「忙しさ」で測る組織の限界
ストーリー
夏の盛り、蟻が冬の食糧を集めるため、畑を歩き回っていた。
センチコガネはこれを見て、「他の動物が仕事を止めてのんびりしているときに汗水流すとは、何とも大変なことだ」と驚いていた。
蟻はこの時は黙っていたが、やがて冬になると、餌になる糞も雨に流され、飢えたセンチコガネが、食べ物を分けてもらおうと蟻の所へやってきた。
それに対して蟻が言った。「センチコガネ君、君も夏の盛りに苦労していたなら、今、餌に困ることもなかろうに。」
※センチコガネ(雪隠黄金虫):「糞虫(ふんちゅう)」として知られる昆虫。「センチ」は「雪隠(せっちん)」=便所の意味で、糞に集まる性質から名付けられた
この寓話は、単なる「勤勉と怠惰」の対比として理解してよいのだろうか。もちろん、「勤勉な蟻」と「怠惰なセンチコガネ」の構図から、怠惰は後々困ることになる――だから勤勉であるべきだ、という表面的な教訓は導き出せる。
しかし、組織論的な視点で読み直すと、まったく異なる解釈が浮かび上がってくる。
組織内では、「忙しそうな人=有能」「のんびりしている人=怠け者」といった評価軸がしばしば用いられる。だが、それは本当に正しいのだろうか。
たとえば、ある部署が「繁忙期」にある一方で、別の部署は「準備期」にあることは珍しくない。行動の意味は、時間軸によってまったく異なるのだ。余裕のある姿を「怠惰」と決めつけるのは危険であり、戦略的沈黙や思考の時間を尊重する視点が欠かせない。
さらに、短期的な成果主義だけでは、準備型・構造型の貢献が見過ごされがちだ。
だからこそ、「時間差のある価値」を評価制度に組み込む必要があるのではないか。
あなたの貢献は、正しく評価されているだろうか。
もしそうでないと感じるなら、それはあなたのせいではなく、組織の評価軸が「目に見えるもの」だけに偏っている可能性がある。
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