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忍耐の教訓

  • 熊の皮を着た男(グリム童話)

    誠実さ!

    ストーリー

     むかし昔、ある若造が兵隊で勇ましい働きをしました。小銃の玉が嵐のように飛んでくる中でも、いつでも先頭に立って進んだものです。戦争がある間は何でも順調でした。ところが戦争が終わると、兵隊は不要になり、お払い箱になりました。
     
     隊長から解雇を言い渡され、郷里へ戻ったものの両親はすでに亡くなり、兄弟たちは疎遠で「今更、お前の面倒を見ることは出来ない」と冷たく断られ一人で生きるしかありません。

     兵隊はさまよい歩き、ある荒野にさしかかりました。一本生えている木の下にしょんぼり座り込んで、自分の身の上をつくづく考えてみました。
     「銭は一文無し。覚えたのは戦争の小手仕事ばかり。だから平和になれば、自分には用がないわけだ。餓死することは見え透いているさ・・・。」

     その時、にわかにざわざわ音が聞こえ、辺りを見回すと、見たことのない男が目の前に突っ立っていました。
     「お前が困っていることは、ちゃんとわかっているぞ。だからお金をあげよう。だが、私も金を無駄にしたくないから、お金をあげる前にお前を試してみ見たいんだ。」
     兵隊は不思議に感じましたが「おれを試してみるが良かろう」と返事をしました。

     すると男が「お前の後ろを見てみろ」というので、兵隊は振り向きました。そこには大きな熊が兵隊めがけて跳びかかってくるところでした。
     兵隊は「鼻ずらに鉄砲を打ち込んで、うなれないようにしてやる!」というが早いか、狙いをつけて、熊の鼻づらに一発打ち込みました。熊は丸くなってひっくり返ったまま、ピクリとも動かなくなりました。
     男は「勇気はないこともないな。だが、もう一つある。これもやってもらわなくてはならぬ」といいました。 
     兵隊はこの男の正体が悪魔だとわかり答えました「おれが死んでから天国へ行くのを邪魔しないなら承知するが、邪魔するようなことならお断りだ!」

     悪魔は言いました「それは、お前の心がけ一つだ。お前はこれから7年の間、体を洗ってはいけない、ひげや髪の毛にくしを通してはいけない、爪を切ってはいけない、祈りを唱えてはいけない。お前に上着と外套をやるが、ずっと着ていなくはいけない。この7年のうちに、お前が死んだら、お前は私のものだ。もし生き延びたら自由になったうえ、金持ちでいられるだろう。」
     兵隊は、今の自分が生活に困ってどうにもならないこと、これまで何度も死ぬような目にあっていることを思いだし、覚悟を決めて悪魔の言うことを承知しました。
     
     悪魔は自分の上着を兵隊に渡して「この上着を着てポケットへ手を入れれば、いつでもお金がひとつかみづつ取れる」と言い、また熊の皮を剥ぎ取って
     「これをお前の外套にしろ。それから寝床もこれだ。他の寝床へもぐりこんではならぬ。お前はこの身なりにちなんで『熊の皮を着た男』という名をつけろ」というと、悪魔の姿は見えなくなりました。

     兵隊はその上着を着てポケットに手を入れてみると、なるほど、悪魔の言ったとおりでした。熊の皮を羽織って町に出て、自分の気が向けば、お金に糸目をつけず、どんなことでもやりました。一年目は人並みでしたが、二年目には髪の毛が顔中に覆いかぶさり、ひげは毛布の切れはし見たいなようでした。指には鉤のような爪が生え、顔には垢や汚いものが積もり、この人を見ると誰もが逃げ出しました。

     四年目に、どこかの旅籠へ行ったことがあります。宿の亭主はどうしても泊めたくないと言うので、ポケットから金貨をひとつかみ渡したところ、裏手の部屋をひとつ貸してくれました。ただし店の評判が悪くなると困るので、決して姿を見せないように熊の皮を着た男に約束させたのです。

     熊の皮を着た男が、日が暮れてから、たった一人ぽつんとして「どうか七年という歳月がたってしまいますように」と心底お願いしていた時、隣の部屋でなにやら嘆き悲しむ大きな声が聞こえました。戸を開けてみるとお爺さんが泣いているのです。そばへ寄るとおじいさんは飛び上がって逃げ出そうとしましたが、人の声をききわけ、親切な言葉をかけられたので、自分の心配のたねを熊の皮を着た男にうちあけるまでになりました。

     話を聞くと、おじいさんは財産を無くし、娘たちに食事も与えられない。宿賃も払えないので牢屋行きだと言うのです。熊の皮を着た男は、
     「お金はいくらでも持っているよ」と言って、宿の亭主を呼びよせ勘定を済ませたうえに、おじいさんのポケットへ金貨のいっぱい入っている財布を押し込んでやりました。

     おじいさんは恩返しに自分の3人の娘の中から一人選んで嫁にとってくれと自分の家へ連れてきました。
     長女はこの男をみると、驚いて逃げ出しました。次女は「以前やって来た熊の方がよっぽどましだ」と言いました。ところが末娘は「お父さんをすくってくれたのだから約束は守らないといけないわ」と言いました。

     熊の皮を着た男は、自分の指から指輪を抜いて二つに折りました。自分の方には末娘の名前を書き込んでしまい、のこり半分に自分の名前をしるして末娘に渡し、大切にしまっておいてくれと頼みました。それから男は別れを告げ、「私は、あと3年旅を続けなければならない。その時戻ってこなければ、私に義理立ては無用です。ですが、無事に戻ってこられるように神様に祈ってくれないか」と言いました。

     熊の皮を着た男は世界中を歩き回り、満7年経つといつぞやの荒野に帰ってきて木の下に座りました。間もなく風の音がざわざわすると悪魔が現れ、熊の皮を着た男の汚れを洗い落とし、髪の毛を櫛ですき、爪を切ってやりました。すると見た目が軍人らしくなり、以前より美しくなりました。

     元の兵隊さんへもどると、馬車に乗ってお嫁さんの家へ行きました。家についても誰も顔が分かりません。そこでお爺さんに末娘を嫁にくれないかと聞きました。おじいさんに呼ばれ、末娘が現れると、兵隊さんは、半欠けの指輪を取り出して末娘に渡しました。末娘が首にかけているもう半分の指輪を合わせると、ぴったりと合いました。「私はあなたと約束したお婿さんです。以前あった時は熊の皮を着ていたけれど、今は人間の姿を取り戻しました。」

     兵隊さんと末娘は結婚し、お金に不自由なく、幸せに暮らすことが出来たということです。

    若い時に、どんなに活躍していても、いずれお払い箱になる時は誰にでも来る。お払い箱になった時は惨めさ、悔しさ、ふがいなさ、世間の冷たさ、など感じる。
     自分が必要とされなくなった時、その時どのように考え行動するかで未来は変わる。ただし、自分の中の誠実さは失ってはダメだ!

  • イソップ寓話の教訓No.401「仔馬」

    未来の宝は大切に!

    仔馬の画像
    イソップ寓話の教訓No.401「仔馬」

    ストーリー

    男がお腹に仔を持つ牝馬に乗っていたが、途中で牝馬は仔馬を産んだ。

    仔馬は母馬のすぐ後をついて歩いたが、すぐにめまいがしてついて行けないので、男に向かって言った・・・。

    「生まれたばかりだから、こんなに小さくて早く歩くことも出来ないのですよ。この場においていかれたら、すぐに死んでしまいます。家まで連れて帰ってください。育てていただけるなら、成長してあなたに乗っていただきます!」

    教訓
    未来の宝は大切にしなければならない。

  • イソップ寓話の教訓No.179  「驢馬と庭師」

    会社を辞めたくなったら!

    ストーリー

     庭師に使われる驢馬が、餌は少なく辛い目ばかり多いので、庭師から解放して別の主人に引き渡してほしいとゼウスに祈った。
     ゼウスはヘルメスを遣わして、驢馬を焼き物師に売るように命じた。
     ところが驢馬は、はるかに多くの荷物を運ばねばならなくなり、今度も我慢がならず、ゼウスに助けを求めた。
     最後にゼウスは驢馬を皮なめし屋に売らせることにした。
     すると驢馬は、新しい主人の仕事を見ていった。
     「こんな所にいるより、以前の主人の所で荷物を運んだり腹を空かしているほうがましだった。ここでは、死んでも埋葬してもらえない!」

     どんなに魅力的に見える仕事でも、実際に携わってみると、想像以上に苦労が多いことに気づくものです。だからこそ、今の仕事を安易に辞めるのは危険です。その選択が、後になって取り返しのつかない後悔につながることもあるからです。
     とはいえ――本当につらくて、もう限界だと感じる時もあるでしょう。そんな時は、無理に耐え続けるのではなく、段階的に対処していくことが大切です。 

    ・まずは、2〜3日仮病を使って休み、心と体をリセットする。
    ・まだ改善しないなら、上司に事情を話して環境の改善を求める。
    ・難しい場合は、人事部に直談判して異動をお願いする。
    ・それでもダメなら、減俸や降格を覚悟して長期休職という選択肢もある。

     こうした対応をしているうちに、風向きが変わり、状況が少しずつ好転することもあります。それでも改善が見込めない場合は、転職という選択肢も視野に入れるべきでしょう。
     ただし、転職先はすぐに見つかるとは限りません。だからこそ、必要な資格の取得や、採用情報の収集を地道に続けることが、心の安定にもつながります。
     そして何より――ブラックな会社にしがみつく必要はありません。見切りをつける勇気もまた、社会で生き残るサバイバルの知恵のひとつです。

  • イソップ寓話の教訓No.155  「狼と仔羊」

    「説明を尽くすこと=正義」ではない

    ストーリー

     仔羊が川で水を飲んでいるのを狼が見つけ、もっともらしい口実をつけて食べてやろうと思った。
     そこで川上に立つと「お前は水を濁らせ、俺が水を飲めなくしてしる!」と仔羊に言いがかりをつけた。
     仔羊は「ほんの唇の先で飲んでいるだけだし、川下にいるので川上の水を濁すことはできません」と言うと、
     狼は「お前は去年、俺の親父に悪態をついたぞ!」と言った。
    「一年前は、まだ生まれていません」と仔羊が言うと、
    狼は、「お前が何と言おうと、俺はお前を食べると決めているのだ!」

     すでに結論が決まっている場面では、どれほど正当な説明を尽くしても、それが力を持つことはない。狼が仔羊に言いがかりをつけ、反論を封じたように理屈はただの飾りであり、力の前では無力なのだ。
     この寓話が教えてくれるのは、「正しさが通じる場と、通じない場を見極める知恵」の重要性である。正論が通じると信じていると、理不尽な相手に対して無防備になり、傷つくこともある。だからこそ、言葉が届かない場では、説明よりも構造への対策や連帯による防衛が必要になる。
     「説明を尽くすこと=正義」ではない。この寓話はそれを突きつけてくる。むしろ、説明が通じる関係性を築くこと、あるいは通じない場から身を守る術を持つことが、現代のサバイバルにおいてはより重要なのだ。
     たとえば、職場での人事査定や会議、契約交渉の場面。すでに方向性が決まっているにもかかわらず、形式的に意見を求められることがある。そのとき、誠実に説明を尽くしても、結論が覆ることはない。むしろ「説明したのに通じなかった」という徒労感だけが残る。
     また、組織内での責任転嫁やスケープゴート化も、狼の論理に似ている。過去の些細な言動を引き合いに出し、現在の不利益を正当化する。そこでは、事実や論理ではなく「誰が弱いか」「誰が黙るか」が判断基準になる。
     こうした場面では、個人の説明力よりも、構造的な防衛策——たとえば記録の保持、第三者の同席、契約条項の明文化——が力を持つ。
     また、孤立せずに信頼できる仲間と連帯することが、理不尽に対抗するための現実的な盾となる。
     正しさは重要だ。しかしそれが通じる場を選び、通じない場では別の戦略を持つこと。それが、現代の組織を生き抜くための知恵である。

  • イソップ寓話の教訓No.149  「ライオンと驢馬と狐」

    他人の不幸は人を賢くする!

    ストーリー

     ライオンと驢馬と狐が仲間になって狩りに出かけた。
     獲物がどっさり捕れたので、ライオンは驢馬に命じて分けさせた。
     驢馬は三等分を作り、ライオンに好きなのを選ぶよう促したところ、ライオンは激怒して驢馬に跳びかかるや、食べてしまった。
     次に狐に分配を命じた。狐は三等分に分けた獲物を一つに集め直し、自分のためには少しだけ取りのけて、残りすべてをライオンに取るよう勧めた。
     「誰がこの分け方を教えた?」とライオンが聞くと、
    狐は「驢馬の災難です。」

     理不尽な権力構造の中で、倫理的正しさだけでは生き残れないことがあるという現実だ。
     驢馬の行動は道徳的には正しいが、力の論理においては致命的だった。狐の行動は倫理的には妥協を含むが、観察と学習によって命を守る戦略的判断である。
     このような状況では、正義と生存が必ずしも一致しない。だからこそ、「正しさ」だけでなく、「読み解く力」や「適応する知恵」が必要になる。狐の「驢馬の災難です」という言葉は、犠牲者の姿を通して構造を理解し、行動を修正する知性の象徴である。

    あなたは驢馬になっていないか?
     誠実で働き者、真っすぐな性格の驢馬は、ライオン上司とずる賢い狐の同僚と同じ職場で働いていた。
     ある日、ライオン上司は経営陣に認められたい一心で、驢馬と狐に達成困難なノルマを課した。驢馬はその命令に納得できず、冷静に達成不可能な理由を説明し、ノルマの見直しを申し出た。
     しかしライオン上司はそれを却下し、内心でこう思った。「いちいちうるさい奴だ。そんなことはわかっている。黙ってやればいいんだ。少しは俺の立場を考えろ!」
     その様子を見ていた狐は、心の中でほくそ笑んだ。「馬鹿なやつだ。あいつがライオンの機嫌を損ねたおかげで、俺の評価が上がるぞ。」
     それ以降、ライオン上司は驢馬に対して冷淡な態度を取り、評価も厳しくなった。翌年の春、狐は課長に昇進し、驢馬はうつ病を発症して休職することになった。
     正しさは、必ずしも報われるとは限らない。権力の前では、正義が通じないこともある。狐は驢馬の「災難」を観察し、学習し、そして適応した。倫理を捨てろとは言わない。だが、構造を読め。
     サラリーマンはサバイバルだ。賢く生き残れ。

     ・・・イソップ寓話の教訓No.391「船主と船乗り」へつづく

    ※類似教訓
    イソップ寓話の教訓No.79「猫と鼠」

    イソップ寓話の教訓No.391「船主と船乗り」