善意の浪費!
ストーリー
家で英雄を祀り、惜しみなくお供えをする男がいた。
生贄のために毎日お金を使い、おびただしくつぎ込むので、英雄が夢枕に立って告げた。
「そこの者、財産を湯水のように使い果たすのはやめよ!貧しくなったら私の所為にするだろうから。」
この寓話の教訓は、信仰や敬意も節度を欠けば自己破滅につながるというものだ。強すぎる敬意や信仰心は、かえって自分を苦しめることになるためバランスが必要だ。
英雄が夢枕に立ち忠告するのは、男の信仰が暴走し、理念そのものが信頼を失う危機に瀕していることを示していると言えるだろう。
男の行為が象徴しているのは「善意の浪費」で、結果的に資源やエネルギーを無駄にし、持続可能性や成果を損なう可能性を暗示している。
組織における善意の浪費として、次のケースは良くある話だ。
・職場の誰かが休職し、その仕事をやむなく分担させられると言った「助け合い文化」は、助ける側の善意で成り立つものだ。しかし負担も限界を超えると疲弊と不満を生むことになる。
・制度が不十分でも「みんな我慢してやっているから」で済まされてしまう「現場の努力」に頼るマネジメント。
善意は有限の資源と考え、その搾取を防ぐには、「境界の設計」と「責任の明確化」が鍵となる。「できること」と「やるべきこと」を区別し、「条件付きの協力」として提供する。
善意が「当然」にならないよう、見える形での評価や報酬を求める必要がある。善意を燃料にするなら、構造というエンジンの設計が必要だろう。持続させるためには、構造の責任が大きく関係するからだ。
コメントを残す