搾取の連鎖!
ストーリー
托鉢僧たちは、いつも重たい荷物を驢馬にかつがせて旅をしていた。
驢馬は奴隷のようにこき使われ、とうとう過労により死んだ。托鉢僧は、驢馬の皮を剥ぎ、その皮を太鼓にして使っていた。
ある時、別の托鉢僧と出会い「驢馬はどこへ行ったのだ?」と尋ねられ、「奴は死んだが、生きていた時よりもたくさん打たれている」と答えた。
この僧侶の手元には太鼓が残ったが、太鼓という製品を残すための一番の貢献者は誰だろうか?
まぎれも無く、自分の皮を提供した驢馬である。慈悲や節制を象徴すべき僧侶が自分の支配下にあるロバを酷使の末殺してしまい、ロバに対する同情や敬意の念は見られない。宗教者と搾取は現代でも通じる話だ。
権力(=組織)に使い潰された後でも、成果だけが都合良く利用され続ける。これは個人の尊厳が無視される社会構造への痛烈な風刺を意味している。
太鼓の響きが、告発となるか、教訓となるか、あなた次第だ!
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