失った時にその有難さを思い知らされる!
ストーリー
むかし神様が地上をご自分で歩いていたころ、麦の粒は茎の下の方から上の方まで、べたいちめんについていました。ですから穂も長いものであったのです。けれど人間の常として、ふんだんにあるものは、さほど有難く思わず軽はずみな気分になるものです。
ある日のこと、女と小さい子供が、麦畑の脇を通りかかりました。小さい子供が、水たまりに落ちて、着ものを汚してしまったのです。母親は見事な穂をひとつかみむしり取って、それで子供の着ものを拭いてやりました。
ちょうどそこを通りかかられた神様が、これをご覧になると、お腹立ちで「これからは麦の茎には、いっさい穂をつけてやらぬ。人間どもは天の恵みをうける値打ちがない」とおおせになりました。
まわりで、このお言葉をうかがった者たちは、驚いて膝をつき言いました。「どうぞ、ほんの少しばかりでも、穂を茎に残しておいてくださいますように。人間には値打ちが無くとも、罪もない鳥のために、なにとぞ!」
神様は、先々困るのがおわかりですから、可哀そうに思い、この願いをおききとどけなりました。こんなわけで、麦の穂は上の方だけ残っているのです。
この物語の教訓は、
身の回りに当然のようにあるものは、普段はどうでも良いというな気持ちになる。
ところが、それを失った時に、その有難さを思い知らされる。
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