会でよく見られる“無意識の圧力”が潜んでいます。つまり、「工夫すればできるでしょ?」という言葉や期待は、相手の本質的な特性を否定し、無理な適応を強いる圧力になり得ます。
このような圧力が常態化すると、新しい取り組みが進まず変化への対応力が低下し、結果として市場競争力を失い、優秀な人材が離職する傾向が強くなります。また、自分の特性や限界を無視し、無理な適応を強いられた結果として、心身が限界を迎え、長期離脱に至ることが多くなります。
誰かがやらなければならないことを、黙って引き受けてきた。時間がかかっても、文句を言わずに準備してきた。
それでも「遅い」「雑だ」と言われるとき、それはあなたの価値が低いのではなく、あなたの努力が見えていないだけです。このような気持ちは、誠実に生きようとする人が組織や社会の中で背負わされがちな「見えない重荷」の証でもあります。
否定的な言葉をかける人の多くは、未熟さや不安を抱えているだけであり、あなたの価値を否定しているわけではありません。
評価と存在価値を混同しないこと——それが、誠実なあなたの心を守る静かな知恵です。
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