カテゴリー: グリム童話

グリム童話にまつわる教訓を掲載

  • グリム童話の教訓「釘」

    見過ごされた予兆とその代償!

    ストーリー

     ある商人が市場で商売をして、持ってきた商品を残らず売り切った。商人は夜にならないうちに家へ帰ろうと、自分の乗っている馬に鞄(カバン)をくくりつけ出発した。
     正午にどこかの町で休憩したが、さて出かけようとする時に、下僕が馬をひいてきて言った。「旦那様、お馬の左の後あしの蹄鉄の釘が一本抜けておりますが。」
     商人は「そのままにしておきなさい。道のりは、あと六時間あるだろうが、そのくらいでは蹄鉄は落ちはしまい。急いでいるからな」と言った。
     お昼過ぎに、また一休みして、馬に食べ物をやらせると、下僕が部屋に来て言った。「旦那様、お馬の左の後あしの蹄鉄がなくなっております。鍛冶屋へ連れてまいりましょうか」商人は「とれたまんまにしておきなさい。あと一、二時間だ。それくらい我慢できるだろう。急ぐのだからな。」と言った。
     そのまま出かけましたが、それほど経たないうちに、馬はびっこをひき始めた。びっこをひきだしたかと思うと、やがてつまずくようになり、つまずいているうちに、馬はばったり倒れて、あしを一本折ってしまった。
     否応なしに馬はそのままにしておいて、商人は馬の背中にくくりつけてあった鞄(カバン)を自分でかつぎ、てくてく歩いて、夜中になって家に着いた。
     商人は独り言で、「こんなひどい目にあったのも、もとはといえば、あの釘一本のせいだ、いまいましい奴だ!」

     些細なことを疎かにすれば、やがて大きな事故へとつながる。事故は偶然ではなく、予兆を見過ごした結果として「起こるべくして起こる」ものだ。
     他者に責任を押しつける前に、自らの見通しの甘さを省みるべきである。そして、同じ過ちを繰り返さぬよう、失敗を未然に防ぐ予防策を講じることが何より重要だ。それこそが、真の効率である。

    類似教訓
    イソップ寓話の教訓No.146「鼠に怯(オビ)えたライオン」

  • 死神のお使いたち

    生活習慣は人生の土台です

    ストーリー

    ある時、一人の大入道が道幅の広い大通りをのそりのそり歩いていました。

    すると見知らぬ男がいきなり飛び出してきて「止まれ!」と呼びかけました。大入道が「お前は誰だ?」と尋ねると、その男は答えて「おれは死神だよ。おれの命令には、お前も聞かなければならないのさ!」

    大入道は「そんな馬鹿なやつはいない」と言って死神をげんこつで殴り倒したので、死神は道の脇で伸びてしまいました。大入道はそのまま行ってしまいましたが、死神は起き上がる力もありません。

    そのうち、年の若い元気な男がやって来ました。元気の良い丈夫な男で、鼻歌を歌いながら、あっちこっちを眺めていましたが、気絶している男に目がとまると、気の毒に思って、持っていた瓶から飲み物を口へながしこんでやって、元気になるまで様子を見ていました。

    「おまえ、おれが何者だか知っているのか?」とやっと起きながら尋ねると、若い男は「おまえの素性なんかしらないよ」と返事をしました。

    「おれは死神だ。だれだって容赦しないのさ。だがね、おれは、おまえをありがたく思っているから、お前に約束しよう。おまえだけは不意打ちをくわせない。おれが迎えに行く前に、使いをいくつか出すことにしよう。」

    「ありがたい、死神の来る時が前からわかって、それまでは、さらわれる気遣いなしにいられるのは、もうけもんだ。」若い男はこんなことを言いながら先へ行きましたが、ただぼやっと日を送るだけでした。

    けれども若さと健康は永続きするものではなく、いろいろな病気や苦しみが起ることになりました。「死ぬことはないぞ。死神のやつは使いをいくつもよこすはずだからな。病気のいまいましい日が過ぎてしまえばよいのだ。」と男は独り言を言いました。それで体の具合が良くなると、またすぐに堕落した生活が始まりました。

    ある時、だれかが肩を叩きます。振り返ってみると死神が後ろに立っていて、「おれについてきな。おまえは、この世にわかれる時が来たんだ。」と死神が言うのです。男は「なんだって。約束が違うじゃないか。おまえが来る前に使いをよこすと約束しなかったか!使いなんか一人も来ないぞ」と言いました。

    死神は答えて「だまれ!使いならあとから後から、お前のところへやったではないか。熱が行かなかったか、目まいがおまえの頭をばかにしたことはないか、痛風がおまえの関節をつねったことはないか、耳鳴りのしたことはないか、歯の痛みがおまえのほっぺたをかじったことはないか、目の前が暗くなったことはないか。」

    男は、なんとも返事ができず、これを自分の運命とあきらめて、死神のおともをして行ってしまいました。

    この物語の教訓は、
    生活習慣は人生の土台です。歳を重ねれば、だれでも死神のお使いがちらほら見えているはずです。具合が悪ければ体のメンテナンスをしましょう。そして、今から少しでも生活習慣を改善しようではありませんか。

    死神のお使いたちの画像
    死神のお使いたち
  • グリム童話の教訓「寿命」

    人生の時間は限られている。チャンスはいつも今だ!

    ストーリー

    神様が世界を作ってから、生物に寿命を決めようとした。

    ロバが来て尋ねた。
    「私はどれくらい生きますか?」神様は答えて「三十年だ。」それについて、ロバは言った。「私の生きている間の苦労をお察しください。朝から晩まで重たい荷物を運び、ぶたれたり、蹴られたり、しっかりしろと怒鳴られたりするばかりでございます。その長い年月をお減らし願います。」
    神様は可哀そうに思い、十八年だけおやりになりました。

    次に犬が現れました。
    神様は「ロバは三十年が多すぎるそうだが、お前なら良いだろう?」と尋ねました。犬は答えて「私が否応なしにどれくらい走るかお察しください。三十年はとても足がつづきません。」神様は犬の言うことをもっともだと思い、十二年だけお授けになりました。

    そのすぐ後に来たのは猿です。
    「お前は三十年生きたいだろうな。ロバや犬のように働かなくて良いからな」と神様は仰せになりました。猿は答えて「とんでもないことです。いつも、おかしなことをして人間どもを笑わせなければなりません。このようなものの後ろには、悲しみが隠れております。三十年も辛抱なりません。」
    神様はお恵み深く、お猿には十年だけおつかわしになりました。

    おしまいに現れたのは人間です。
    神様は「三十年生かしてあげる」とおっしゃると、人間は答えて「それでは短すぎます。家を建ててこれから自分の生涯を楽しもうと思った矢先に死ななければなりません。お願いですから私の寿命を延ばしてください。」
    神様は「お前にロバの十八年を足してあげよう」とおっしゃった。人間は答えて「それでは足りません。」神様が「犬の十二年も足してあげよう」とおっしゃっても、人間は答えて「まだまだ、少なすぎます。」神様は「猿の十年もお前に授けよう、もうそれ以上は無いぞ。」とおっしゃると、人間は不平を言いながら、立ち去りました。

    このようなわけで人間は七十年生きることになっています。初めの三十年は人間の本当の歳で、さっさと過ぎてしまいます。
    これに続くロバの十八年は、重荷を背負わされます。
    次に来る犬の十二年は、あっちこっち走り回るか隅のほうで、うーうーうなってばかりです。
    最後はお猿の十年がやって来て、この歳になると頭の働きが鈍く、子供たちの笑いものになります。

    ご先祖様が欲深く寿命を欲しがらなければ、人間の人生は重い荷物を背負った長い旅路にならなかったかもしれません。
    人生の時間は限られています。チャンスはいつも今だ!

    寿命の画像
    グリム童話の教訓「寿命」
  • グリム童話の教訓「天国へ行った貧しい農夫」

    人生は不公平だ!

    ストーリー

    貧乏だが信心深い農夫が亡くなり天国へ行った。天国の門の前に着くと、お金持ちの商人がいた。

    神様が出てきて、先にお金持ちの商人を中へ入れた。貧しい農夫は目に入らなかったらしく、そのまま門が閉まった。

    貧しい農夫が門の前で待っていると、中から歓迎の歌や楽器の演奏が聞こえてきた。

    そのうち静かになったかと思うと、神様が出てきて貧しい農夫を中へ入れた。

    貧しい農夫は歓迎の歌や楽器の演奏を期待していたが、ひっそりと静まり返っていた。そこで神様に尋ねた。「どういうわけで、私が中へ入った時は歌や楽器の演奏が無いのですか?これでは下界と同じように不公平です。」

    神様は答えて「そうではない。おまえは、みんなと同じように天国の楽しみを味わうことができる。だが、おまえのような貧しい者は、毎日毎日、天国へ来るが、あのようなお金持ちが天国に来るのは、百年に一人の割合だからだ。」

    この物語の教訓は、
    人生は不公平だ、ということは確かなことです。人との比較で無く自分の目的を達成すことに意識を向けませんか。

    天国へ行った貧しい農夫の画像
    天国へ行った貧しい農夫
  • グリム童話の教訓「狐と馬」

    戦える人はずるい人の搾取の対象にはならない!

    ストーリー

    ある農夫が馬を一頭飼っていましたが、馬が年取って仕事ができなくなったので、馬に言いました。「お前はもう使えない。もしライオンを連れてこられるだけの力があれば飼っておくのだがな。今のところ、ひとまず、ここから出て行っておくれ。」馬は広い野原へ追い出されました。

    馬が今夜の寝床を探そうと森の中を歩いていると、狐に会いました。狐は「なぜ、そんなにしょんぼり歩いているの?」と声をかけました。馬は答えて「畑仕事ができなくなったので追い出されたんだ。ライオンを連れてくる力があれば飼ってやると言っているが、そんなことの出来ないのを知っていて、言っているのさ。」

    狐は「それなら、何とかしてあげられそうだ!ここに転がって死んでるように動くんじゃないよ!」と言って、歩き出しました。

    狐はそこから遠くない洞穴に住んでいるライオンの所へ行って「死んだ馬が一頭もろがっています。ご案内しますよ!」と言いました。

    二匹が馬の所へ着いたとき、狐は「ここでは、落ち着いて召し上げれそうにありません。馬のしっぽをあなたに縛り付けるので、こいつを洞穴に連れ込んで、召し上がりませんか。」と言いました。

    ライオンはうまい考えだ、と思いじっとしていました。

    ところが狐は、馬のしっぽでライオンの脚を縛りつけると、馬の肩をポンと叩いて「それ行け!、それ行け!」と言ったのです。

    馬はいきなり跳ね起きて、吠えるライオンを引きずりながら、野原をこえて主人の家の戸口まで走って行きました。

    主人は、これを見てすっかり考え直し、「お前を私のうちにおいて、一生楽をさせてあげよう!」と馬に言い、お腹いっぱい食べさせてあげました。

    この物語の教訓は・・・
    戦える人はずるい人の搾取の対象にはなりません。
    弱音を言っていた馬も、狐の力を借りて戦える馬に変わり、待遇が良くなりました。

    グリム童話の教訓「狐と馬」
  • グリム童話の教訓「怠け者と働き者」

    変えられることは今日から変えるべきだ!

    グリム童話の教訓「怠け者と働き者」のストーリー

    むかし男が二人、町へ出稼ぎに行きました。町へ入ると片方の男は道楽にはまり、昼間から酒を飲みほっつき歩いていました。もう一人の男は仕事に精を出して働いていました。

    働き者の男が仕事の帰り道、道路わきで寝ている者を見かけました。良く見ると、それは一緒に出稼ぎにきた怠け者の男でした。自分もその男と並んで横になり、自分のコートをかけてやり、寝てしまいました。

    すこしたつと、働き者の男は二つの声で目を覚ましました。声の主は二羽のカラスで、一羽のカラスは「何もしなくても神様が優しくしてくださる」と言い、もう一羽は「では、そのつもりでいなさい」と言っていました。

    始めのカラスはこう言った後で、ばっさり地面に落ちました。もう一羽は夜が明けるのを待って虫や水を取りに行って、地面に落ちたカラスを元気づけてやり、助けてあげました。

    二人の男は不思議に思い、病気のカラスに「どうしてこんなみじめなありさまで病んでいるのか?」と聞いたところ、病気のカラスは「食べ物は働かなくても天から降ってくるものと思っていたから」と答えました。

    二人は二羽のカラスを連れて次の町へ行きました。

    次の町で、ある少女と出会いました。その少女は良く働くカラスを大変かわいがって、頬ずりしたところ、ばさばさと羽ばたきしたかと思うと、美しい若い男の人に変わりました。

    その人の話によれば、もう一羽は自分の兄弟で、父親を馬鹿にしたので、呪いをかけられカラスにさせられた、と言うことでした。

    もう一羽の病みついているカラスは、誰からも可愛がられることなく、カラスのまま死んでいったとと言うことです。

    怠け者の男は、これを自分の教訓として働き者に変わったそうです。

    この物語の教訓は・・・
    どんなことも積極的に動かなくても何とかなる!と思うことも一利ある。
    しかし人生の質を上げたいなら、変えられることは今日から変えるべきだ。残りの人生で今日が一番若いのだから。何もせず受け身で得た結果と積極的に動いて得た結果では大きな違いがある

    過ぎてしまえば人生なんて短いものだ。

    グリム童話の教訓「怠け者と働き者」
  • グリム童話の教訓「おじいさんと孫」

    自分の良くないところは自分では気づきにくい!

    ストーリー

    ある所に、おじいさんと息子夫婦と孫の四人が暮らしていました。

    おじいさんは、年をとって目がかすみ、耳も遠くなり、力もなくなっていました。スプーンもしっかり持っていられないほどで、食卓の上によくこぼしているありさまでした。息子夫婦は、それを見るのが嫌で、おじいさんの食卓は部屋の隅にテーブルを置いて、そこで食事をさせていました。

    ある時、おじいさんの手からお皿が床に落ちて、粉々に割れてしまったのです。息子夫婦は小言を言いましたが、おじいさんは、なにも言わずにため息をついていました。それ以後、おじいさんには安い木の皿があてがわれ、それで食べることに決められました。

    あるとき、四歳になる子供が外遊びから帰ってくると、小さな板切れを集めてきました。

    お父さんが子供に尋ねました。「その小さな板は、なにをするのだい?」

    四歳の子供は答えて言いました。「木のお皿をつくるの。お父さんとお母さんに食べさせてあげるの。」

    これを聞いた夫婦は、しばらく顔を見合わせていましたが、おじいさんを食卓へ戻し、少しくらいこぼしても、何も言わなくなりました。

    この物語の教訓は・・・
    仕事に追われたり日々の生活に追われていると余裕がなくなる。自分に余裕がなければ他者に対する思いやりや優しさの気持ちも薄れてくるのだ。

    イライラしていたり、怒りっぽいと感じたら、余裕がない兆候だ。自己点検の機会が与えられたと思うべきだ。自分の良くないところは自分では気づきにくい。

    グリム童話の教訓「おじいさんと孫」
  • グリム童話の教訓「狐と猫」

    口先だけの人に騙されない

    ストーリー

    猫が森の中で狐を見かけ話しかけた。「狐さん、こんにちは。」

    狐は猫をじろじろ見ながら「何だい?お前のことを相手にしている時間はないんだ」と答えた。

    猫は「狐さんは頭が良くて世間で貴ばれていると聞いて、ご挨拶したのです。」と言った。

    狐は猫に尋ねた。「お前は、何かできることがあるのか?」

    猫は「一つだけありいます。犬が追いかけてきたら、木の上に逃げることができます」と小さくなりながら答えた。

    狐は「たったそれだけか。そんなことなら俺についてきな。簡単に犬からにげる方法を教えてやるよ」と得意げに言った。

    その時、猟師が犬を連れて歩いてくるのが見えたので、猫は素早く木の上へ駆けあがり、枝や葉で身を隠した。

    猫が下を見ると、狐はすでに犬に捕まって、身動きが取れない状態だった。

    猫が独り言でいうには「狐さんも木に登れたら良かったのに!」

    この物語の教訓は・・・
    口先だけの人か行動も伴う人かを見分けて騙されないようにしよう。
    中身が備わった人は信頼され、いずれ周囲になくてはならない存在になります。

    グリム童話の教訓「狐と猫」
  • グリム童話の教訓「狼と狐」

    今の境遇に不満がある時は

    ストーリー

    狼が狐を自分の手下にしました。狼がやろうと思ったことは、どんなことでも、狐はそのとおりにしなければなりません。狐は一番力の弱い獣だったからです。ですから、狐は狼と縁を切りたくて、しかたがありませんでした。

    ある時、狼が狐に向かって言いました。「おい、狐!なにか食うものを持ってこい。それともお前が丸かじりにされたいか?」

    狐は答えて「近くに子羊が何匹かいる農家があるので、そこへ行きましょう!」

    狐は仔羊を盗み出し、狼に渡すと自分はさっさとその場を立ち去りました。狼は仔羊をぺろりと食べると、それだけでは我慢ができず、自分でさらいに行きました。さらおうとすると、大人の山羊が大声で鳴きだすので、鳴き声を聞きつけた農夫が、狼を叩きのめしました。狼は片足を引きずりながら、狐の所へたどり着きました。

    そのあくる日、また二匹で野原へ出かけた時に、狼が狐に向かって言いました。「おい、狐!なにか食うものを持ってこい。それともお前が丸かじりにされたいか?」

    狐は答えて「近くの農家で、今晩に卵焼きを作るみたいです。そこへ行きましょう!」

    狐は卵焼きを盗んで、狼に渡すと自分はさっさとその場を立ち去りました。狼は卵焼きをごくりと丸呑みにして「卵焼きは後を引くもんだな」と、自分で取りに行きました。
    いきなりお皿を引きずり下ろしたので、大きな音がしてお皿が粉々に割れてしまいました。その音を聞きつけ、男が棒を持って現れ、狼は打ちのめされました。狼は足二本を引きずりながら、狐のもとへ逃げ込みました。

    三日目も足を引きずった狼と狐が出かけ、狐に同じように言いました。

    狐は答えて「塩漬けの肉が樽詰めになって洞穴にあります。そこへ行きましょう!」

    狼は洞穴につくと、置いてあるたくさんの樽を見て「これは食いでがあるぞ!」と思いながら、食べ始めました。狐も食べながら、誰か来やしないか心配で、洞穴の出入り口を出たり入ったりしていました。

    そんなことをしているうちに、狐を見つけた農夫が洞穴に入ってきました。

    それを見た狐は、すーっと洞穴から跳び出しました。狼が後に続こうとしたのですが、食べすぎたため体が重くなって、穴を通り抜ける前に、農夫のこん棒で叩かれ、殺されてしまいました。

    狐は狼と縁が切れて、安心したと言うことです。

    この物語の教訓は・・・
    今の境遇が不満でも、しばらく辛抱してみるべきだ。辛抱している間に本当の不満は何なのか考えることだ。そうすると不満の本質が見え、対策をたてることが出来るかもしれない。
    さらに時間の経過によって不満の元が取り除かれることだってある。
    性急な解決を求めると失敗を招き、身を亡ぼすことになる。

    狼と狐の画像
    グリム童話の教訓「狼と狐」
  • 狼と人間

    自分の事と相手の事を知ることは愚行への最大の予防

    ストーリー

    狐が狼に、人間はどんな動物でもはむかえない。人間に狩られないようにするには、動物は、はかりごとをしなければダメだと言い出した。

    すると狼は「人間というものに出くわしたら、跳びかかってやる!」と答えた。それを聞いて狐は言った。「明日の朝に尋ねてきてくれれば、人間を見せてあげるよ。」

    翌朝、狐は狩人が毎日とおる道へ狼を連れ出した。

    最初に来たのは、兵隊あがりのお爺さん。それを見た狼は「あれが人間か?」と尋ねると、狐は「違う、あれは以前、人間だったのさ。」

    次に来たのは、学校へ向かう小さな男の子。狼は「あれが人間か?」と尋ねると、狐は「違う、あれは、これから人間になるのさ。」

    次に来たのは、鉄砲と山刀を持った狩人だった。狼は「あれが人間か?」と尋ねると、狐は「あれが人間と言うものだ。あれが跳びかかる相手だよ」と言った。

    狼は人間めがけて跳びかかって行った。狩人は鉄砲を狼の顔に狙いをつけて一発目を撃った。狼は、ひるまず進んで行った。狩人は二発目を撃った。狼は痛いのを我慢しながら狩人へ迫った。すると山刀を抜き左右に斬りつけたので、狼は血だらけになりながら狐の所へ逃げ帰った。

    狼は言った。「人間は、あんなに強いとは思わなかった。初めに杖をこっちへ向けて、息を吹き込んだら、何かが俺の顔に飛んできたんだ。それを二回もやられた。それから、そばへ行ったら、自分のあばら骨を引き抜いて、振り回してきたんだ。もう少しでやられるところだった。」

    「だから言ったんだ!」と狐は言った。

    この物語の教訓は・・・
    自分の事と相手の事を知ることは愚行への最大の予防です。また情報を鵜呑みにせず、真実は自分で確かめて理解するものです。情報の出所にも注意しましょう。

    狼と人間の画像
    狼と人間
  • グリム童話の教訓「白い鳩」

    誠実で潔い人はまわりが放っておかない。

    ストーリー

     ある所に、王様と三人の王子がいました。三人の王子の中で、一番下の王子は上の二人に比べ要領が悪く、上の二人に馬鹿にされ、王様も賢くなってほしいと願っていました。

     さて、王様の宮殿には大きな梨の木がありました。梨の木は毎年見事な実を結びましたが、熟した実だけ一つ残らず、誰かに持っていかれるのでした。

     王様は一番上の王子に梨の実が熟すころ、木の下で見張り番をするように言いつけました。一番上の王子は、言いつけどおり見張り番を続け、明日はもぎとれるところまで実が熟しました。

     ところが、その夜になり「自分がここに居るので誰もとりに来ないだろう」と少し安堵したためか、いつの間にか寝てしまったのです。目が覚めると梨の実は一つもなくなっていました。

     そこで王様は二番目の王子に、同じように見張り番を言いつけました。やはり、実が熟し、もぎ取れるという日の夜になると、一番上の王子と同じように、いつの間にか寝てしまい、目が覚めると実が一つもありませんでした。

     とうとう王様は一番下の王子に、同じように見張りを言いつけることになりました。明日はもぎとれる日の夜になり、何とか眠気を我慢しながら見張り番をしていると、白い鳩が一羽飛んできて梨を一づつ持っていくのです。鳩を追っていくと高い山の岩の割れ目に消えて行きました。

     岩の前まで来ると、突然、小人が現れて岩の中へ入るように促すのです。岩の中へ入って行くと階段が続いていて、その階段を一番下まで降りて行きました。

     すると、さっき見た白い鳩が大きな蜘蛛の巣に絡まっていたのです。一番下の王子は「神様のお恵みがありますように」と声をかけると、白い鳩が蜘蛛の巣を突き破ったと思ったら、美しい女性が一人、目の前に立っていました。

     それから一番下の王子はこの女性をお妃にされて、王様の後を継いで国を治めたということでございます。

    誠実で潔い人はまわりが放っておきません。

    白い鳩の画像
    グリム童話の教訓「白い鳩」
  • グリム童話の教訓「マリアの子供」

    大きな森の入り口に木こり夫婦と女の子が住んでおりました。大変に貧しく子供に食べさせることも困るありさまでした。

    ある朝、木こりが森へ入ると、いつの間にか木こりの前に美しい女が立っていて、木こりに言いました。「私はマリアと言います。あなたはその日の暮らしにも困っている様子。子供を連れてくれば、私がめんどうを見ましょう。」

    木こりは、言われた通り女の子をマリアに預けると、マリアは天に向かって帰って行きました。

    その女の子が十四歳になった時、マリアが呼び寄せて言いました。「私は、しばらく旅に出ます。留守の間、この十三の扉の鍵を預かってください。このうち十二までの扉は開けて構わないけれど、十三の扉は、絶対に開けてはいけませんよ。」

    そして毎日、扉を一つ開けているうちに、十二の扉まで済んでしまいました。ある時、女の子の周りに誰もいなくなったので、こっそり十三の扉を開けてみると、ご本尊が火と光彩に包まれて鎮座する姿が見えました。その光彩にさわってみると、指の先が金色になりました。女の子は怖くなって逃げ出しました。

    それから間もなくマリアがお帰りになり、女の子に鍵を返すように仰せられました。女の子が鍵の束を渡すと、十三の扉は開けなかったかい?」と尋ねます。

    「開けていません」と女の子が答えると、マリは続けて同じことを尋ねます。女の子は、二度目の返事も、三度目の返事も、同じ「開けていません」と言うものです。

    マリアは「あなたは、私の言いつけを守らないばかりか、嘘までつきました。もうここにいる資格はありません。」と言うと、いつの間にか女の子は下界へ下りていて、口がきけなくなり、独りぼっちになっていました。

    しばらくすると、狩りに来ていたその国の王様が、その女の子を見つけ、城へ連れて帰りました。女の子は口がきけなかったものの、美しかったので、王様と結婚式をあげることになったのです。

    一年たち、男の子が生まれた夜、マリアが現れ「本当の事を言うのなら言葉を戻してあげましょう。嘘を押し通すなら子供を連れてゆきます。」と言います。それに答えて「扉は開けておりません」と答えると、マリアは生まれたばかりの子供を取り上げ消えました。

    その次の年も、次の次の年も、子供が生まれるとマリアが現れて、同じように問いただしても、「扉は開けていません」と同じ答えで、子供が取り上げられて行きました。

    とうとう子供がいなくなったことが世間に知れ渡り、火あぶりの刑にされることになりました。柱に縛り付けられ、火が体のまわりで燃え出した時「せめて死ぬ前に、あの扉を開けたと白状出来たら、どんなにうれしいでしょう」としんみりと思いました。

    すると、そのとたんに声が出て、「マリア様、私は扉を開けました。お許しください」と声を張り上げました。

    その声をきっかけに、急に雨が降り出し炎を消しました。そして天からマリアが現れ「罪を悔いて懺悔をする者には、罪は許されるのです」と優しく仰せられ、三人の子供をお渡しになり、声を出せるようにして、一生涯の幸せをおさずけになりました。

    教訓
    正直になるにはエネルギーがいる。だから正直になるのはキツイと感じる時がある。しかし正直でいなければ、いつか大きなツケとなって自分に返ってくる。その場をごまかしてやり過ごせば、いずれ自分への報いとなる。だから心穏やかでいたいなら、自分に正直になるべきだ。

    グリム童話の教訓「マリアの子供」
    グリム童話の教訓「マリアの子供」